13 「まさかお前に破滅願望があるとは思わなかったよ」
サウルは散々な目に遭っていた。
警備兵に連れられて詰所で事情聴取を受けた後には担任を始めとする教師陣からお小言の嵐だ。特に厳しかったのはマナー講師と剣術指南役だった。
マナー講師には許しもなく異性に触れるなど紳士の風上にも置けないと詰られたし、剣術指南役からは騎士を志す者が女性に暴力をふるうなんてとんでもない、見損なったとまで言われてしまった。
そんなつもりではなかったと言い訳しようにも、クラスメイトのルーカスを始めとする証言者がずらりと連なっている状態で無意味だった。
学園長から謹慎処分を申し渡されて家にも連絡すると言われてしまった。もう不貞腐れるしかない。
サウルは帰宅後ずっと部屋にこもっていたが、いきなり母に引きずりだされた。
「この愚か者めがっ! 我が家を潰すつもりか、一体何を考えているのだ!」
「お、奥様、お怒りはごもっともですが、落ちついてください」
怒り狂って殴ってくる母を家令が宥めている。
母の手には握りつぶされた手紙があった。学園から今回の件について記されたもので、王妃の護衛騎士を務める母のほうが王国騎士団で副団長の父よりも早く帰宅して目を通したらしい。
「女性に暴力を振るうなど、このクズがっ! 万死に値するわ、潔く自決して詫びろ」
「そんな! 母上、あんまりです。クリスタが話を聞かないから引きとめようとしただけだ。クリスタが運悪く転んでしまっただけで、暴力を振るったわけじゃ・・・」
「マルコの有責で婚約解消したというのに、フルスティ嬢を呼び捨てにするとは非常識だ。我が家が彼女を恨んで傷つけたとみなされているぞ、非は全面的にお前にあるだろう」
「そ、それはつい癖で呼んでしまっただけだ。彼女は義姉で家族になるから。
悪気はなかったのに、恨んで傷つけたなんて悪意ある言いがかりだ」
サウルは名前呼びくらいでと不満に思ったが、母の怒りを煽るつもりはない。現役騎士の母の拳は鋭く重いのだ。サウルは頭を庇いながら、悪気はなかったとアピールした。
母は重いため息をついて嫌悪の視線を息子に向ける。
「今更、フルスティ嬢から取りなされても無意味なのだ。マルコのやらかしは公の場で婚約破棄宣言をしたことだけではない。第二王子をお止めせずに勝手に他国からの贈答品を持ち出した責任も問われるのだぞ?」
「でも、それは公にはならないじゃないか」
アルトたちが禁断の実を食したことは公にはされないのだ。表向きは婚約破棄騒動の責任だけを問われる。婚約者のクリスタが取りなしてくれればマルコの罪は軽減されるはずだとサウルは考えていた。
「公表されないから罪に問われないわけではない。むしろ、有耶無耶にならぬようにきっちりと罪は裁かれる。
マルコに警備体制について教えた私の弟も責任をとってすでに辞職しているのだ。マルコだけ特別扱いするわけないだろうが」
母は苦々しげに顔を歪めた。
叔父は文官で贈答品の保管庫を管理していた。騎士志望のマルコから将来の参考に警備体制を教えて欲しいと請われて教えていた。まさか、甥が贈答品を持ちだすなんて愚かな真似をするとは夢にも思わずに。
むしろ、裏方業務になる地味な警備の任務にも興味を示して偉いなと誉めたくらいだ。
「弟一家が地方に引っ越したのをなんだと思っていたのだ?
