37<王都襲来⑦>
※ちょいちょい暴力的な描写があります。
反撃の機会を狙っていた僕だけど、
(あれ?)
妙なことに気付いた。
正直、相手の手の動きを意識することさえキモ過ぎて嫌なんだけど、その、変、だった。
いや、そもそもこんな夜に子供追いかける時点で変態なのは違いないんだけども、変質者のわりに目的がおかしかった。
服をめくられた瞬間(ああ、終わった。最悪。どうしよう。最低。なんでこんな目に)などと頭の中が真っ白になって嘆き、芯から震え上がるほどであったが、いや現在進行形で小刻みに震えてはいるんだけれども(殺される可能性はあるし、)不思議と頭の片隅が冷えてきたのだ。
というのも、想定していた事態に発展しなかったのである。
まず、でっぱりの背骨を撫でられ。その形を確かめているようだった。
(頭だって……)
桃色の後頭部をいじられたのも、頭蓋骨の具合を味わうかのようなものだった。
その際、僕は大いに暴れたからぶちぶちと頭の毛が数本抜けて涙目になったが。
(どういうこと?)
追いはぎにしては、僕の服装はあまりにも惨めなものだった。
売り払ってもお金にはならない。なら、僕の持ち物を狙う、というのが筋かもしれないが、ただの孤児である僕に金目のようなものがあるはずもなく。食べ物だってどこぞへと逃げ出す際に失われてしまった。
相手の目的がいまいち分からないので不安ばかりが先立つ。
指に力を入れて地べたを引っ掻き、泥を手の内側にため込んで固める。
ひりひりとする頬の擦り傷。土まみれだが、早く消毒したい。そのためには自由の身にならねば――――。
「う」
今度は、首の骨を狙われる。
見知らぬ人の両手で絞められ、思わずえずいてしまう。
(うう、駄目だ……)
太い血管が通っているし、息もしづらい。触って欲しくないところだ。
泥に顔を擦り付けてでも頭を振り、慌てて敵の手をとり外そうとあがくが、全然剥がれない。こんな実験のような扱いを受ける意味も分からず混乱し、幸いにして命を絶たせるには弱く絞め殺す意図はないようだったが、確かめるかのような指の押し込む仕草は少々、あくが強すぎた。少なくとも子供である僕の、この細い首に他人に手をかけられるなんてぞっとするほどのことで、大いに混乱せしめた。
目尻に涙が浮かぶ。
このままじゃ……。
瞳を細くしつつも、僕は純白の便箋を思い起こしていた。
……優しく撫でてくれた温かな手とあまりにも違いすぎる現実に、くたり、と我が身が本当に落ちてしまいそうだった。
あの手紙には、僕の言葉が綴られている。
「助け……」
は、と息をついたあたりで。
抑えられた首が解放されたことを知る。
何か、空気を裂くような音がしたのだ。
奇妙な敵兵の声、
「が!」
耳元で呻いたかと思えば。
急に、身体の上にあった重石がなくなる感覚がして、はっとして振り返る。
(あ、)
ひゅん、と。
またひとつ、風を切る音がした。
その素早いものの到達地点を視線だけで追いかけると、それは吹っ飛んだ敵兵の肩に突き刺さっている。
柄、のようなものが生えていた。
(ナイフ?)
