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ファーストコンタクト

 午前九時。


 Rainbow日本支部基地、ブリーフィングルーム。


 壁一面の大型モニターには、ECHOチームの部隊章と隊員配置が表示されていた。長机の上には、各隊員の個人ファイルとタブレット端末が並んでいる。

 これから始まるのは、新人隊員と指揮官の顔合わせ。

 つまり、俺にとっては新人教育の始まりだ。

 ……正直、気が重い。任務ならいい。

 状況を把握し、必要な情報を整理し、判断を下す。やるべきことは明確だ。

 だが、人に何かを教えるとなると話は別だ。

 何を考えているのか分からない相手に、どこまで踏み込むべきなのか。どこまで厳しく接するべきなのか。

 何年やっても、こういうことには慣れない。

 俺はコーヒーを一口飲み、手元の資料を閉じた。そして、向かいに座る四人を見渡した。


 高橋恒一。コードネーム、HOUND。


 成瀬直人。コードネーム、SCRIBE。


 小川ひより。コードネーム、DAISY。


 白石澪。コードネーム、LUNA。


 最後の名前に目を向けた瞬間、ほんのわずかに呼吸が乱れた。

 ……落ち着け。彼女は美奈じゃない。

 何度も自分に言い聞かせてきた言葉を、もう一度、胸の中で繰り返す。

 目の前にいるのは、今日から俺の指揮下に入る新人隊員だ。

 それ以上でも、それ以下でもない。


「じゃあ、始めようか」

 俺が声をかけると、四人の背筋が伸びた。

 「まずは簡単に自己紹介をしてもらう。名前、コードネーム、得意分野。それから、Rainbowに入った理由。長くならない程度でいい」

 SCRIBEが眼鏡を押し上げる。

 「長くならない程度、というのは具体的に何分以内でしょうか?」

 「成瀬」

 「はい」

 「お前が一番短く話せ」

 「……了解しました」

 HOUNDが吹き出しそうになり、DAISYが口元を押さえた。

 俺も少しだけ笑った。こういうやり取りは嫌いじゃない。

 少なくとも、今はまだ、彼らは俺と同じ普通の若者なのだから。

 「じゃあ、そっちから。HOUND」

 

 1.HOUND


 「はい!」

 

 高橋恒一が勢いよく立ち上がった。

 

 「高橋恒一、コードネームHOUNDです! 元自衛隊員で、前衛とポイントマンを担当します!」

 声がブリーフィングルームに響く。

 ……元気なのは結構だが、少し声が大きい。

 「銃器や装備、部隊運用に関する知識には自信があります。Rainbowに入った理由は」

 HOUNDは一瞬、言葉を切った。

 「日本で本物の特殊作戦部隊に入れるなら、行くしかないと思ったからです!」

 「……なるほど」

 「それと、GALE隊長の指揮するチームに配属されたと聞いて、正直かなり興奮しています!」

 「俺のことを知っているのか?」

 「もちろんです! これまでの作戦記録や公開されている経歴は一通り――」

 「公開されている範囲で、だな?」

 「はい!」

 「ならいい。機密情報を勝手に調べるのはやめておけ」

 「了解です!」

 HOUNDは勢いよく敬礼し、着席した。

 知識があるのは悪いことじゃない。

 ただ、知識があることと、現場で正しい判断ができることは別だ。

 その違いを、これから覚えてもらう必要がある。


2.SCRIBE


「次、SCRIBE」


 成瀬直人が立ち上がる。


「成瀬直人、コードネームSCRIBEです。情報分析、状況評価、戦術立案を得意としています」

 HOUNDとは対照的に、落ち着いた話し方だった。

 「自分の強みは、複数の情報から状況を推測し、合理的な判断を導き出す能力だと考えています。Rainbowに入った理由は、個人の能力だけでは解決できない問題を、組織的な情報処理と戦術運用によって――」