王宮文官をクビになって王都でまともな職につけるわけがないだろう。弟は運よく奥方の実家の領地で事務官に雇われたが、下手をすれば路頭に迷ったところだぞ?」
「え・・・、叔母さんの具合がよくないから静養のために地方に転勤したんじゃなかったの?」
「それは表向きの理由だ。禁断の実の無断持ち出しを公にするわけにはいかないからな。お前も貴族なら裏読みくらい身につけろ」
母は吐き捨ててサウルを見向きもせずに執務室に向かった。フルスティ家に詫び状を送らねばと家令に用意を指図する。
呆然とするサウルに乳母でもあった侍女長が近寄った。
「さあ、サウル坊っちゃま。お部屋にお戻りを。坊っちゃまからもお詫びのお手紙を送られたほうがよろしいですよ。
故意でなくとも他家のお嬢様に怪我をさせたことに変わりはないのですから。
フルスティ嬢にマルコ坊っちゃまだけでなく、サウル坊っちゃままでご迷惑をかけたとなると、先代の旦那様もお怒りでしょう。宥めるためにはどんな手でも打っておかねばなりませんよ」
サウルは侍女長の言葉にさあっと青ざめる。
まさか、祖父まで出張ってくる案件だとは予想もしなかったのだ。騎士団総長を務めたこともある祖父はまだまだ元気で朝晩素振りを欠かしたことがない。現役の騎士に劣らぬ腕前だ。
マルコがやらかした直後は祖父にボコボコにされて一週間は寝込んでいた。その後は傷が治りきっていないのに騎士団で下っ端仕事でこき使われて、いくらなんでもやりすぎだと思っていた。それが自分の身にも降りかかると言われれば、今更ながらにマズいことをしてしまったと実感が込みあげてくる。
サウルは大急ぎで自室に戻った。母のように詫び状の作成に取りかかるが、すでに遅かった。すぐにフルスティ家から抗議書が届いてしまったのだ。竜人族の皇家と公家からも厳重な抗議が届き、父も慌てて帰宅してきた。
両親の間で情報共有と事実確認の間、サウルは騎士団で寮生活している兄に助けを求めたが無駄だった。
ヘルミもサウルと同じ目に遭って謹慎処分をくらった。
暴力を振るったのはサウルでヘルミは関係ないと主張しても共犯者扱いだ。母に泣きつくと、可哀想にと慰められて、一緒に理不尽さに憤ってくれた。
母が帰宅した父に訴えてくれると言うから安心していたら、父には開口一番に信じられない言葉を吐かれた。
「お前たちとは縁を切る。離縁するから実家にでも戻って頭を冷やすのだな」
「まあ、あなた! なんてことを言うのですかっ!
わたくしたちのかわいいヘルミが理不尽で横暴な目に遭ったのですよ? 抗議もしないで泣き寝入りしろと仰るの⁉︎」
「その、かわいいヘルミが何をした?
格上の伯爵家のご令嬢にいちゃもんをつけて暴力を振るわれるのを黙って見ていたそうだな。いや、もっとタチが悪い。加害者を援護する発言をしたことから共犯者と思われたのだぞ?
勤務中に連絡が来たそうで、フルスティ家の嫡男から早速抗議された。彼は第一王子の側近で同僚たちにも事情が知れ渡っている。もちろん、第一王子にも、だ。
ヒルダはお前の不始末でフルスティ家と留学生宅にお詫びに行ったぞ。
よりにもよって、ミカゲ家の公子様の番発言をしたそうだな。
ヘルミ、まさかお前に破滅願望があるとは思わなかったよ。
お前のワガママは可愛いおねだりだなどと義父には言われていたが、いくらなんでも今回の発言はワガママやおねだりで済ませられるものではない。
爵位と領地を返還して私とヒルダは平民になるが、幸いなことにヒルダの勤務評価は良好で職を失うまではいかない。私も王宮文官の知人から仕事を紹介された。私たちは慎ましく生きていくから、お前たちも好きにするのだな」
父は淡々と説明するが、死んだ魚のような目で妻子を見る様はぞっとするほど冷たい。母は震え声で抗議する。
「あ、あなた、爵位を返還なんて、馬鹿なことを仰らないでください」
「いいや、少しも馬鹿なことではない、当然の処置だ。
竜人族の国では番詐称は死罪だそうだ。ヘルミは死罪になったほうがよいのか?」
「ひっ、ま、まさかそんな・・・」
「え、嘘でしょ?」
ヘルミは呆然と呟いた。竜人族の法律には詳しくないが、まさか番発言くらいでと軽く思っていた。
父は相変わらず淡々としていて、表情が読めない。
「我が国には番に関する法はない。彼のお方たちは自国の法を強要するつもりはないと仰ってくださったが、無罪放免はあり得ないだろう。番を傷つけられて黙っているほど無能ではないと圧をかけられたぞ。
慰謝料ぐらいではお詫びにもならん。爵位返還で貴族籍から離脱し、二度と不快な姿をお目にかけないと誓うくらいはせんと謝罪にはならない。
今後、実家に戻ったお前たちがどうしようと勝手だが、貴族との再婚や養子縁組は諦めたほうがいいぞ。まあ、命が惜しくなければ、貴族社会に残っても構わんがな」
私にはもう無関係だ、と告げられて、母の顔色が一気に悪くなる。ヘルミは理解できなくて、激しく首を横に振った。
「お、お父様。何を言っているのか全然わからないわよっ!
