11 「婚約破棄の霊がでるそうよ」
クリスタは一人では留学生のお世話役は荷が重いと友人を巻き込んでいた。
伯爵令嬢のエリサ・ハーバラとマリカ・コッコラだ。
二人とも他国に興味があって竜人族の言語も学んでいる。お世話役にはちょうどよい人材だ。
「我が家は調味料や香辛料の専門店を営んでおりますの。わたくしもミソやショーユには以前から興味がありましたのよ」
「ハーバラ商会は我が国でも有名ですわ。世界各国の調味料を取り扱っているそうですね。わたくしもお話を聞いてみたいですわ」
「わたくしの父は貴国の文学に傾倒しておりまして。わたくしも父の影響でぜひ竜都を訪れてみたいと思っておりますの」
「まあ、嬉しいですわ。ぜひとも、観光にお越しくださいませ」
エリサとマリカに話しかけられて、ミヤビとコトネも楽しそうに応じる。彼女たちの協力でクラスメイトとの交流もスムーズだ。
コトネは一つ年下で本来ならば二学年なのだが、飛び級制度の利用でミヤビと同じ三学年に編入した。二人一緒のほうが護衛しやすく、何かあった場合に対処も迅速にできる。
ミヤビは皇女として、コトネは将来の皇太子妃として交流をはかっている。意外なことにイオリがクリスタと関わることはほとんどなかった。普段の彼は護衛に徹していてほぼ会話はない。ただ、クリスタが視線を感じるなあと顔をあげて目が合うと、彼の鋭い目つきが少しだけ和む。
イオリはクリスタを目にするだけで満足げだ。ミヤビやコトネとの交流を見守られている感じだった。
コトネたちは警備上の理由でランチタイムは個室を貸し切って利用していた。護衛のオサフネ姉妹が教えてくれたのだが、皇太子のカナデの要請だった。婚約者のコトネが男子学生と交流するのが面白くないのだ。必要最低限の関わりしか持たせないようにランチタイムは女子生徒と個室でお籠もりさせるとか。
友好のための留学で男子学生は排除対象なんてあり得ないと思ったが、コトネはカナデの番だと聞いてエリサやマリカも納得の顔になった。
お世話役のクリスタが個室に招待されるので、巻き込まれたエリサたちも一緒だ。
マリカが食後のお茶を味わいながら、友人たちを見渡した。
「そう言えば、一年生の間で新たな七不思議が囁かれているのだけど、知っていて? どうやら、婚約破棄の霊がでるそうよ」
「あら、婚約破棄の幽霊って何?」
エリサが首を傾げると、一学年に弟がいるマリカが追加情報だ。
「婚約破棄とか解消などという言葉を口にすると、どんなひそひそ声の会話でも現れるの。気配や足音もなく、いつの間にかに背後に美男子だけど無表情の霊が張り付いているそうよ。
『話を聞かせろ』と凄みのある声をかけられて謝罪するといなくなるとか。女子生徒の中にはいきなり背後から詰問されて失神した人もいるらしいわ」
コトネが訝しげに口を開いた。
「あのう、その霊って・・・」
「周りに他の人はいなかったのに、どこからともなく現れるのですって。誰かが小耳に挟んで問いただすのは無理な状況なのに、神出鬼没だから人外の仕業だと噂されているの。幽霊じゃないかって説が濃厚らしいわ」
「そ、そうなのですね・・・」
「えーと、七不思議とはなんでしょうか?」
ミヤビが不思議そうに尋ねる。
「怪談や都市伝説のような噂話よ。騎士養成校や女学院などでもあるわ。
どの学舎でも有名なのは夜中に勝手に鳴りだす音楽室のピアノとか、血の涙を流す美術室の石膏像などね」
「我が校では北階段の踊り場の鏡に未来の自分の姿が映る、というものがあるわ。入学したての頃はよく北階段を見に行ったものよ」
懐かしそうにマリカが微笑んだ。エリサもこくこくと頷いている。
「七不思議も流行り廃りがあるみたいね。婚約破棄の霊の話は兄から聞いたことがなかったわ」
クリスタが呑気に呟くと、マリカが申し訳なさそうに眉根を寄せた。
「最近の噂らしくて、一学年から広まってきているのよ。クリスタには不快な話題かもしれないけど、何も知らないで耳にするよりも話しておいたほうがいいかと思って」
「ふふっ、気遣ってくれたのね、ありがとう。でも、わたくしは大丈夫よ。
無事解消したのだし、もともと話を持ってきた祖父もあまり乗り気ではなかったの。ただ、友人から申し込まれて、断りづらかっただけだから」
クリスタが気にしていないと肩をすくめる。
婚約破棄騒動の関係者で学園に通うのはクリスタだけだ。何かしら迷惑を被ることがあるかもと身構えていたが、これまで何もなかった。陰口さえもないようで、マリカやエリサも耳にしたことがないと言う。
