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チームから外してくれ

 新人隊員たちとの顔合わせまで、あと三十分。

 俺は総司令官室の前に立っていた。

 右手には、今日からECHOチームに配属される隊員たちの名簿がある。

 何度も確認した。

 名前も、経歴も、訓練成績も。

 隊長として、事前に把握しておくべき情報はすべて頭に入っている。

 それなのに、たった一人の名前だけが、どうしても頭から離れなかった。


 白石 澪。


 コードネーム、LUNA。


 俺の元婚約者――白石美奈の妹。

 名簿に記載された名前を見つけた時、最初は何かの間違いだと思った。

 同姓同名かもしれない。

 人事部の入力ミスかもしれない。

 そうであってほしいと、どこかで願っていた。

 だが、添付された顔写真を見た瞬間、その期待は消えた。

 美奈に似ていた。

 あまりにも、似すぎていた。

 もちろん、別人だ。

 髪型も違う。表情も違う。目に宿る感情も、きっと違う。

 それでも、写真を見た瞬間に息が止まった。 もう二度と会えない人間の面影が、突然、目の前に現れたような気がした。

 俺は名簿を握り直した。

 ……何を考えているんだ、俺は。

 隊員の配置は、個人的な感情で決めるものじゃない。

 そんなことは分かっている。

 それでも。

 もし彼女が俺のチームに配属されれば、俺は彼女に命令を出すことになる。

 危険な場所へ行かせることもある。

 撤退を命じることも、誰かを救うために彼女を危険にさらす判断を迫られることもあるだろう。

 そして、もしも彼女が目の前で倒れたら。

 

 ……俺は、今度こそ耐えられるのだろうか。

 

