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番だなんて人違いです  作者: みのみさ


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12/27

12 「彼女が貴方の番だと言うのですけれど?」

長くなりましたが、キリがよくないので一気にいきます。

 クリスタはイオリと図書館へ向かったが、ものすごく落ちつかなかった。

 イオリは護衛だからと姫君の警護の如く、クリスタの後ろからついてくるのだ。エスコートなんて目立つ真似よりはマシなのだが、すれ違う相手からぎょっとされて二度見三度見されるとか、どんな罰ゲームなのか。

 貴族子女を預かる学園には護衛騎士が常駐していて、個人の護衛は申請を通さねばならない。コトネとミヤビは他国の皇族でもちろん許可が出たが、クリスタはただの伯爵令嬢で護衛がつくような身分ではない。

 不思議そうに見られるくらいならばともかく、一学年の男子生徒がひいいいっと悲鳴をあげて逃げて行ったのには困った。周囲から何事⁉︎ と驚かれて引かれてしまった。


 クリスタは恐る恐る背後を振り返った。

「あのう、イオリ様。わたくしの護衛は結構ですので、普通にしませんか?」

「普通とは? 私にとって貴女の安全は何よりも最優先されるものなのだが?」

 イオリは真顔で不思議そうに目を瞬かせている。

「わたくしはコトネ様やミヤビ様のような重要人物ではありませんから、護衛して頂かなくても大丈夫です」

「何を言うのだ。貴女は誰よりも大切で大事な相手だぞ。私が護衛の手を抜くことはあり得ない」

「・・・えーと、貴方が護衛という図はよくないと思います。わたくしたちは()()婚約者候補(?)の交流中でしょう?」

「婚約者候補!」

 イオリが声を弾ませた。

 クリスタには苦渋の末の言い訳だったのだが、イオリには大歓迎された。一瞬だけだが、全開の笑顔でぶんぶんと尻尾を振り回す子犬の幻影が見えた、気がする。


「あの、対等な関係だと言いたかったのです。知人らしく、普通に並んで歩きましょう。背後にいられてはお話もしづらいですし」

「そうだな。婚約者なのだから、並ぶのは当然だな!」

「勝手に候補を外さないでください」

 ご機嫌のイオリに苦言を呈すが、右から左にと聞き流されそうだ。クリスタは友人たちを恨めしく思った。恋バナを期待しているのだろうが、彼女たちの要望に応じるわけにはいかないのに。


「クリスタ嬢は南国に興味があるのか?」

 イオリがクリスタが持つ本を目にして尋ねた。獣人族が一番多く移住している南国の本だった。獣人族の番について調べるために借りていた。

 まさか、番から逃れる手段を探していると答えるわけにはいかない。クリスタはにこりと微笑んだ。

「兄が南国の外交官勤務になるかもしれませんので、興味があって。それよりも、コトネ様は恋愛小説がお好きなのですか?」

 イオリが運んでいるのは『乙女は溺愛がお好き』とか『政略でも婚約者とはラブラブです』や『許嫁が可愛すぎてつらい』など、乙女心にヒットすることで有名な恋愛小説ばかりだ。

 魔術学園の図書館は学舎とは独立した建物で、蔵書数は国内でもトップクラスだ。学園関係者以外も利用可能なほど種類も豊富だった。貴重な魔術書や地学や歴史の本から絵本や娯楽小説までとなんでも揃っている。