 「成瀬」

 「はい?」

 「簡単に言うと?」

 SCRIBEは数秒黙った。

 「……頭を使う仕事が得意です」

 「最初からそう言えばいい」

 「……今後の参考にします」

 隣でHOUNDが肩を震わせている。

 「お前、絶対友達少ないだろ」

 「君に言われたくないね」

 「何だと?」

 「二人とも」

 俺が声をかけると、二人は同時に口を閉じた。

 「その調子で任務中も口論するつもりなら、訓練内容を考え直すぞ」

 「申し訳ありません」

 「すみません、隊長」

 返事まで揃う。

 ……こいつら、案外相性がいいのかもしれない。

 少なくとも、退屈はしなさそうだ。


3.DAISY


「次はDAISY」

 「はい!」

 

 小川ひよりが立ち上がる。

 

 「小川ひより、コードネームDAISYです! チームのサポートと救護補助を担当します!」

 明るい声だった。

 「Rainbowに入った理由は……お給料がいいからです!」

 室内が静かになった。

 HOUNDが目を丸くする。

 SCRIBEは眼鏡の奥から、まじまじと彼女を見た。

 ひよりは少し慌てたように付け加える。

 「あっ、もちろん、それだけじゃありません! 家族に楽をさせてあげたいんです。だから、危険な仕事だということも分かっていますし、訓練も真面目に頑張ります!」

 俺は頷いた。

 「理由は何でもいい。自分が何のためにここにいるのか、忘れなければな」

 

 ひよりの胸が、わずかに詰まった。

 理由は何でもいい。

 そう言ってもらえたことが、意外だった。

 もっと立派な志を求められると思っていた。家族のために金が必要だなんて、危険な特殊部隊に入る理由としては軽すぎるのではないか。そう考えて、ここに来てから何度も自分を責めていた。

 けれど、隊長は笑わなかった。

 否定もしなかった。

 ただ、自分が何のためにここにいるのかを忘れるなと言った。

 その言葉が、ひよりの中に静かに染み込んでいく。

 「……はい!」

 

 「ただし、家族のためだからといって、無茶をするのは認めない。自分が倒れたら、助けられる人間まで助けられなくなる」

 

