52<アリス>
顔ぶれが変わってしまった新たなる孤児たちに見送られ、丘の上の教会から王都への道を引き返す。ゆったりとした雲が頭上に漂う。なんとも満ち足りた気持ちでのんびりと丘を降っていく。
日頃、神経を使う下っ端仕事が浄化された気分である。
(教会へ行って良かった)
概ね、満足のいく休日を過ごしたといえよう。
チビも元気そうだったし運営上の問題もなさそうだ。
聖なる国が滅び、大人のいなくなった教会、併設されていた孤児院の行方は育った所だから気がかりではあったのだ。文官に所属する身でもある僕だからこそ分かることだが、そうそう無くならないとは踏んではいたもののやはり心配、ではある。なんせ女の子だ。一人で切り盛りしている。
だからこそ今回、直接目にすることができ安堵した。
場合によっては文官の末席に身を置く者として、誰かを派遣せねばならないと憂慮していた。
何だったらリディ様にご相談しても良かった。
しかしチビは満足げに孤児院を見せつけてきた。内部はしっかりと孤児たちが生活しやすいように、女性ならではの工夫があちこちで成されていた。居心地の良い空間は、きっと彼ら孤児たちにとってかけがえのない思い出ともなり、良い影響を与える一助となるだろう。ひと昔まえの、司祭様に見捨てられて食糧問題に直面していた過去がまるで嘘のようだ。あのひもじさ、もう二度と味わいたくない。
(……でも、まぁ今回の孤児院来訪。
報告ついでに…………)
リディ様は立場が上なお人なため、なかなかお会いできない。理由がない限り。
それこそ書類を届ける際、程度だ。もし執務室にいれば駄菓子も貰ったりお茶のご相伴に預かったりするが、大概は騎士団長の副官が詰めていて、副官に手渡すだけになる。一声貰うだけでも嬉しいアリスとしては、実に癒しの時間でもあり幸せを噛み締める瞬間でもあった。
そういう時、心底思う。
(……文官仕事を選んで良かった!)
と。
ずいぶんと私情が入りまくった気持ちのままに、さくさくと歩を進める。
なんだか体重が軽い気がする。帰る目的があからさまだからであろう、全体的にどこか妙に浮ついている。王城であれば何をニヤついているんだと隣の席から叱責がくるところだ。
だが、ここは何もしがらみのない外だ。
憧れでもあり恩人がいる王城へと一歩ずつ近づいているのが体感できる。それがやはり、嬉しい。
もはや、生きる目的がそれだけになってしまったアリスにとっては気軽な足運びだ。まぁ、明日の仕事が同時に待ち構えていると思うと、どうしようもないため息が出てしまうものだが、かのお方のためになる仕事をもと選んだのだ、嫌とはいえない。
そう考えると…………ずいぶんと私事で仕事を選んでしまったものだ。良くも悪くも、アリスという孤児は貴族階級の奴らに嫌われようが好かれようが、なお喰いついて生きていける程度の生存能力を持ち合わせていた。図太い、ともいえよう。
(……それもこれも、リディ様のため)
死にたくはない、という気持ちがあったがゆえの選択を僕は何度もこの人生において選んできた。
アーディ王国の孤児問題は深刻だ。
孤児の数は年々増えてきていて、血筋はどうあれ国内出身の僕のような孤児はまだマシといえるが、問題は国境沿いからもたらされる者たち。越境者らの存在だ。彼らは子を成す。
他国の血が、またこのアーディ王国に入り込もうとするのだ。
(……どうしたものかな)
僕もまた孤児だからこそ、この問題を突き放して見ることはできない。
丘の中ほどでぴたりと足を止める。
少し盛り上がりがある。
どこか懐かしさを覚える切り株があり、片足を乗っけて立ち上がる。
その少々の高さがあるそこから目的地である王都を眺めると、そこには宝石のようにキラキラと輝く屋根の群れあった。いつもの景色だ、と僕は思う。教会からいつも見下ろしていた、眩い光。暖かな。その時の僕の目はきっと無機質で、しかし、確かに生きるために煙突から煙を吐き出す家庭の家々の息づく様子をどこか羨望していたのだ。たとえ向かったところで、僕を受け入れてくれる場所がなかったとしても。 僕は望む。