 答えは出なかった。

 俺は短く息を吐き、扉をノックした。

 「入れ」

 聞き慣れた低い声が返ってくる。

 扉を開けると、机の向こうに父――ジャック・高城が座っていた。


 コードネーム、BIG HORN。


 Rainbow日本支部の総司令官であり、俺の父親でもある男だ。

 父は書類から顔を上げた。

 「どうした、GALE。新人の受け入れは今日だったな」

 「はい。その件で、お願いがあります」

 「珍しいな。お前が俺にお願いとは」

 「……人事の話です」

 「座れ」

 俺は向かいの椅子に腰を下ろした。

 父の前では、いつだって言葉を選ばなければならない。

 総司令官としての父は、俺が誰よりもよく知っている。

 息子だからといって、特別扱いはしない。

 むしろ、ほかの隊員より厳しく評価する。

 それでいいと思っていた。

 俺自身、特別扱いを受ける資格があるとは思っていない。

 だからこそ、今日の申し出をどう説明するべきか、まだ迷っていた。

 「白石澪を、別のチームに配置していただけませんか」

 父の手が止まった。ほんの一瞬だ。

 「……理由は?」

 「俺のチームには適していません」

 「具体的には?」

 「……」

 「訓練成績は優秀だ。ブリーチングの適性も高い。射撃と状況判断にも問題はない。人事部の評価を見る限り、ECHOへの配属は妥当だと思うが」

 「分かっています」

 「なら、なぜだ?」

  言葉が詰まった。

  適性に問題はない。

  能力にも問題はない。

  ほかのチームに移さなければならない、合理的な理由など存在しなかった。

  俺自身が、それを一番よく分かっている。

  それでも、口を開いた。

  「……俺の指揮下に置くべきではありません」

  「それは隊長としての判断か?」

  「……はい」

  「なら、隊長として説明しろ」

  父の視線が、まっすぐ俺を捉えた。

  逃げ道を塞ぐような目だった。

  昔からそうだ。

  俺が何かを隠そうとすれば、父は決まって、俺が最も答えたくない質問をする。

  「彼女に問題があるのか?」

  「ありません」

  「お前に問題があるのか?」

  「……」

  答えられなかった。

  父は小さく息を吐いた。

  「玲。俺はお前の父親だ。お前が何を考えているのか、すべて分かるとは言わん」

  父の声が少しだけ低くなる。

  「だが、今のお前がまともな説明をしようとしていないことくらいは分かる」

  ……参ったな。

  こういう時、父は本当に面倒くさい。

  適当に理由をつけて押し切ることもできない。

  相手が総司令官でなければ、もう少し楽だったのだろう。

  いや。

  相手が父だからこそ、こんな話を持ち込んだのかもしれない。

  自分でも認めたくない気持ちを、誰かに見抜いてほしかったのかもしれない。

  そんな考えが浮かび、俺はすぐに打ち消した。

  「……白石澪は、俺の知っている人間に似すぎています」

  父は何も言わなかった。

  「顔だけじゃありません。訓練映像を見た時、一瞬、見間違えました」

  言葉にしたくなかった名前が、喉の奥につかえる。

  それでも、続けた。

  「……美奈です」

  部屋の空気が、わずかに重くなった気がした。

  父は、あの日のことを知っている。

  俺が何を失ったのかも。

  何を守れなかったと思い込んでいるのかも。

  そして、俺が今でもその場所から動けずにいることも。

  「彼女は美奈じゃない」

  「……分かっています」

  「なら、なぜ避ける?」

  「避けているわけじゃありません」

  「ほう」

  父の眉がわずかに動いた。

  「では、なぜ配置を変える必要がある?」

  ……本当に、嫌になる。

  言い逃れができない。

  俺は膝の上で拳を握った。

  「……死なせたくないんです」

  ようやく、それだけを口にした。

  隊長としての理由でも、総司令官を説得するための理由でもない。

  ただの本音だった。

  「俺のチームに入れば、俺が彼女を指揮します。俺の判断で危険な場所へ送り出すことになる」

  「それは、お前の仕事だ」

  「分かっています」

  「危険な任務から隊員を完全に遠ざけることなどできない」

  「……はい」

  「それでも配置を変えたいのか?」

   俺は答えた。

   「……はい」

   父はしばらく黙っていた。

   その沈黙が、ひどく長く感じられた。

   「玲」

   「はい」

   「お前は、彼女を守りたいのか?」

   「そうです」

   「それとも、また誰かを失う自分を見たくないのか?」

   胸の奥が、嫌な音を立てた気がした。

   俺はすぐに答えられなかった。

   彼女を守りたい。

   それは嘘じゃない。

   だが、それだけなのか。

   もし彼女が俺の目の前で倒れたら。

   もし、美奈と同じように、俺の手が届かないところで命を落としたら。

   また、あの日の光景が繰り返される。

   また、自分だけが生き残る。

   ……違う。

   俺は彼女を守りたいんだ。

   そう思おうとした。

   けれど、父の目を見ていると、それだけではないことを認めざるを得なかった。

   俺は怖いのだ。

   もう一度、誰かを失うことが。

   そして、その時に何もできない自分を知ることが。

   「……両方かもしれません」

   自分の声が、思ったより小さく聞こえた。

   父は否定しなかった。

   慰めもしなかった。

   ただ、静かに言った。

  「彼女は一人の隊員だ」

  「……はい」

  「お前の過去を埋めるための存在じゃない。お前が守り続けなければならない対象でもない」

  「分かっています」

  「本当に分かっているなら、彼女自身を見ろ」

   父は机の上の配置表を指した。

  「彼女は、自分の意思でここに来た。自分の能力を認められ、ECHOに配属された。なら、お前がするべきことは、彼女を遠ざけることじゃない」

  「……」

  「隊長として、彼女を一人前の隊員に育てることだ」

   俺は配置表を見つめた。

   白石澪。

  その名前の向こうに、美奈の面影が浮かぶ。

  消そうとしても、消えない。

  忘れようとしても、忘れられない。

  だが、目の前にいるのは美奈ではない。

  俺は、その事実から目を逸らしていた。

 「……配置変更は、認められないということですか」

 「そうだ」

  父の返答は明確だった。

 「白石澪は予定どおりECHOに配属する」

 「……了解しました」

 「それと、もう一つ」

 立ち上がろうとした俺を、父が呼び止めた。

 「お前は新人教育を嫌がっていたな」

 「……否定はしません」

 「なら、なおさら最後まで責任を持て」

 「善処します」

 「善処ではない。命令だ」

 「……了解しました、総司令」

 思わず、ため息が出そうになった。

 初日から面倒なことになった。

 新人教育だけでも厄介なのに、その中に、死んだ婚約者の妹がいる。

 しかも、俺が何も知らないと思っているのか、それとも知っていて来たのか。

 彼女の本当の目的は、まだ分からない。

 ……いや。

 知りたくないのかもしれない。

 俺は配置表を手に取り、扉へ向かった。

 「玲」

 再び呼び止められる。

 振り返ると、父は真剣な顔で俺を見ていた。

 「お前は、あの日からずっと自分を責めている」

 何も言えなかった。

 「だが、自分を罰し続けることと、責任を果たすことは違う」

 胸の奥が、静かに痛んだ。

 父は、俺を責めているわけではない。

 それが分かるからこそ、苦しかった。

 自分でも分かっているのだ。

 どれだけ自分を責めたところで、美奈は戻らない。

 何度眠れない夜を過ごしても。

 何度、あの日の夢を見ても。

 何度、自分の判断をやり直しても。

 過去は変わらない。

 それでも、俺はやめられなかった。

 「……分かっています」

 そう答えるのが精いっぱいだった。

 俺は敬礼し、総司令官室を出た。


     *

 廊下に出ると、冷たい空気が頬に触れた。

 壁に背を預け、ゆっくりと息を吐く。

 手元の配置表を見下ろす。

     白石澪。

 コードネーム、LUNA。

 「……よりによって、か」

 小さく呟いた。

 彼女は美奈じゃない。

 頭では分かっている。

 それでも、彼女の顔を見た時、俺は一瞬だけ、あの日より前の世界に戻れたような気がした。

 美奈が生きていた頃。

 任務から帰れば、彼女が待っていた。

 くだらない話をして、コーヒーを飲んで。

 戦場のことを忘れていられる時間があった。

 いつか、こんな生活を続けられたらいいと思っていた。

 だが、その未来は失われた。

 俺が生き残り、彼女が死んだ。

 

 それだけのことだ。

 ……それだけのことなのに。

 今でも、あの日の雨の匂いを思い出す。

 俺は目を閉じた。


 駄目だ。


 もうすぐ新人たちとの顔合わせが始まる。隊長として、彼らの前に立たなければならない。

 過去を引きずった男ではなく、彼らの命を預かる指揮官として。

 俺は背筋を伸ばし、配置表を折り畳んだ。

 「……仕事だ、玲」

 自分に言い聞かせる。

 そして、ブリーフィングルームへ向かって歩き出した。

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