だって、番だと思ったら、実はその姉妹や兄弟のほうだったってことはあり得るのでしょう? わたくしは南国の商人から聞いたのよ。獣人族では番を誤認することもあるから慎重に判定するのだって。
おねえ様だって、そうだから番候補になっていたのでしょう?」
「それは獣人族の話だろう? 彼の方は竜人族だ。竜人族が番を間違うことは絶対にあり得ないと言われたぞ」
「だって! 間違いないなら、なんでおねえ様が番候補になったのよ!」
ヘルミは納得がいかなくて喚いた。
ただ、ヒルダが気に入らなくて番発言したのではない。ちゃんと番について裏付けをとった上での発言だった。
竜人族に伝手がなくて獣人族の番の話だが、獣人族は匂いに敏感で番を感じると特に強く甘く薫るという。
番が身につけていた衣服や小物を持っていた別人が番と間違われる事例があるそうで、特に兄弟や姉妹でお下がりや共有している場合に起こりやすい。獣人族では番を見つけた場合にはその周囲も一緒に調査して香りの元を探るのだ。
だから、ヘルミは自分が番でもおかしくないと思っていた。
ヒルダよりも自分のほうが可愛くて美人だし、あのクリスタという候補だって華やかさに欠けている。絶対に自分のほうがイオリの番に相応しい容姿だと思い込んでいた。
ヘルミの主張に父の目が鋭く尖った。
「ほう、ずいぶんとお前の目は節穴のようだ。いや、頭がすっからかんなのか?
容姿で番が決まるなら、眉目秀麗な竜人族がわざわざ人族から番を選ぶわけないだろう。お前は竜人族よりも優れた容姿だと思っているのか? 大した自信だな、一度鏡をよく見たほうがいいぞ。
大体、ヒルダはお前から何かもらったことは一度もない。お前はいつも最新のドレスや小物を持っていたが、ヒルダは中古品や母のお下がりばかりだ。ようやく、王宮侍女の給与でまともな衣服や小物を揃えられるようになったが、給与の半分も生活費に納めているから数は多くない。
それでどうやって、ヒルダとお前を間違えると言うのだ?
お前の持ち物をヒルダが借りたことだってないのに。いや、ヒルダの持ち物をお前が誤って壊したことは何度もあったが、弁償したことは一度もなかったな」
「だ、だって、おねえ様とわたくしでは体格が全然違うじゃないの! 貸せるわけないわ」
「ああ、そうだ。ヒルダはお前の物を借りたことは一度もない。それなのに、お前とヒルダを間違えて、ヒルダを番と誤認するのはどうしてだ? あり得ないことだろう?
お前は絶対に番ではないと知りながら、公子様の番発言をした。公子様を侮辱する行為だ。それでよく貴族でいられると思っているものだ。
私にはお前の思考がさっぱり意味不明だよ。
同盟を結ぶ前提の竜人族の番発言などケンカを売るどころではない。それこそ、破滅を望んでいるとしか思えないだろう?
王族にだってお前の問題発言は知られているのだ。貴族社会にお前の席があるとはとても思えんのだがなあ」
父は嫌味たっぷりにわざとらしくため息をついた。
母の顔色は土気色になっていて今にも倒れそうだ。ヘルミは言葉を失って俯くしかなかった。
父は呼び鈴を鳴らして執事を呼ぶと、使用人全員に紹介状を渡すから今後の身の振り方を考えておくようにと申し渡した。爵位返還に伴って屋敷も売り払うから、その手続きや引越し準備の指示をだして屋敷内はにわかに慌ただしくなる。
ヘルミと母親はそれを呆然と見ているしかなかった。
「エスコラ男爵令嬢は退学して修道院行き、クレモラ伯爵令息は騎士養成校に編入ですって。昨日の今日でもう手続きを終えたらしいわよ」
クリスタはマリカの言葉に思わず目を丸くした。
昨日、サウルに怪我を負わされたが、軽傷だった。手のひらを擦りむいて膝に青あざができたくらいだ。痕が残ることはなく、綺麗に治ると言われている。それでも、クリスタは大事をとって早退してイオリに送ってもらった。
すぐに兄も早退してきて(まだ研修期間中なのに、なぜか帰宅を認められたらしい)大袈裟なことになってしまったと頭を抱えていたら、念のために数日は休むように言われた。何やら、大掃除があるから余計なことに巻き込まれないためと兄に言われて、大いに謎だった。???と疑問に思っていたら、見舞いに訪れた友人から思いがけない情報だ。
「エスコラ家は爵位と領地を返還して平民になるそうだし、クレモラ家も親戚から養子をもらって後継ぎにするかもしれないそうよ」
エリサが見舞いのクッキーの詰め合わせをつまみながら追加情報だ。商会の従業員が両家の使用人の噂話を耳にしてきたと教えてくれたのだ。
クリスタも深く頷いた。
「ええ、エスコラ家のことはヒルダ様から聞いたわ。