(僕も、その王都の一員なんだ)
不思議と。
そんな気持ちが、胸の奥にこみ上げてきた。
(本当に、不思議だ)
教会から巣立ち、さほどの歳月を経ていないというのに。
さわさわとした撫でる風が、僕の頬をすり抜けていく。涼しげな風が僕の一本縛りの髪をいたずらに巻き上げ、そうして王城へと向かうため、柔らかに草原を揺らして道を作っていった。季節の狂いから完全に立ち直りつつあるアーディ王国。他国の軍勢も打ち払い、緩やかな時間が流れていると僕は見てとった。痺れるようなため息が、細く、僕の唇から吐き出される。
両手を大きく広げると、より体感できた。
「僕は、生きている」
瞬くと、より一層実感できた。
「僕は!」
広げた指間にも、風は潜り抜けて空を駆け抜けていく。
独りの孤児がいた。
彼は可愛らしい見目をしていた。少女と見間違えるほどの顔を持ち、成長した。彼には後見人がついている。その後見人は名門伯爵家の嫡男であり、次期王位継承者である王太子の重鎮であるため、孤児院の運営者である司祭はこの身寄りのない孤児を売り払うことも、無駄に食費を削ることも難しくなってしまった。定期的に渡される伯爵家からのお金が人知れずその孤児の身元を保証するものだった。
のち、孤児は立身出世をし、アーディ王国歴史上、初めてとなる孤児院出身の文官となる。
異例である。それは貴族の後ろ盾があるからこその勤務ではあったが、庶民にとっては彼の存在は希望となった。有名にもなる。成長してもなお見目が優れていたため、ある種、下賤な噂も飛び交ってはいたものの、邪な者たちを華麗にいなす手腕はさすがはあの騎士団長が後ろ盾になっているほどのことだと、彼の才能、有能さがますます際立つ結果となった。元々文字の読み書きができたということから、それなりの出身なのではと囁かれるが真偽のほどは不明である。
彼はいつも、にこやかである。
微笑みを絶やさず、柔らかに対応することから微笑の文官とも呼ばれる。
彼はそれをいたく嫌っていて、そのあだ名を呼ぶと絶やさないはずの笑みを消し、せっかくの微笑を見逃すことになる。誰にでも親切な彼に嫌悪されるということは、今後の王城勤務においてやりづらい要素を生み出す行為になりかねないので注意を払わねばならない。
「微笑の文官殿」
それなのに今日もまたその名を呼ばれる。
たちまちに不機嫌になったアリスは、無駄ににやついている貴族階級の顔からして記憶している貴族名鑑から奴の所属と身分を看破した。
(あとで報復しよう)
優秀な文官とは、仕事配分も見事なものである。
必要な決済書を滞らせてやることも、彼なりに出来る仕打ちだ。
所詮はただの嫌がらせに過ぎないが。
ふん、と鼻息荒く、また歩き出した彼に後方から嘲笑も含めた雑音が聞こえる。
遠のいていくが、それでもアリスは忙しい。忙しない。下っ端仕事の覚えが早くなると、あっという間にこき使われる人材となったため、アリスもまた騎士団長がどれだけの時間を作る苦労を重ねてきたことか思いやることができた。これもまた大人になったと言える事柄だろうか? 当時は子供だったとはいえ、リディ様がなかなか孤児院へ来てくれなかったことへの不満で拗ねていた過去については恥じ入るばかりだ。
ふと、顔を上げる。眦さえも広がり、赤目の瞳孔も真ん丸になる。
身寄りのない彼を保護し、つらい目に遭ってきた彼の後見人にまでなった騎士団長は何も分かっていない。破顔しているアリスの笑みは、それこそ花の顔のように人目を惹くものであることを。
「リディ様!」
束ねた桃色の髪を乱してまで、かつての孤児は王城の一角を走り抜ける。
どれだけ月日を重ねても昔の気持ちがまたぶり返し、温かになっていく。
寂しさをどれだけ埋めてくれた人であったこととか、彼はまったくもって分かってはいないんだろう。この胸を締め付け、甘やかに喜ばせる事実さえも。
騎士団長が振り返り、アリスはますます笑みを深めた。
「アリス」
低く心地良い声に手を伸ばせば、必ず取ってくれる人。
彼の手はとても力強くて、熱くて。
僕の、祈りだ。




