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44<その後……教会での行い>

 一体、中で何が行われていたのか。


 あの鮮血。

痛ましくも血を流した証拠である。枷をつけ、逃げられないようにし、逞しいあの体を思う存分嬲ったのだ。聞くに耐えない、幼稚極まりない甲高い声で罵りながら…………心優しいかの御仁のことだ、甘んじて受け入れたのであろう。癇癪の虫を鎮めるために。

 蘇ってくるのは、リディ様の憂いを帯びた横顔。

ふとした瞬間の、あの目の下にある隈と同等の疲弊したご様子だ。


 「アリス、平気か?」

 「うん」


 醜悪極まりない懲罰部屋の扉をしっかりと閉じ、孤児たちが不用意に覗き込まないようにした。

三つ編み女子は長椅子に寝そべっていて、小さく唸っている。


 「……しっかし、騎士ってのは凄いものなんだな。

  国を守るためなら、捕虜を痛めつけてでもしてのけるんだから」


 壁に寄りかかっている僕に、同じ外から来た男の子は勘違いしたまま話しかけてくる。

騎士、の理想が詩人の紡ぐ物語のごとしな彼のことだ、恐らくだが捕虜を虐待してでも何らかの情報を引き出したと考えているんだろう。少し興奮気味だった。

 確かに捕虜の線もありうる。あの血だまり量からして何故身内である騎士が痛めつけられねばならないのか、と事情を知らない者からしてみれば僕の考え方はおかしなことだし彼の答えは至極当然でもある。

 (けど)

 ラナン・レイと、あの色男の騎士の発言がそんな僕の淡い期待を打ち砕く。

ぎりり、と僕は唇を噛み締める。

 (主君だから)

 かの少年、迷惑極まりない赤毛の王族が関与しているのは間違いなかった。

思えばリディ様と出会った時から、ずっと傍らにいて。

 僕を救う際も睨みつけてきてたし、騎士団と合流する合間も僕のことを敵視していた。あの幼さだもの、きっとお気に入りの騎士であるリディ様の関心を奪われて煮えくり返る、ってやつなんだろう。まさに餓鬼だ。クソ餓鬼だ。貴族の主でもあるわけだから、とんでもない我儘でも周囲の人々は受け入れざるを得ないのだ。

 問題は、大事な作戦の前でもどうして、そんな目にリディ様が遭わねばならないかということ。我儘にしては酷過ぎる。王都奪還よりも、あの主は騎士を痛めつけることに執着しているように感じた。そしてそれを諌めるべき騎士たちが甘んじて受け入れている。まるで約束事のように。リディ様ならば恐らく、大事な作戦の前にそんな体力を消費させるようなこと、やめさせるようにと促すだろう。大人だし、子供の身である赤毛の少年の行動を封じるぐらい、平気だろうに。そうはしなかった。

 どうして。

止めさせなかったのか。

 ……鮮烈な赤毛から覗く、青い双眸が僕を幻視した。

初めて会ったときから、あの少年は僕を敵視していた。それなのに、目こぼしをしたのは。

 (あ……)

 瞬間、僕は。まるで雷にでも打たれたかのように。察してしまった。

両手で思わず顔を覆う。

 (……嗚呼…………)

 悟った。

気付いたのだ、僕は。

 リディ様も今後の作戦があるというのに主君からの仕打ちを容認したのは、きっと僕のため。

作戦を大いに早めるためだった。

 (二人の若い騎士が言ってた……こと、か……)

 行動したのだ。

あの主、貴族の主君、王族である王都奪還の旗印である赤毛の少年に願い出た。

 そう考えると、すべてに決着がつく。はっきりとした。


 (あんな手紙を送ったばかりに、……僕のせいで)

 (もう少し待てば、でもそれだと飢え死にしていたかもしれない)

 (王都奪還作戦は遅々としていたかも)

 (でも)


 僕の、伏せた顔の奥に収まっている二つの暗い目はきっと赤黒く変色していることだろう。

変な汗がこんこんと湧いて出る。背中に、脇に。この小さな成長途中の身に。両手で二の腕を抱きしめるが、小刻みな震えは止まらない。


 今後についても、僕は思いを馳せる。

あの赤毛の王子はこれからもリディ様の邪魔を成さるだろう、と。

 (違いない)

 確信にも似たものが、僕の胸に黒々と渦巻く。


 「にしても、どうして司祭様の部屋さえも荒したんだろうか。

  騎士様がたの考えって分からない」

 

 伏せていた双眼を、僕は持ち上げる。

そこには、ぶつぶつと呟き続けるラビトがいた。微笑の聖女様に今でも祈りを捧げている。


 「……聖女様、だからかもね」

 