 ひよりの表情が引き締まった。

 家族を助けたい。

 そのためなら、自分が傷つくことも、危険な場所に立つことも覚悟していた。

 だが、自分が倒れれば、誰かを助けるどころか、仲間の負担になる。

 そんな当たり前のことを、今まで本当の意味では考えていなかった。

 隊長の言葉は厳しい。

 けれど、突き放しているわけではない。

 無茶をするなと言いながら、その奥では、自分の命も守れと言っている。

 ひよりは初めて、ここで生き残ることも家族のためになるのだと気づいた。

 「分かりました」

 「よし。よろしく、DAISY」

 「よろしくお願いします、隊長!」

 彼女は笑顔で着席した。


 家族のため。自分のため。

 理由は違っても、ここにいる以上、彼らは同じ危険に向き合うことになる。

 だからこそ、全員に生きて帰ってほしい。

 ……それだけは、絶対に譲れなかった。


4.LUNA


「最後。LUNA」


 白石澪が静かに立ち上がった。


「白石澪です。コードネームはLUNA。ブリーチングを担当します」

 短い自己紹介だった。

 「以上です」

 「Rainbowに入った理由は?」

 俺が尋ねると、彼女の視線がこちらを向いた。

 一瞬。ほんの一瞬だけ、空気が張り詰めた気がした。

 「……自分の能力を、必要とされる場所で使いたかったからです」

 「それだけか?」

 「はい」

 嘘だ。直感的にそう思った。

 だが、理由を問い詰めることはしなかった。

 ここはブリーフィングルームだ。彼女の事情を聞き出すための場所ではない。

 「分かった。よろしく、LUNA」

 「……よろしくお願いします、隊長」

 彼女は着席した。

 俺は、その横顔から目を離した。

 美奈に似ている。だが、彼女は美奈ではない。

 そのことを忘れないように、俺は手元のコーヒーを一口飲んだ。

 少し冷めていた。

 ……まあ、いい。

 どうせ、これからもっと面倒なことになる。


5.GALE


「じゃあ、次は俺だな」


 俺は椅子から立ち上がった。


 新人たちの視線が集まる。

 「高城玲。コードネームはGALE。ECHOチームの隊長を務めている」

 四人を順番に見た。

 「主な仕事は、作戦の立案と現場での指揮。それから、お前たちを生きて帰すことだ」

 HOUNDが真剣な表情で頷いた。

 SCRIBEは黙ってこちらを見ている。

 DAISYは少し緊張した様子で背筋を伸ばした。

 LUNAは、相変わらず俺を見つめていた。

 その視線が、妙に気になった。

 敵意があるわけではない。

 だが、ただの新人が隊長を見る目とも違う。

 何かを探っている。

 俺の過去か。

 美奈のことか。

 考えすぎだと思いたかった。

 「俺は、無意味に隊員を危険にさらすつもりはない。必要な訓練は徹底的にやるし、判断を間違えれば指摘する。だが、失敗したことだけを理由に、お前たちを責めるつもりもない」

 俺は一度、言葉を切った。

 「失敗したなら、原因を考えろ。次に同じことを繰り返さないために何が必要なのか、自分で考えて、仲間と話し合え」

 

 澪は、膝の上で指をわずかに握り込んだ。

 失敗したなら、原因を考えろ。

 その言葉は、彼女の胸に重く落ちた。

 姉を失ったあの日から、澪は何度も同じ問いを繰り返してきた。

 なぜ、もっと早く動けなかったのか。

 なぜ、姉のそばにいなかったのか。

 なぜ、自分だけが生き残ったのか。

 答えは、いまだに見つかっていない。

 けれど、隊長は失敗を責めるのではなく、次に繰り返さないために考えろと言った。

 それは、過去を忘れろという意味ではない。

 過去に縛られたまま立ち止まるなという意味なのかもしれない。

 そんなふうに受け取ってしまった自分に、澪は戸惑った。

 この男の言葉を、信じてはいけない。

 そう思っているはずなのに。


 俺は、少しだけ声を落とした。

 「ただし、一つだけ覚えておいてほしい」

 四人の表情が変わった。

 「俺たちは、敵に畏怖されなければならない」


 HOUNDがわずかに眉を動かした。

 DAISYは不安そうに俺を見つめる。

 SCRIBEは、言葉の意味を測るように黙っていた。

 

 澪も、隊長の横顔を見つめた。

 敵に畏怖されなければならない。

 その言葉だけを聞けば、力で相手をねじ伏せろと言っているようにも聞こえる。

 だが、彼の声には、誇示したい者の熱はなかった。

 むしろ、何かを失った人間の重さがあった。

 澪は、その重さに気づいてしまった。

 この人は、ただ強さを語っているわけではない。

 強くなければ守れなかった誰かを、今も心の中で悔やんでいる。

 そう思った瞬間、胸の奥に小さな痛みが走った。


 自分と同じなのかもしれない。

 

 そう考えかけて、澪はすぐにその考えを打ち消した。

 同じであってたまるものか。

 姉を失った痛みを、誰かと共有したいわけではない。


 俺は続けた。

 「俺たちが現れた時、敵に考えさせるんだ。こいつらを相手にすれば、計画は簡単には進まない。人質を盾にしても、無関係な人間を脅しても、思いどおりにはならない。そう思わせる必要がある」