「その本は溺愛シリーズやラブラブシリーズと呼ばれています。女子生徒の間では人気なのです」

「・・・そうだったのか。雅様や長船姉妹も気に入っているらしい。私も布教された」

「え⁉︎」

 クリスタが驚愕の声をあげるがイオリはすんと無表情なままだ。非常に言いにくそうに口を開く。

「その、コトネに参考にするように言われたのだが、貴女もあの本のファンなのだろうか? 本の内容に憧れていたりするのか?」

「ええと、本の内容と言いますと?」

「人前でも四六時中くっついていたり、膝抱っこであーんと餌付けしていたり、ハグやキスは日常茶飯事で当たり前という」

「・・・さすがに現実でそれはちょっと、と思いますわ。小説の中でだからこそ可能と言いますか、実際にそのような真似をすれば、周囲から破廉恥と思われますもの」


「そうか。よかった。

 男爵令嬢から聞いた人族のお付き合いとは違っていたから、どちらが本当なのか悩んでいたのだ。まだ、給餌行動をとるには早すぎるし、オリヴェル殿には聞けないし」

「給餌行動?」

「ああ、我ら竜人族では番と婚姻したら、お互いにあーんで食べさせ合う習慣がある。竜形時の求愛行動の名残なのだ」

「・・・お互いにあーんで食べさせ合う⁉︎」

「あ、安心してほしい。婚約もまだだから給餌行動は早いと心得ているから」


 何を安心しろと言うのか。まだ早いというのならば、いずれは実現させるつもりか⁉︎


 クリスタはひくりと頬をひきつらせた。

「え、えーと、いきなりそれはハードルが高いと言うか、カルチャーショックと言いますか」

「人族の人気小説で描かれているのだから、それなりに受け入れられているのだろう? 人前ではなく、二人きりでは構わないのではないか?」

「はいっ?」

 思わず、クリスタの声が裏返った。


 この男は至極真面目な顔で何を言いだすのか。青の瞳を和やかに細めるとか、なんだか愛おしげな眼差しをしてくるし!


 今から溺愛宣言とか、キリキリと胃が痛くなりそうである。

「えーと、まずはお互いに信頼関係を築くのが必要だと思います。一時的に恋だの愛だので浮かれて、後から黒歴史になってもイヤですよね?」

「黒歴史? クリスタ嬢は面白いことを言うな。私にとって貴女と過ごす日々はどんな時でもかけがえのない思い出となるが」

「え、思い出となるほど過ごしていないですよね?」

「・・・そうなる予定だ」

 塩対応のクリスタにイオリはしょぼんとうなだれる。


 フルスティ家に休日の朝からお邪魔していてもクリスタと過ごす時間は短い。オリヴェルがつい興味を引く話題を振ってくるから、気がつくと彼との議論で盛り上がっているのだ。クリスタは一人静かに読書や刺繍をしていたり、下手をするといつの間にかに席を外していたりする。

 成果を問われて報告すれば、コトネには何をやっているのかとジト目で睨まれた。

 ミヤビには生温い目を向けられて、すっと美少年間の恋愛小説を手渡された。理解不能なのだが、人族のご婦人方の間で密かな人気の禁断の物語だとか。思わず、妹のピアスを借りて、カナデにミヤビの誤解をなんとかしてくれと泣きついてしまった。

 オサフネ姉妹には『将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、ですね』と感心されてしまったが、だから戦ではないのだが? と思いきり突っ込みたい。


 イオリがしょぼくれている間に図書館に到着だ。イオリがクリスタへ手を差し伸べた。

「混んでいたら、午後の授業に間に合わなくなる。一緒に返却手続きをしておこう。クリスタ嬢は先に戻っていてくれ」

「そんな、申し訳ないですわ」

「遠慮は無用だ。妹が無理を言ったのだし。

 君が苦手そうにしていたから話を変えようとしたのだが、まさかこうなるとは思わなかったのだ。詫びの意味でここは任せてくれないか」

 クリスタは少しだけためらった。イオリがクリスタの様子を見て配慮してくれたとはなんだかこそばゆく感じる。あまり固辞するのも悪い気がして、入り口付近のベンチで待つことにした。

