28.ダスレン
難産でした・・・。
「では、ウイデリー公爵夫人。私はまだ挨拶が出来ていない方々も多いのでこのへんで失礼いたします。申し訳ございませんが、サラサをお願いできますでしょうか?」
しばらく、サラサと公爵夫人の会話を聞いていたガイヤが程よい区切りを見極めてそう切り出してくる。
「あら。ごめんなさい。多忙なアルンバルト公爵の足を止めてしまいましたわね。サラサのことはわたくしにお任せなさい」
力強くそういう公爵夫人の返事にガイヤは軽く頭を下げてから、サラサに顔を近づけてそっと耳打ちをしてくる。
「サラサ。そろそろ夜会の主役が参られますよ。気を引き締めなさい」
サラサはそれを聞いてはっと我に返る。
ついイルおばさまの回復に我を忘れてしまったけれども、この夜会はあのソージュケル殿下の誕生と社交界デビューを祝うものであった。
おそらく、王妃の次に彼がダンスを申し込むのはサラサになるだろうとガイヤが言っていた。サラサとしたら全力でご遠慮申し上げたいものだが、そうなる可能性も確かにあるだろう。
私に構わずに他の令嬢たちと楽しく踊って下さればこちらとしてもありがたいのですけれどね・・・。
サラサはそんなことを考えつつも、いつも通りの隙を見せない笑顔の仮面を被りなおす。
そんなサラサの変貌ぶりを目撃してウイデリー公爵夫人はなにやら言いたげな表情をうかべたが、扇を広げて口元を隠しつつ小さくため息を付くだけにとどまった。
ガイヤはサラサの様子を確認してから、ディランになにやら耳打ちをし人が溢れる会場の中央へ足を進めていった。
残されたサラサはディランにガイヤから何を言われたのか聞くべきか思案していたが、結論に達する前に進行の声がかかる。
「静粛に!」
絶え間なく流れていた楽師たちの素晴らしい演奏が止まったかと思うと、会場の前の方より男性の声が聞えていた。
それを聞いて数百人の談話の声もピタリと止まり、その場が静まり返る。
「これよりオリエンデーン国王、レイデイン王様より今宵の挨拶がございます」
その声を合図に、正面の上段の奥にある扉が仰々しい音を立てながらゆっくりと開く。
会場のほとんどの視線がその開いた扉から姿を現した一人の壮年の男性に集まる。
黒と白の混ざった灰色の短い髪と、口を覆うようにある豊満な髭。目じりから口元までしっかりと皺が刻まれているにも関わらず、その灰褐色の色をした瞳の眼光、立派な体躯が微塵にも老いを感じさせるものでもなく、それでいて威風のようなものを見るもの全てに与えていた。
まさに王にふさわしい風格をしている。
事実、先王で現国王の兄であった故ヨハベ王の急遽により即位してから18年。一度も攻められることもなく攻めるものとなく、国の内政に力を注ぎ、公明正大な態度で国を繁栄させてきた。
その手腕は国外にも響き渡るほどのもので、まさに名君と呼ぶに相応しいお方であると誰もが認めている。
彼が会場に設置されている特別な椅子の前に付くと、一同はその方向に小さく頭を下げる。
サラサも扇に手を当てながら頭を下げていた。
レイデイン王は会場を軽く見渡してから挨拶をする。
「今宵は忙しい中これほどの者たちが我が愛すべき息子のために、集まってくれたことを心から感謝を述べる。知っての通り、我が二番目の息子であるソージュケルが先日に晴れて15歳を迎えることができた。上の息子の王子と共にこの国を支える礎とならんことを願いたい」
低くてよく通る声で今回の夜会の趣旨を説明し終わると進行の者を一瞥する。
「ソージュケル王子が参られます」
その声を合図にもう一度、扉が開く。金糸で柄を刺繍された白が主体の正装を着ている少年。グリーンにもブラウンにも見えるヘーゼルの瞳に輝く金色の髪。2週間ほどぶりのソージュケル王子である。前は襟ぐらいで真っ直ぐに切りそろえられていた髪形だったのに、すこし襟足と横髪は残す形で短く切られていた。そのせいかぐっと大人に近づいた容姿になっている。もう数年を待たずに立派な青年となることは間違いないだろう。いや、もうすでに数名の令嬢はそんな王子の姿に見惚れていた。
ソージュケル王子がレイデイン王の御前まで足を運び、王に一礼をした後会場のほうに身体を向ける。
「本日は私のためにこれほどの方が集まってくださり、ありがとうございます。おかげさまでこのように成人を迎えることができました。私は・・・・」
ソージュケル王子が少しの間、礼やらこれからの抱負などを述べる。
それはこれからの自分自身の立場からできる最大限のことなど具体的にあげており、政治に直接関わりを持たないサラサであっても彼の聡明さをありありと実感できる内容であった。自分にとっては正直もう関わりを持ちなくない人物であっても、目の前の少年が次世代を背負う王子であることを誇りに思ってしまう。