 俺は、全員の顔を見渡した。

 「敵が俺たちを恐れることで、引き金を引く前に思いとどまるなら。それによって、誰かの命が救われるなら。その恐怖には意味がある」


 澪は、無意識に息を止めていた。

 恐怖には意味がある。

 その言葉が、彼女の中で何度も反響する。

 姉を奪った相手にも、恐怖を与えられていたら。

 自分がもっと強ければ。

 もっと早く、もっと冷静に動けていたら。

 あの日の結末は変わっていたのだろうか。

 そんな考えが浮かび、澪は唇を噛んだ。

 違う。今さら、そんな仮定に意味はない。

 それでも、隊長の言葉は、彼女が抱え続けてきた後悔に触れていた。


 俺は、昔の自分を思い出していた。

 かつての俺も、同じことを信じていた。

 敵を圧倒する力があれば、仲間を守れる。

 敵に恐れられる存在になれば、無駄な犠牲を減らせる。

 そう信じて、戦い続けてきた。

 だが、どれだけ力を身につけても、守れなかった命があった。

 その現実を、俺は今でも受け入れきれていない。


 澪は、隊長の表情を見つめた。

 その目に浮かんだ痛みを、見間違えることはできなかった。

 自分も、同じ目をしているのだろうか。

 姉を失ったあの日から、鏡を見ることは減った。

 自分の顔に何が残っているのか、知りたくなかった。

 けれど、目の前の男の横顔を見ていると、自分の中にも同じような傷があるのだと突きつけられる。


 それが不快だった。


 同時に、ほんの少しだけ安心してしまった自分が、もっと不快だった。


「それから、もう一つ」

 俺は静かに続けた。

 「この仕事では、誰かが汚れなきゃならない時がある」

 DAISYが小さく息を呑んだ。


 澪も、胸の奥が冷たくなるのを感じた。


 汚れる。

 その言葉は、彼女にとって他人事ではなかった。

 姉を失った後、澪は何度も自分を責めた。

 もっと冷酷になれればよかった。

 もっと迷わなければよかった。

 誰かを傷つける覚悟があれば、姉を守れたのかもしれない。

 そう思いながら、ここまで来た。


「誰かが嫌われることもある。誰かが批判されることもある。誰かが、誰にも理解されない判断を下さなきゃならない時もある」

 俺は、自分の手を見た。

 この手で、仲間を救えなかった。

 この手で、守りたかった人を失った。

 そして今も、同じことを繰り返すのではないかと恐れている。


 澪は、隊長の手に視線を落とした。

 大きく、傷の残る手だった。

 その手が、誰かを救えなかったのだという。

 その言葉を聞いた瞬間、澪の胸に奇妙な感情が生まれた。

 同情ではない。

 そんな資格は自分にはない。

 けれど、彼もまた、守れなかった人を抱えたまま戦っている。

 その事実が、彼女の中にあった警戒心をわずかに揺らした。


「……誰かがその責任を負わなきゃならないなら、俺は逃げない」

 四人は黙っていた。


 澪は、隊長の言葉を聞きながら、胸の奥に苦いものが広がるのを感じていた。


 逃げない。


 その言葉を、かつて自分も何度も心の中で繰り返した。

 姉を失った責任から逃げない。

 自分だけが生き残った罪悪感から逃げない。

 だから、ここに来た。

 けれど、本当は逃げているだけなのかもしれない。

 過去から逃げる代わりに、戦場へ向かっているだけなのかもしれない。


「だが、勘違いするな。自分を犠牲にすることが正しいと言っているわけじゃない。何でも一人で背負うことが、責任を取ることだとも思っていない」


 澪の指先が、わずかに震えた。

 その言葉は、まるで自分に向けられているようだった。

 自分を犠牲にすることが正しいわけではない。

 姉を守れなかった自分が、危険な任務に身を投じ続けることに、どんな意味があるのか。

 

 死ねば、罪を償えると思っていたのかもしれない。

 けれど、隊長はそれを否定した。

 死ぬことではなく、生きて責任を負えと言っている。


 その考えに、澪は反発した。


 同時に、心の奥では、誰かにそう言ってほしかったのだと気づいてしまった。


 俺は、口にした言葉を自分自身にも突き刺さるように感じていた。

 ……本当にそう思っているのか。

 誰かに責任を分けることができるのか。

 仲間に頼ることができるのか。

 正直、まだ自信はなかった。

 それでも、今は隊長として、彼らに伝えなければならない。

 「俺の判断が間違っていると思ったら、言ってくれ。階級も経験も関係ない。理由があるなら、遠慮せずに意見を出せ」


 澪は、わずかに顔を上げた。

 ――自分の判断が間違っていると思ったら、言え?