「それではお願いしますが、ここでお待ちしてます。もし、時間がかかって予鈴が鳴りましたら、先に戻りますけれど」

「ああ、それで構わない」

 イオリは本を受け取って図書館へ進んだ。


 クリスタはベンチに腰掛けてふうと肩の力を抜いた。

「悪い人ではないのよねえ。むしろ、良い方だけれど・・・」

 図書館の入り口には警備兵が常駐していて、護衛騎士姿のイオリが目礼すると返礼があった。そばを通りかかった女生徒がぼうっと見惚れていた。

 ただでさえ見目麗しいイオリの騎士服姿だ。制服姿は三割り増し格好よく見えるというし、目の保養には十分すぎた。

 クリスタは人目を引きながら歩くイオリの後ろ姿にほっと安堵した。彼と一緒に入館したら外部利用者の目も引いて目立ってしまうところだった。

 図書館は外部の者も利用可能なので、窃盗防止と不審者対策で警備兵が配置されている。出入り口は学園側と外部側と二つあって、外部利用者は学園側の出入り口を使用できない。出入り口には警備兵が見張っていて学園内には入れないのだ。


「クリスタ!」

 名前を呼ばれて顔をあげると、赤毛の少年が金髪の少女と連れ立っていた。クリスタは兄と同じ赤毛の少年を立ちあがって出迎えた。

「まあ、クレモラ様。お久しぶりですわね」

 マルコの弟のサウルだ。

 そう言えば、今年の入学だったわねえ、とクリスタは呑気に思い出した。

「クレモラ様。兄君との婚約は解消になりましたので、名前呼びはお控えください。どうぞ、家名でお願いします」

 クリスタは至極当然のことを指摘したのだが、サウルは何故か険しい顔をして睨んでくる。


「クリスタ、何度も手紙をだしたのに、どうして返事をくれないんだ。婚約者のお前から父上を説得してくれたら、兄上が騎士隊で雑用係なんかしないで済んだのに・・・」

「あら、わたくし宛のお手紙ですか?」

 クリスタは内心で首を傾げた。心当たりは全くないが、彼女宛の手紙が届かないとなると、オリヴェルが排除していた可能性が高い。

「兄から返事がいきませんでしたか?」

「・・・婚約解消した無関係な人間に迷惑をかけるな、と返事が来た。いくらなんでも酷いだろう? 兄上とは三年間も婚約していたのに」

「そうですよ。お兄さんを心配するサウル様に失礼ですよ?」

 少女が頬を膨らませて詰ってくるが、初対面の相手だ。

 クリスタは『現在進行中で失礼を働いているのはそちらでは?』と言い返したいのをグッと堪えて、淑女の笑みを浮かべる。


「ずいぶんとおかしなことを仰いますのね? 兄がわたくしに見せる必要はないと判断した上でのお返事でしょう。

 クレモラ伯爵令息から婚約破棄宣言されたわたくしには確かに無関係なことではないですか。苦情を言われる覚えはありません。もう、わたくしと令息は完全に赤の他人です。名前呼びはお控えください。

 それに、貴女はどなたでしょう? 面識のない見ず知らずの方から非難されましても・・・」

「え、知らないだなんて、ひどいですよ。ヘルミ・エスコラです。

 姉から聞いてないんですかあ?」

「ええ、聞いたことがありません。貴女とは初対面ですし、何もひどくはないでしょう?」

 信じられなーい! と大袈裟に驚かれたが、エスコラ男爵令嬢のヒルダは友人でもなんでもない。番候補の話の時に顔を合わせただけの顔見知り程度の相手だ。


「クレモラ様、エスコラ様。わたくしにはもう無関係な事柄をどうにかしろと言われても無理です。諦めてください」

「そんな、ひどいわあ!」

「そうだ、薄情すぎるだろう⁉︎」

 クリスタは胡乱げに彼らを見やった。

 人前で婚約破棄宣言なんて非常識な無礼を働いた相手の待遇改善に口出しをしろ、などと無茶苦茶を言っているのはサウルたちのほうだ。被害者に加害者の弁護をさせようとする彼らのほうがよほど酷くて薄情だろう。


「大体、エスコラ様には関係ないことでしょう。なぜ、貴女にまで非難されなければならないのですか?」

「関係なくありません! わたくしがイオリ様の番なんですから!