小型の。
仰天し、肘をつかって上半身起こした状態のままでいると、
「殺すなグラウス!」
どこぞから、男の鋭い声が響く。
届いた声を僕の耳が捕捉した。
大いに眼を見開き、異変のあった水場を見やれば。
「……あ、」
幾人かの姿が、湖の中をも気にもせず突き進んでこちらへと向かってくる最中だった。
騒がしく水しぶきを上げる、明らかに騎士の恰好と思わしき身ばかりの者たちの群れであった。
大の男が腰あたりまで気にも留めず水に浸りながらこちらに走る姿は間違いなく、僕たちを目標とした動きだ。
その中のひとりに、視線が釘付けになる。
月の光に照らさる水面を白く泡立たせる、とある金髪碧眼の男。
「騎士様!」
声を上げてしまった。
誘われるかのように立ち上がろうとし、
「あぐ」
すっ転んでしまった。足に力が入らない。
衝撃により、ぴりっとした痛みが頬に走る。
先ほど黒づくめの男相手に大暴れしたので、体力もほとんどなくなってしまった。
「アリス!」
敵兵に向かう複数人の足音、その衝動を地べたで感じ取りながら、僕は、まさか。とか、嘘、とか。心に自然と浮かび上がる言葉ばかり、呟いていたと思う。
だらん、とした腕の、その先にある指先の爪が汚れているのをじっと見詰めていた。
そこに、水に滴る騎士様の靴が視界に飛び込んでくる。
(間違いない、これは夢じゃなくて)
「大丈夫か、アリス」
ぴくりとも動かず返事もまともによこさない僕のために、腰を落とした騎士様。
腕を背に回されて持ち上げられ、そつなく懐に抱かれる。
「あ……」
目と鼻の先に、懐かしき碧眼。
心配そうに、僕を覗き込んでいた。
「リディ様……っ」
「良かった。
見付けることができて……!」
どことはなしに、リディ様の瞳の、その美しい青緑が濡れて緩んでいるように見えた。
途端、僕の心は騎士様を心配させてしまったことへの後悔の念に支配される。
「ごめんなさい、騎士様……、
僕……僕、っ……」
「アリス」
「う、ううっ」
騎士様の胸にしがみつき、わんわんと泣いた。
怖かった、怖かったと同じ言葉を繰り返す僕に、うん、うんと肯いてくれるアーディの騎士様。
この国でもっとも忙しい人で、我儘な貴族に振り回されていて、後見人のくせしてちっとも顔を見せに来てくれないお方だけれど。
こうして頭を撫でてくれて、ちゃんと抱きしめ返してくれる騎士様に。安堵させようとしてくれるリディ様に、ますます縋りついてしまった。
「ああ、アリス。
……そうか、無事のようだな。
遠くからは首が絞められているように見えたが……、
どうだ、頸動脈は痛めてないか?
声は出ているようだが……。
うむ、頑張ったな……それでこそ男の子だ。
…………む?
少々の裂傷がある……ここでは簡単な手当ぐらいしかできんな。
ん? おいグラウス! きっちり縛っておけ。連れて行く!
…………ああ、すまないアリス。
私のせいでアリスまで濡れてしまってるな。
底が浅く渡れはしたものの突っ切って来たからな……。
よし、アリス、これを。
これは私が野宿に使っていた雨露凌げる布だ。
私のは厚みがあってごわごわとしていて少々扱い辛いかもしれんが……
我慢してくれ。
……あと少し臭うかもしれん。
先に言っておく。すまん。
ずっと露天泊まりだったからな。はは……。
嫌なら他のやつのを……そ、そうか。それなら良いが。
ん? 気になることがある?
…………どこへ行っていた、か」
騎士様は布に包まれた僕を抱えて歩き出した。
力強く持ち上げられたので僕は安心し頼り切っていた。
「王都は酷いありさま、か。
そうか、アリスは見てしまったのだな」
昔、助けてもらった時と同じように両手で僕を横抱きにして進む。あの頃と違うところとえば、僕の足がすらりと伸びていて、騎士様の腕に収まりきらなくなったというところか。
ぶらぶらと、泥が渇いた木靴が頼りなく揺れている。
リディ様の仲間であるらしい騎士たちは皆、僕を見て頬を緩め、そして騎士様に向けてにやりと笑って先導していく。
暗い夜の森の奥だというのに、彼らがいるだけで僕の心にぽっとランプが灯ったかのように、温かくなった。
「そうだな、それなら話しながら帰るとしよう。
ふふ、アリス。ずいぶんと大きくなったな……私も歳をとるわけだ」