 隊長の判断に異議を唱えてもいい。

 階級も経験も関係ない。

 そんなことを、指揮官が本当に言うのか。

 もし、あの日に誰かが姉の判断を止めていたら。

 もし、誰かが自分の判断を疑ってくれていたら。

 結果は変わっていたのだろうか。

 考えても、答えは出ない。

 それでも、隊長がそう言ったことだけは、澪の中に残った。

 この人は、絶対に正しい自分を演じているわけではない。

 間違う可能性を認めている。

 その弱さを、隊員の前にさらしている。

 それが、澪には不思議だった。

 そして、少しだけ怖かった。

 そんな人間を信じてしまえば、また失った時に、今度こそ立ち上がれなくなる気がした。


 俺は、その言葉を自分自身にも言い聞かせるように、心の中で繰り返した。

 俺の判断が間違っていると思ったら、言ってくれ。

 そう言える人間でありたい。

 仲間の意見を聞き、必要なら自分の判断を改められる人間でありたい。

 だが、実際にそれができるのかは、まだ分からない。

 それでも、彼らには伝えておかなければならなかった。

 「最後に、怖がるなとは言わない」

 俺は話を締めくくるように言った。

 「銃口を向けられれば怖い。仲間が倒れれば動揺する。自分が死ぬかもしれないと思えば、逃げたくもなる」

 HOUNDが、真剣な顔で頷いた。


 澪は、膝の上で手を握りしめた。


 怖い。


 その感情を、彼女はずっと認めないようにしていた。

 姉を失ったことが怖い。

 また誰かを失うことが怖い。

 自分が何もできないまま、誰かの死を見届けることが怖い。

 だから、怖くないふりをしていた。

 冷静でいなければならない。

 強くなければならない。

 そう思い込むことで、どうにか立っていた

 