妹のヘルミ様の番発言が不敬になるだけでなく、竜人族の法によると死罪になるのですって。我が国では番に対する法はないけど、さすがに無罪放免にはできないから、爵位返還の平民落ちでヘルミ様を修道院で反省させる予定だと言っていたわ」
実は昨日のうちにヒルダが妹の無礼の詫びで訪れていた。平身低頭、それこそ土下座せんかの勢いだった。
ヒルダとヘルミは異母姉妹で仲はよくない。それでも、エスコラ家の長子として礼を尽くしに来たのだ。本当に性格が全然似ていない姉妹で、妹のやらかしに振り回されるヒルダが気の毒になった。
クリスタにしてみれば最悪でもヘルミの除籍ぐらいだと思っていたら、まさかのお家没落だ。当主はすでに爵位返還手続きを進めているからヒルダが当主代理で謝罪に訪れたのだ。
クリスタが慌てて引き止めようとしたら、ヒルダは清々しい笑顔になった。
「もともと後継者問題で揉めていましたから、いっそのこと爵位返還で清々しましたわ。お気になさらないでください」
どうやら、父親は長子のヒルダを後継にするつもりでいたが、妻や妻の実家からはヘルミを後継にするように圧力がかけられていたという。そのせいで姉妹共に婚約者が決まっていなかった。
一応、王国の最高学府の魔術学園での成績で優劣をつけるという話になっていたらしい。ヒルダは次席で卒業した才女だ。ヘルミは勉強が苦手でヒルダを覆す成績を取るのは厳しかった。そこで、イオリの番発言がでたらしい。
竜人族の公家と縁付けばヒルダよりも格上になれると思ったとか。
「ヘルミ様は母君やその実家の影響でヒルダ様を見下していたみたい。だから、ヒルダ様の上に立てればどんな手段でも構わなかったらしいわ」
「まあ、その傲慢さで身を滅ぼすことになったのだから、自業自得でしょうね。でも、姉のヒルダ様は巻き込まれた形になるわ、お気の毒ねえ」
エリサが顔を曇らせると、クリスタが微苦笑を返した。
「それがね、ヒルダ様は引き取られる前は裕福な庶民の暮らしで気楽だったから、男爵家では窮屈だったらしいの。却って、いい結果になったと感謝されたのよ」
ヒルダは男爵家で貴族のマナーや教養を身につけられたのは幸運だと言っていた。平民になっても身につけたものはなくならない。王宮侍女の職もそのまま続行だし、礼儀と知識を武器にできると喜んでいた。
ヘルミの処遇に伴い、男爵夫妻は離縁が決定しているそうで、しばらくは父娘二人の生活を楽しみたいと言っていた。もともと、伯父の不幸がなければそうなっていたはずなのだ。
クリスタは一息ついてから首を傾げた。
「でも、クレモラ家が養子を迎える話は初耳だわ。昨日、コトネ様とミヤビ様がお見舞いに来てくださったけど、何も聞いてないのよ」
コトネとミヤビはヘルミの番発言が問題になっていると教えてくれた。竜人族では番詐称は死罪だが、人族の法にはないので男爵家の良心に期待していると伝えたのだと、実によい笑顔だった。
エスコラ家に圧をかけたのかあ〜、と遠くを見る目になってしまったが、クレモラ家にも何かしたとは思わなかった。
マリカが弟から集めた情報を披露する。
「婚約破棄騒動の当事者で学園にいるのはクリスタだけでしょう?
それで、一学年の間では噂の人物というか、そのう、言葉は悪いけど珍獣扱いだったのよ。だから、クリスタって結構有名人で注目されていたの。
そのクリスタが伯爵令息と揉めて怪我をしたでしょう? 兄のマルコ様との婚約解消の報復ではないかってすぐに噂が広まったらしいわ。
クレモラ家では長男に続いて次男まで醜聞になってしまったもの。長男の更生どころの話ではなくなったわ。子息二人とも後継から外して親戚筋から養子をとったほうがいい、という意見が一族内からでているのですって」
「わたくしの怪我って軽傷なのに、ずいぶんと大袈裟になってしまって肩身が狭いのだけど・・・」
クリスタが情けなさそうに首をすくめると、エリサが厳しい顔になった。
「まあ、クリスタ。貴女のせいではないわ、気にしてはダメよ。
断りなく異性に触れるのはマナー違反だし、しかも兄の有責で婚約解消した相手よ? 貶める行為だと批判されても仕方ないわ。
おまけに軽傷でも怪我を負わせたのは間違いないのだから、謝罪は当たり前でしょう? それがないどころか、逆に貴女が悪いと責任転嫁したのですもの。目撃した生徒からもうすごい勢いで話が広まって、クレモラ家は批判の嵐にさらされているの。
長男だけでなく、次男の教育も疎かになっていたのではないか、兄弟そろって非常識なのは家の方針なのか、などなど。
きっかけは貴女の怪我だけど、もともとクレモラ家は騎士の家系でのうき・・・、いえ、腕力勝負なところがあったでしょう?