 きょとん、とした顔でいる正常な少年をしり目に、僕はあの赤毛の子の面立ちを思い浮かべる。

美しい顔をしてるくせして、狂った王子様を。

 




 のちに、ラビトは正気に戻った。

それはすごく、すごく気の遠くなるほどの時間がかかったものだが、当時のことを思い起こしながら細い目をして語ったものである。


 「あれほど微笑の聖女様を憎む尊き方は、

  この世界広しといえどいないでしょう」


 と。





 騎士様がたは無事、帰還したのはすぐのことであった。

他国の移民を、それも相当数の人数を抱えて帰ってきたため、てんやわんやの出来事としてアーディ王国の歴史の一ページと相成ったが、それでも、『聖なる国』を滅ぼし、『名も無き土地』にしたのはのちのち世界に知られることとなる狂王子の仕業として有名になる。


 僕は当時のことについてあまり記憶にないけれども、本当、あっという間の出来事ではあったよ。余所からしてみたら誰でもうっとりとする美貌を振り撒くのは、時期的にもあの頃からではあったように思う。すべてがつまびらかになってから。

 子供であったリヒター・アーディ・アーリィ王子はとにかく姿を、顔を隠すことに熱心であったから意外ではあったけれども。聖女様そっくりのそのお顔を晒すことにしたのは、かの王子のことだ、なんらかの意図があるんだろうなと考えている。タダで顔を晒すわけがない、あの気狂いは。いや色狂いは。

 その遠因と思しき僕と会ったが凶、であったと、あの王子本人も思っていることだろう。さぞ、いや、実に。

  

 僕は年長組として、孤児院を出ることになったのは王都のごたごたが落ち着いてからだった。

リディ様もその頃には近衛騎士としての立場どころか、ほぼ騎士団長としての仕事を成されておられた。行方不明になっていた王子様を見つけ出し連れ帰った功績もあるけれども、その幼い王子の護衛をずっとしてきて信任厚いのも理由のひとつなんだろう。しばらくして、王太子となったリヒター王子から騎士団長としての立場を与えられていたご様子だったけれども、たとえ位が上がったところで変わりなくお忙しそうな騎士様である。

 

 それでも、後見人としての立場を忘れずに。

リディ様は手紙で様子伺いを立てると、必ず前触れを出して訪れてくれた。

 (僕のために)

 孤児院を出て仕事の斡旋をお願いした時も、快く応じてくれた。

わざわざ愛馬を駆り、孤児院へと赴いてくれる姿に僕は胸がじわりと温かくなるけれども、もし知られでもしたらあの赤毛の王子が平然とした顔でいながら怒っているのが手に取るようにして分かるのでほくそ笑む。

 きっと伝えていないはずだ。今日、僕とリディ様が会うことを。

騎士様は案外と鈍感なお方だ。


 「リディ様……」

 「おお、アリス。

  大きくなったな」


 変わらぬ声で、僕の桃色の頭を撫でてくれる。

同じく口調、いつもと変わらない騎士様の手は熱くて。たまらない。

 ついつい嬉しくて、ぐりぐりと彼の手に縋りつくしてしまうものだった。


 「アリス、」


 アーディ王国では、挨拶という慣習がある。

それは、貴人あるいは目上の人の手をとり、そのお手に口づけを施すというものだ。

 貴族ならば当たり前の所作だが庶民でもする行為であり、家族、身内でも悲しいことや嬉しいことがあるとしてやる行為。習慣のようなものだった。

 僕は孤児院に入れられてから、ずっと。誰にもしていない。

しようと思った、仲良くなろうと思っていたラビトは聖なる国のあった土地へと旅立ってしまったし。

 僕には実質、ひとりだけ。

血の繋がりのない、けれどお人好しの騎士様だけが僕の救い。

 

 「リディ様、僕、挨拶をしたいです」

 「む」


 騎士様の眉頭が少し動いた、のが気になったけれど。

僕は、笑顔で彼の、その武骨な手の平を大事に受け取り、す、と吸い取るかのように口先を寄せた。

 彼の手は、ごつごつとした立派な骨の枠組みをしていた。もはや若者特有の瑞々しい皮を纏ってはいなかったが若々しさは残っていたし、好ましい感触が唇に伝わる。ぴくりと微動するリディ様の指の動きが愛らしい。

 僕の手はそんな彼に比べ年齢が年齢だ、まだまだ柔らかい。

何も知らない、苦労を知らない手だった。

でも。

 (僕の指はこれからはペンダコいっぱいできるし、

  リディ様のお役に立つ)

 すべすべな頬にもリディ様の大きな手の平をたっぷりと味わせてから、僕は、僕の騎士様に笑みを向ける。


※リディはこの挨拶が苦手です。

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