 「恐怖を感じるのは当たり前だ。大事なのは、怖くないふりをすることじゃない。怖いと認めたうえで、何をすべきか考えることだ」


 澪の胸の奥で、何かが静かに崩れた。


 怖いと認めてもいい。


 その言葉は、彼女がずっと欲しかった許しに近かった。

 恐怖を認めれば、弱くなると思っていた。

 けれど、隊長は違うと言う。

 怖さを抱えたままでも、考え、動くことはできる。

 それなら、自分もいつか、姉を失った恐怖を抱えたまま前に進めるのだろうか。

 澪は、そんな期待を抱きかけた自分を、すぐに戒めた。

 期待してはいけない。

 信じてはいけない。

 それでも、隊長の声は、彼女の心の奥に残り続けた。


 俺は四人を見つめた。

 「それから、仲間が怖がっている時は笑うな。臆病者と決めつけるな。必要なら声をかけろ。手を貸せ。自分一人で抱え込ませるな」


 澪は、わずかに目を伏せた。


 自分一人で抱え込ませるな。


 その言葉が、胸に刺さった。

 姉を失った後、誰かに助けを求めたことはなかった。

 周囲が心配して声をかけてくれても、大丈夫だと答えた。

 大丈夫なはずがなかった。

 けれど、弱さを見せれば、誰かに踏み込まれる。

 踏み込まれれば、失ったものの大きさを知られてしまう。

 だから、ずっと一人で抱えてきた。

 隊長は、それを許さないと言っている。

 仲間に手を貸せ。

 仲間にも手を貸させろ。

 そんな関係を、澪は知らなかった。


 俺は、自分で言っていて耳が痛くなった。

 俺自身が、一番それをできていないのだから。

 仲間が傷つけば、助けに行く。

 仲間が苦しんでいれば、力になろうとする。

 けれど、自分が苦しい時には、誰にも何も言わない。

 自分が全部背負えばいい。

 ずっと、そう思ってきた。

 それが正しいのかどうか、今でも分からない。


 澪は、隊長の横顔を見た。

 彼もまた、自分と同じように、誰にも助けを求められない人間なのかもしれない。

 そう思うと、胸の奥がわずかに痛んだ。

 この人は、仲間に一人で抱え込むなと言いながら、自分自身は何を抱えているのだろう。

 その疑問が、初めて彼女の中に生まれた。

 知りたいと思ったわけではない。

 ただ、気になった。

 それが、澪にとっては危険な変化だった。


「俺は、お前たちを絶対に無傷で帰せるとは約束できない」

 最後に、俺ははっきりと告げた。

 「だが、生きて帰すために全力を尽くす。だから、お前たちも自分と仲間の命を守ることを、決して諦めるな」

 静寂が落ちた。


 澪は、胸の奥でその言葉を繰り返した。


 生きて帰すために、全力を尽くす。


 絶対に無傷で帰せるとは言わない。

 都合のいい約束をしないところが、かえって信頼できるように思えた。

 姉を失ったあの日から、澪は誰かの約束を信じることができなくなっていた。


 絶対に大丈夫。

 必ず守る。


 そんな言葉が、どれほど簡単に崩れるのかを知っている。

 だからこそ、隊長の不器用な言葉が、彼女の心に残った。

 生きて帰すために全力を尽くす。

 それは約束ではない。

 覚悟の言葉だった。


 やがて、HOUNDが大きく頷く。

 「了解しました、隊長!」

 「……よろしくお願いします」

 SCRIBEも、いつになく真面目な声で答えた。

 「はい!」

 DAISYが続く。

 そして、LUNA。

 「……了解しました」

 彼女の声は静かだった。

 けれど、その返事を口にした瞬間、澪は自分が何かを受け入れてしまったような気がした。

 この人の指揮下に入ること。

 この人の判断に従うこと。

 そして、必要なら自分の判断を、この人に伝えること。

 姉を失った過去を抱えたままでも、ここで戦うこと。

 まだ、信じたわけではない。

 許したわけでもない。

 それでも、ほんの少しだけ、この人の背中を見ていてもいいと思った。


 俺は頷き

 「よし。自己紹介はここまでだ」

 タブレットを操作し、壁のモニターに訓練スケジュールを表示する。

 「これから、訓練場へ移動する」

 四人が立ち上がる。

 椅子が引かれる音が、ブリーフィングルームに響いた。

 

 澪も立ち上がった。

 その視線は、無意識に隊長の背中を追っていた。


 高城玲。


 コードネーム、GALE。


 姉を失った自分が、これから従うことになる男。

 彼が何を背負っているのか、澪にはまだ分からない。

 自分の過去を知っているのかも分からない

 ただ一つだけ、確かなことがあった。

 この人は、誰かを失ったことがある。

 そして、その痛みを抱えたまま、誰かを生きて帰すために立っている。

 それが、澪には少しだけ眩しく見えた。


 俺は彼らの姿を見つめながら、胸の奥で小さく呟いた。

 ――どうか、誰も失わずに済みますように。


 澪は、その言葉を聞いたわけではなかった

 それでも、隊長の背中から、同じ願いが滲み出ているように感じた。


 誰も失いたくない。


 その願いが、どれほど脆く、どれほど残酷なものなのかを、澪は知っている。

 願うだけでは、誰も救えない。

 だからこそ、彼女は歩き出した。

 もう一度、誰かを失うかもしれない場所へ。

 それでも、今度は何もできないまま立ち尽くしたくなかった。


 俺も歩き出した。

 願うだけでは、誰も救えない。

 だから俺は、彼らを鍛える。

 敵に畏怖されるために。

 仲間を生きて帰すために。


 ――ECHOチーム、始動。

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