 クリスタ様は候補を辞退して身を引いてください。クリスタ様にはサウル様のお兄さんがいるんだから、二股なんて最低ですよ!」

「はあっ?」

 クリスタはつい間抜けな声をあげてしまった。あまりにも予想外すぎて、淑女の仮面がちょっとだけずれてしまう。

 ヘルミは金髪碧眼の愛らしい顔立ちで黒髪で長身のヒルダには似ていなかった。尤も、異母姉妹でそれぞれ母親似だったら、似ていなくても当然だが。

 ヘルミは性格もヒルダとは似ていなかった。少なくともヒルダは常識人で無礼者ではない。


 クリスタはしかめ面になってこめかみを抑えた。

「エスコラ様、何か誤解があるようですが、わたくしとマルコ・クレモラ様との婚約はお相手の有責で無事解消されています。クレモラ家での処遇にわたくしから口を挟むことはありません。

 イオリ・ミカゲ様からの申し込みは婚約解消後ですので、二股発言は撤回してください。いくらなんでも、失礼すぎるでしょう。

 サウル・クレモラ様もご存じのことなのに、お連れ様を放置だなんて失礼の極みですわね。断固抗議させていただきます」

「ヘルミが公子の番だと言ってるんだ! お前は人違いと言っているそうだし、潔く辞退すべきだろう?」

「・・・そもそも、番候補はヒルダ・エスコラ様でしょう。どうして、妹のエスコラ様の自己申告が通ると思っているのですか?」

「だあってえ、おねえ様なんかがイオリ様の番なわけないもの!

 おねえ様は平民の出なんですよお? 母親が亡くなって仕方なくお父様が引き取ったの。

 エスコラ家はわたくしが継ぐから、おねえ様は平民に逆戻りするんですう。そんな人がイオリ様の番なわけないでしょ」

 ヘルミが小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


 クリスタは唖然としてしまった。

 ヒルダの境遇は兄から聞いていた。

 元々、ヒルダの父は次男で跡取りではなかった。平民の女性と婚姻して商人の会計係として暮らしていた。留学を終えた長男が婚姻直前に事故で亡くなり、兄の婚姻相手だった子爵令嬢が良縁に恵まれないから無理矢理に娶らされて男爵家を継ぐことになった。子爵令嬢の家とは事業提携で恩義があり、断れなかったらしい。

 ヒルダがすでに生まれていて、妻子は愛人と庶子の扱いにされた。それでも、ヒルダの父は妻子と離縁するつもりはなく、正妻から匿うように養っていたという。妻が病気で亡くなって、ヒルダを長女として引き取ったと聞いている。エスコラ男爵はヒルダを実子と変わらぬ扱いにしていたはずだ。男爵がヘルミの思う通りにするわけがないと思うのだが。


 クリスタは厄介なことに巻き込まれたくなかったから、これ以上ヘルミの相手をしたくなかった。

「他家の事情にわたくしが関わることはございません。エスコラ家内で処理なさってください。

 番の話もご本人にしたほうがよいと思います。

 ちょうど、図書館にイオリ様がいますわ。お話ししてみればよろしいのでは?」

 クリスタがイオリに面倒事を丸投げすると、ヘルミが眉をぎりっと吊りあげた。般若の顔をすぐにうるっと泣き顔に変化させる。実に素早い百面相だ。

「イオリ様ですってえ! クリスタ様、ひどおい! わたくしの婚約者を名前呼びするなんて」

「そうだ、失礼だぞ。謝れ、クリスタ!