武力がない家からはよく思われていなかったみたい。子息の鍛錬に付き合わされて怪我をしても『軟弱だからだ』や『鍛え方が足りない』などと逆に非難されたそうだし。
これまでの鬱憤が表面にでただけよ、クレモラ家も自業自得だわ」
「・・・そうねえ、確かにそういうところがある家だったわ」
婚約者時代を思いだして、クリスタの眉間に深いシワが刻まれる。
マルコが訓練相手に怪我をさせても謝罪もしないので、そのフォローに回ったのがクリスタだ。マルコには余計な世話だと言われたし、相手には下手をするとマルコの代わりに文句を言われたりとイヤな目に遭った。
それでも、人間関係を円滑にしなければ嫁いだ後に苦労するのは伯爵夫人となるクリスタだ。
騎士の妻たちは夫の至らないところをフォローしてこそ一人前の嫁と見なされる。クレモラ家では夫人も女性騎士として活躍しているせいで妻同士のネットワークから外れていた。代わりに次期夫人になるクリスタが婚約当初から関わったほうがよいとされた。
まだ婚姻前なのにクレモラ家の後始末に駆りだされるのは不安で不満だった。
まだ未成年のクリスタがなんとかこなせたのは兄のフォローがあってのことだ。マルコやクレモラ家からは感謝どころか、やって当たり前でサポートも何もなかった。おそらく、クレモラ家への批判噴出にはオリヴェルも何かしていそうだ。
まあ、お兄様はわたくしのためを思ってくださっているから・・・。うん、見なかったこと、いや、気付かなかったことにしよう〜。
クリスタが心の平穏に努めていると、ノックがしてお付きの侍女が大きな花束というか、山盛りの花籠を運んできた。
「お嬢様、ご歓談のところを失礼いたします。公家の使者からこちらをお見舞いにいただきまして、メッセージカードも添えられております。一言、お礼のカードでもお返ししたほうがよいと思うのですが」
「まあ、なんて綺麗。クリスタの好みのお花ね」
「そうねえ、無難なバラの花束じゃなくてよかったじゃない?」
エリサとマリカがニヤリと笑顔になった。
色とりどりのガーベラにミニチューリップやカスミソウが添えられている。確かに友人の言う通り、クリスタ好みの花籠だ。
メッセージカードには『少しでも貴女の気分転換になれば嬉しく思う』とある。生真面目なイオリらしい言葉だ。
クリスタの微苦笑をなんと思ったのか、友人たちは顔を見合わせて席を立った。
「わたくしたちはそろそろお暇するわ」
「ええ、お邪魔はしないから、ゆっくりお返事を書いてね〜」
クリスタが見送りを言いだす前に素早く退出してしまった。
残されたクリスタは室内をぐるりと見渡して、花籠を飾る場所を探した。寝台の隣のサイドテーブルがちょうどよい大きさだ。クリスタは花籠を飾ると、お礼のカードをしたためた。
『部屋が華やかになって明るい気分になります』という返事にイオリが深く感動していたとか。ようやく、部屋に飾ってもらえたと喜ぶイオリに妹たち女性陣は憐憫の視線を向けたらしい。
クリスタはさらに三日ほど休んだ。ヘルミとサウルの噂が一段落するまではと兄に引き止められたのだ。
クリスタが数日ぶりに教室に入ると、欠席の間に転入していた留学生がいて初めて顔を合わせた。
黒髪に琥珀の瞳の美少女はカグヤ・クオン。ミヤビたちの幼馴染でイオリの元婚約者だと名乗ったのである。
ヘルミはお花畑思考かと思いきや、ちゃんと番について調べてあったのです。ただ、種族が違ってましたねえ。
なお、番の顕現は種族ごとに異なる設定です。竜人族は金の竜瞳が現れて、獣人族は強く甘い香りを感じる。天族と魔族はそれぞれ片目が番と同じ色に変化してオッドアイになる、です。