ナーデル王子を見ていないからわからないけれど、この王子を次期王にという声があがるのも頷けるわね。現王妃の子なのはソージュケル王子なんだから余計に。
サラサはこの国の常識を思い出す。
ナーデル王子とソージュケル王子は異母兄弟である。どちらも王妃の子であり嫡子である。だが、ナーデル王子の母は故マデリー王妃である。つまり、今のイザベ王妃は2番目の王妃だ。フローレ王女もイザベ王妃の子である。
そのせいもあって、ナーデル王子でなくソージュケル王子を圧す声があるのだ。
お兄様は常に中立の立場を保っているのだから、どちらがなられても問題はないのでしょうけどね。
サラサはガイヤがその継承争いに足を突っ込んでいないことを知っている。だからサラサとしてもあくまでも傍観者でいる予定だった。例の王子の嫌がらせのような誘いがなければ。
今日の夜会が終われば、当分こんな会に参加しないのだから。ジュリアンと遊んだり、ジュリアンといっしょに寝たり、ジュリアンと出かけたり・・・そうだわ。フローレ様とも仲良くなるんだから。
そんな妄想に頭を動かしていると前の方ですこしざわめきが起こる。
え・・・・。最初は王妃でしょ。なんでこちらに向かわれるの・・・。
内心で頭を抱えていながらも表情を変えずに口元に扇を当てながら、この事態を起こしている当事者が来るのを待つ。
サラサの眼の前で人が左右に分かれて道ができる。その道を先ほどまで演説をしていた少年が優雅に歩いてくる。
「サラサ嬢。どうか、私にダスレンの栄誉を下さい」
ソージュケル王子はそう言いながらサラサに手を差し出してくる。ダスレンとは夜会や舞踏会で最初に踊ることを意味する。この国独自の呼び名だ。それはある逸話が元になっている。
逸話とは昔の王がある国の姫を見初めて初対面で一番にダンスを申し込んだ。二人はお互いに心を奪われるが、姫はその当時たった一人の直系の王の子供であったために求婚を受け入れられなかった。
その時の姫の言葉が『貴方様にこの愛を捧げることはできません。わたくしには王族として責があります。ですが、わたくしの踊りのパートナーは永遠に貴方です。今度、たとえ他の者に嫁ぐことになりましょうが、他の誰とも踊らないことを誓いましょう』である。
その誓いを守り、国に帰った姫は頑なに踊りを拒んだ。それを知った父王は王妃の奇跡的な懐妊を機に、姫をこの国に嫁がせることを決意した。その姫の名前がダスレン妃である。
この国の者であれば誰もが知っている有名な話で、舞踏会などで『ダスレンの栄誉』といって最初にダンスを申し込むのが、慣例になっていた。昔は求愛も兼ねている節があったが、最近ではその者にとって一番親しみを感じている者に申し込むことになっている。だからたいていは婚約者で、いなければ身内に申し込むものだ。
そんな訳で最初に踊るのは王妃であろうと思っていたのだが、よく考えると王妃はこの会場に来られていなかった。むろん、まだ幼いフローレ王女もいない。
「光栄でございます」
王妃さま~。なぜいらっしゃらないの・・・。ダスレンで踊ることになれば否応なしに皆様の注目を浴びてしまうのに・・・・。
サラサは内心では悲鳴を上げながらも、薄く微笑みを浮かべ軽く腰を降ろしてから、ソージュケル王子の手を取る。
二人の様子を見ながら周りの貴族たちが二人を中心に円を描くように離れていった。
二人の手が触れ合ったのを合図に今まで停止していた楽曲がなめらかな始まりで流れ出す。そのリズムに合わせてサラサは王子の肩に手を当てて踊り出す。王子も練習の時以上にすばらしいリードをする。
通常であれば他の貴族たちも合わせるように踊り出すものだが、だれもが二人の踊りに心を奪われるように見続けていた。
王子の初めてでありながらすばらしい踊る様に令嬢たちが感嘆のため息を吐く。と、同時にその相手であるサラサを羨望の眼差しで眺めていた。
さらに、あまりこうした場に出席しない上に、めったに踊ることのないレッドスターの大輪のようなサラサの踊りを堪能しようと貴族たちもあえて自ら踊ろうとはしなかった。
やはりソージュケル王子、お上手だわ。でも、ここで目立つほどすばらしい踊りしなくていいのに・・・。おかげでだれも踊らないでこちらを見ているので色々な視線が痛すぎるわ。さっさと終わって~。どうしてよりによって長い『ゼン川のほとり』なのよ?『レンシュウ』や『星』なら短いのに・・・。
サラサは踊りつつ笑顔の仮面を王子に向けながら、心の中で楽師に八つ当たりをしていた。