 こんなに可憐で愛らしいヘルミを泣かせるなんて冷酷な女だな!」


 うわあ、おバカが二人もいる〜、とクリスタは現実逃避したくなった。

 あざとい泣き真似で気を引くなんて媚びる女の常套手段だ。それに騙されるサウルもハニートラップに引っかかりまくるダメ男の典型すぎる。

 クリスタはすっと背筋を伸ばして、おバカたちを正面から見据えた。


「公子様ご本人から、名前呼びの許可をいただいております。いいえ、むしろ呼んでほしいと懇願されましたわ。あなた方にとやかく言われる覚えは全く全然これっぽっちもございません。

 そして、わたくしの名前呼びをお断りしているにも関わらず、再三しつこくお呼びするクレモラ伯爵令息。

 もしかして、エスコラ様と共謀して、わたくしを貶める算段でしょうか? 我がフルスティ家より正式に抗議と謝罪要求をしますので、覚悟なさってください」

「なっ、なんでそうなるんだ!」

「そうですよ、わたくしたちは親切に教えてあげてるだけです! クリスタ様が何か勘違いしてたら可哀想だと思って! それなのに、そんな言い方はひどいですう」

「このような場所で? そのような個人的なことを?」

 クリスタは周囲をぐるりと見渡してから、疑いの眼差しを二人に向けた。


 図書館の入り口付近で騒いでいる彼らはものすごく目立っていた。遠巻きに人影があってヒソヒソと囁かれている。図書館の警備兵も注目していて止めに入るかどうか迷っている様子だ。

 サウルは初めて周囲の好奇と侮蔑の視線に気づいたようで、さあっと血の気が引いた顔になった。ヘルミは鈍感なタチなのか気にしておらず、クリスタを睨んだままだ。


「わたくしにはお二人と話すことはもうありません。失礼させていただきます」

 クリスタはさっさと踵を返そうとした。

「ま、待ってくれ!」

「いたっ!」

 クリスタはサウルに思いきり腕を掴まれてバランスを崩した。彼に引き倒される形で派手に地面に倒れ込む。

 サウルがぎょっとして慌てて手を離した。

「な、何やってるんだよっ! とろいな、お、俺のせいじゃないからなっ」

「そうですよ、クリスタ様が一人で転んだんですよ!」

「いや、君が彼女をひっぱって転ばせたんだろ? これだけの人の目がある前で言い訳とは見苦しいな」

 侮蔑を含んだ声がしたかと思うと、クリスタは誰かに助け起こされた。


「クリスタ嬢! 怪我は? 大丈夫か?」

 真っ青な顔をしたイオリだ。彼はすぐにクリスタを抱き上げた。

「警備兵には私から説明しますので、フルスティ嬢を医務室に運ばれたほうがよろしいですよ」

「ああ、恩にきる。侯爵令息、この礼はいずれ」

「いえいえ、お気になさらずに。クラスメイトの不始末をつけただけですので」

 クリスタは目をぱちくりさせた。おバカたちに侮蔑の声をかけたのはルーカス・ヤンネ侯爵子息だった。

 祖父の学者仲間のお孫さんでフルスティ兄妹の幼馴染でもある。

「フルスティ嬢、ごめんね。もっと早く、公子様をお呼びすればよかった」

 どうやら、ルーカスがイオリを呼んでくれたらしい。

「いえ、ヤンネ様。助かりました、ありがとうございます」

「ちょっと、待ってくれ!」

「やだあ、わたくしは何もしてないわよ!」

 騒ぐ声がしておバカたちが警備兵に連れられていくところだ。ルーカスが事情説明で警備兵に近寄った。


「フルスティ嬢、すぐに医務室に運ぶから気を確かに!」

「え、イオリ様。落ちついてください。ただのかすり傷です、軽傷ですから」

 クリスタは人生初のお姫様抱っこに狼狽えたり赤面する暇はなかった。できるだけクリスタを揺らさぬように早足で移動するイオリの顔は強張っていてものすごく顔色が悪い。彼のほうが重病人のようだ。

