隻眼の魔人③
視界がぼやける。
体に対するダメージは無視できないが、重症というほどでもない。
しかし、脳がゆれた事実は問題だ。
思考もままならず、体が言うことを聞かない。
耳にはキーンとした音だけが響き、絶望感が全身を蝕んでくる。
立て、立て立て立て私。
まだ、まだ私は負けてな
「い”っっ!!!!」
「ほらほらどうしタ~?さっきまでの威勢はどうしたんだヨ。ほれ、なんとかいてみロ」
「がああああ!!!」
伸ばした左手に強烈な痛みが走った。
ぼやけた視界に映ったのは、魔人の黒い足に左手が踏みつぶされているという事実だけ。
屈辱的な光景に怒りが湧き上がり、再び瞳に闘志を灯す。
「アァ?そうだよ、そうさ、そう来なくっちゃナァ!散々オレを煽ってくれたんだ。まだまだ楽しませてくれヨォ?......ん?ちょっと待テ」
嬉しそうに口角を上げた魔人だったが、まじまじと私の顔を見て眉を下げた。
まるで、私の顔に心当たりがあるように。
「お前の顔どっかデ......あっ、あんときのガキカァ?......ガハハハハハっ!!じっくり見るまで気づかなかったが確信したゼ!あいつと顔そっくりなんだもんナァ!!」
「.......っ!!あ...いつって......だれの...こと」
「あいつだよあいつ。俺のこの目をやってくれやがっタ、あのくそ野郎の顔そっくりだって言ってんだヨ!」
ずいっと顔を近づけると、閉じた左目を見せつけてきた。
その傷は、私の父が付けたものだ。つまり、この魔人はあの時の個体と同一......
「その顔だよその顔!生意気で憎たらしくてめちゃくちゃにしたくなル!その顔は忘れてねえゼ!......まぁ、頭から食っちまったんだけどナァ!ぐっちゃぐちゃにヨォ!!」
口をガバット開け、赤黒い口内を見せつけてきた。
耐えがたい悪臭に脳を冒されながらも、血が出るほどに拳を握りしめる。
殺す。こいつだけは、私が必ず殺す。
「いや~我ながら心が痛んだゼェ?なんせ、生きたまま頭をかみ砕いたからナァ!あんときの悲鳴をお前も覚えてるだロォ!?」
「......お、おまえ」
「なにせお前も聞いてたんだからナァ!!一人父親を置き去りに!尻尾巻いて逃げながらヨォ!!」
「おまええええええええええええ!!!!!!!」
体が動かない。辛うじて叫べる程度それでも、叫ばずにはいられない。
憎い憎い憎い憎い憎い憎い。
殺す殺す殺す殺す殺す殺す。
「殺すっ!おまえ、おまえだけはああああああ!!ぜったいに!コロス!ごろすころすころすころすころすううううう!!」
「ギャハハハッ!!!爽快爽快!!!こうやって生意気なガキを絞めて叫び声を聞くのは最高だナァ!!寿命が延びるってもんだゼ。ほれ、もっと聞かせてみロ。バカで弱くて情けない、人間という名の恥さらしの声をヨォ!!!」
「がああああああああああ!!!!!!」
怒りのままに足に力を入れる。腕が動かなくても、口は動く。
少しなら動くようになった足で這いずって嚙み殺す。
こいつだけは生かしておけない。殺すだけじゃ飽き足らず、父の栄誉さえ。私をかばって命を賭したお父さんの誇りさえこいつは汚したのだ。
「おっト。だんだん動けるようになってきたカ。それジャ」
「......っ!」
太い腕が眼前に伸びると、そのまま首を掴んで乱暴に持ち上げてきた。
息苦しさに喘ぐも、締め付ける力が弱まることはない。
息がかかるほどの距離に魔人の顔面が迫り、怒りのままに口を開閉する。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す......ごはっっ!!!」
「うっせえヨ、ゴミ。耳障りダ」
腹部に強烈な痛みが走り、全身がアラートを鳴らした。
怒りが一瞬にして恐怖へと塗り替わった、決定的瞬間だった。
痛い。苦しい。嫌。やめてほしい。ごめんなさい。なんで?どこで間違えた?なんでなんでなんでなんで。
「あ~あ、もう飽きちまったシ。もういいカ。おい、言い残すことはあるかヨ」
悪臭、息苦しさ、腹部の耐えがたい痛みで頭はろくに回らない。
ふと、この悪臭をペルが嗅いだら喜びそうだなと思った。
こんな死期にバカらしいことを思いつくと我ながら思う。
本当に、私はどこで間違えたのだろうか。
視線の先で唾液の滴る牙がこちらを見ている。
私は、食われるのだろうか。誰も見ていないところで一人寂しく。
それもいいだろう。村のみんなが、お父さんが死んだ場所で一緒に眠れると思えば本望だ。
痛いのは一瞬だけ。そのあとは楽になれる。
もういいじゃないか。十分頑張ったじゃないか。
あれだけ頑張っても、勇者になれなかった。
復讐したい魔人にさえ勝てずこのありさまだ。
頑張ったけど報われなかった。そんなこと、この世界じゃありふれた結果の一つに過ぎない。
私はこのまま魔人の悪意のままに蹂躙され、世界から消える。
全身から力が抜けた。せまりくる口内が狙いを定めて迫ってくる。
仕方がなかった。それだけのことだ。
悔しい、憎い、殺したくてたまらない。
だけど届かなかった。
だから仕方ないじゃないか。己の負けを素直に認め、呪いの言葉で締めくくろう。
私が放つ最後の言葉。そんなものは決まっている。
すべての元凶へ恨み事を吐いて、呪い殺す。
そのために放つ言葉は......
「死にたく...ないよぉ」
「だよな。だから俺がいる」
———情けない本音を肯定する声が、確かに聞こえた。
「......ア?」
ドスッという音とともに首を絞めつける力から解放され、地面に座り込む。
見れば、私の眼下で黒い腕がゴトリと落ちた。
吹きあがる鮮血。
「がああああああああああ!!!」
魔人の叫び声を遮るように、一閃。すさまじい速度の剣技が放たれ、魔人の体を吹き飛ばした。
「遅れてすまない。間に合って良かった」
不愛想な表情のまま手を差し伸べてきたのは、聖剣を片手に携えた黒髪の男。
———勇者権を掻っ攫った、ワタルであった。
胸から溢れ出る強烈な感情。
それは紛れもなく悪感情であったが、別の感情も芽生え始めていることに気が付いた。
この男が憎い。私が勇者になる夢を奪った張本人だ。
その感情は一生変わらない......はずであった。
「......あ」
ほっ、と息がついてでた。全身が弛緩して脱力する。
その瞬間、理解した。
私が苦戦した魔人を軽々と吹き飛ばす圧倒的な力。
この人がいれば絶対に大丈夫であるという安心感。
私を見る暖かい黒瞳。
一昨日、私がワタルを背に部屋に逃げ込んだのは悔しかったからじゃない。
圧倒的な実力者を前に、悔しさよりも安心感を感じた自分が許せなかったからだ。
ようやく自分の感情を認めてあげられる。
ああ、そうだったんだ。
私は......
———私じゃない人が勇者に選ばれて、心底安堵したのだ。
「......ワタル」
「なんだ?」
「......ありがとう」
誰かに任せていいと、そう思わせてくれて。