イーリスが公爵家の力で何かしら手を打ってくれたのかもしれない、とクリスタは思っていた。
コトネがちらりと背後を見やった。コトネたちが昼食の間、交代で昼食を摂っていた護衛が壁際に控えている。今は兄のイオリが待機中だ。
「兄からは七不思議を聞いたことがありませんでしたけど、有名なお話なのかしら?」
「七不思議が話題になるのは入学したての頃が一番多いわ。兄や姉から聞いていた新入生が他の人に広めるから。公子様は三学年で編入なさったから耳にする機会がなかったのではないかしら?」
「その通りだ」
イオリが妹の視線に応じて答えた。クリスタと目が合うとふっと頬をゆるめる。エリサとマリカが恋バナのアンテナを巡らせて、ワクワクした顔をしている。
クリスタは慣れない空気に少々居心地が悪そうに視線を彷徨わせた。
常のイオリはすんとした無表情だ。さすがに妹たちには口角が緩んだり、目つきが和らいだりと表情の変化があるが些細なものだ。クリスタにだけ甘くなるとかはない、コトネやミヤビに対するのと同じだった。身内扱いというか、妹枠だと思うのだが、それでも恋バナに憧れる友人たちはその僅かな変化だって番だからこそと受け止めている。
『身内扱い=将来の伴侶』ときゃっきゃっされてもクリスタには居た堪れない。
番候補と言っても、大本命がクリスタなのは誰の目にも明らかだ。イオリは休日には朝からフルスティ家を訪れて日没までお邪魔するが、もう一人の候補とは平日の空き時間に挨拶するくらいの仲だ。
ヒルダは王宮の侍女で接待係を務めている。イオリが留学時の様子を王宮に報告に上がるついでの交流で、本当に挨拶だけのお義理の関係なのだ。
クリスタには友人の期待が億劫だった。祖母の事情があるから、素直に番を受け入れるにもいかず、非常に悩ましい問題なのだ。
クリスタが内心で憂鬱な思いを持て余していると、いつもは護衛に徹しているイオリが珍しく会話に加わった。
「そう言えば、琴音。借りていた本の返却期限が今日だったはずだが?」
「ええ、そうだったわ。お兄様、よく覚えておいででしたね」
「・・・ノルマだと渡されたからな」
「成果はでなかったようですけれども?」
兄妹が謎の会話を交わしている。クリスタが首を傾げていると、エリサに肩を突かれた。
「クリスタも本を借りていたでしょう。ほら、学園案内でコトネ様たちを図書館にお連れした時に。クリスタも返却期限がきているのではなくて?」
「そう言えばそうね。返そうと思ってついつい忘れていたわ」
「それなら、私が一緒に返してこよう」
イオリが話しかけてきたが、コトネが名案とばかりに両手を打ち合わせた。
「まあ、それならば、お二人で行けばいいのよ。お兄様、クリスタ様をエスコートして差しあげて」
「だが、私はお前の護衛だぞ? 離れるわけには」
「長船姉妹がいるもの。お兄様は彼女たちの上司で単独行動可能でしょう。よく、所用で席を外すことがあるって、吹雪がぼやいていたわよ」
「いや、それには事情が・・・」
「まあ、それはいいですわね!」
「ええ、クリスタ、公子様と返してきたほうがいいわよ。嫌味な司書だと期限間近で過ぎてなくてもお小言を言ってくるもの。公子様と一緒なら文句を言う人なんていないわ」
エリサとマリカが本人よりも乗り気になった。クリスタの背を押してイオリのほうへ向かわせる。
「公子様。よろしくお願いしますね」
「だが、クリスタ嬢は」
「お兄様。午後の授業まで時間がありませんのよ?」
「そうですわよ、押し問答している暇はありませんわ」
コトネとミヤビも笑顔で圧をかけてくるので、多数決でクリスタはイオリと初めて一緒に行動することになった。
個室の入り口で警備していた姉妹が顔を見合わせていた。耳のよい彼女たちには室内の様子が丸聞こえだ。吹雪が姉にこそっとこぼした。
「姉さま、婚約破棄の霊って・・・」
「うん。十中八九、若様だろう。時折、所用と言って抜けていたが、まさか脅しに行っているとは思わなかった」
三学年と一学年ではクラスの階数が異なるし、接点となる合同授業もない。普段は護衛任務に徹しているイオリの顔は一学年に知られていなかった。だからこその幽霊認定だ。
「その行動力をなぜクリスタ様との逢瀬に使われないのか」
「若様は女性の扱いに慣れておられないから。一番慣れているのが琴音様だからなあ。番相手でも妹扱いになるのだろう」
「・・・はあああっ、若様の恋路は前途多難だな」
「まあ、害虫駆除で外堀は埋めているから、亀の歩みでもいつかはきっと」
護衛の姉妹はそっと目頭を押さえて、上司の情緒面の成長を願った。