 クリスタはてしてしとイオリの肩を叩いた。

「イオリ様、わたくしは大丈夫ですから。そんなに心配しないでください」

「軽傷でも大事な貴女に怪我を負わせてしまったのだ。全面的に私の責任だ、申し訳ない。かくなる上は」

「ハラキリもドゲザもやめてくださいね。前にも言いましたよね?」

 イオリは最大級の謝罪を止められてなんとも情けない顔になる。クリスタは今が攻め時かな、と先ほどの問題発言を問うことにした。


「ところで、先ほどのヘルミ・エスコラ様、ですか。彼女が貴方の番だと言うのですけれど?」

「はっ?」

 イオリが足を止めたかと思うと、すんと無表情になった。大騒ぎされるよりもいいが、これはこれで迫力があって怖い。

「ヒルダ様ならばともかく、彼女が番というのは無理があると思うのですが」

「無理どころではない。全くの事実無根のデタラメだ。妄想な上の虚言で、あの女は貴女を傷つけたのか・・・」

「いえ、わたくしの怪我はクレモラ様のせいです。エスコラ様は直接は何もしていません」

「だが、私の番だと吹聴して貴女に絡んできたのだろう。なんて傍迷惑な、・・・邪魔だな」

 うっすらと口角をあげたイオリの目は全然笑んでいない。すうっと冷気が漂いそうで、抱きあげられているクリスタは身震いした。

 ヘルミはお花畑思考らしいが、イオリに敵認定されたのだ。絶対に本人の思惑通りにはならないだろう。尤も、オリヴェルの逆鱗にも触れたから、エスコラ家が存続できれば御の字になりそうだが。


「元婚約者は祖父君のご友人の家系だというが、その家が滅んでもフルスティ家では構わないだろうか? ついでにあの男爵家も」

「え、滅ぶって何をするつもりですか? 兄と祖父の報復予定があるので、少々お待ちください」

 クリスタはぎょっとして慌てるあまりに的外れな制止になった。イオリが残念そうにため息を漏らす。

「そうか。お二人の楽しみを奪うのはよくないな、残念だが今回は譲ろうか」

「いえいえ、今回も何も。謝罪要求はしますので、余計な手出しは無用です」

 クリスタはぶんぶんと首を振る。なんだか、イオリは兄や祖父と気が合いそうで複雑な気分だ。


「私の番は貴女だ。間違うことは絶対にないが、人族には理解しがたいだろう。人違いの可能性を完全に潰すために男爵令嬢とも交流していたが、今後はとりやめる。

 私の目論見が甘かったせいで、迷惑をかけてしまった。クリスタ嬢、誠に申し訳ない」

「いえ、人違いだと言いだしたのはわたくしでしたから」

 クリスタは真摯な青の瞳からそっと視線を逸らした。至近距離から美形様に真剣に謝罪されるとか、ちょおっと心臓が持ちそうにない。


 予鈴が聞こえて、イオリが早足ながらも静かに歩きだした。午後の授業に間に合いそうにないが、医務室で手当てをしてもらわないと彼は納得しないだろう。

 クリスタはそおっとイオリの顔色を伺った。先ほどよりはよくなったようだが、顔つきは厳しいままだ。

「その、イオリ様。わたくしのために無理をさせてしまったようで申し訳ありません。

 護衛任務があるのに、番候補の交流に時間を取られて大変だったのではありませんか?」

「貴女との時間を苦に思うことはない。安心してくれ」

「いえ、その、エスコラ様との交流で、先ほどのヘルミ様に絡まれたりなさったのでは?」

「男爵令嬢とは初日に男爵家にお邪魔しただけで、後は王宮で挨拶するくらいの交流だった。貴女が思うほど無駄な時間をかけていないから大丈夫だ」


 挨拶するくらいって交流とは言わないのでは? とクリスタは突っ込みたくなった。しかも無駄な時間とか言い切ってるし。

 これは本格的に逃げられそうにないなあ、と遠くを見る目になる。


「もう二度と貴女に危害が加えられないようにするから安心してほしい」

「・・・乱暴な真似はやめてくださいね?」

「ああ、約束する」

 クリスタはようやく表情が緩んだイオリの言葉にほっと身体の力を抜いたのだった。

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