第五十四話 惨劇の夜④
「ぐ……がぁ……」
エルトリートとという少年は、彼らにとってまさにヒーローであった。
この残酷な世界に、一握りの強い者が多くの弱者を虐げることが当然のように罷り通るこの世界で。
強者に一方的に嬲られ、搾取され、尊厳を奪われ、居場所を奪われ、後はもう野盗共の玩具か魔獣の腹の中に収まるしかない自分たちを。
圧倒的な力で絶望を蹂躙し、駆逐し、希望を見せてくれた男だった。
そのヒーローが、今、芋虫のように地面を這いずり、蠢くことしかできない。
右腕は切り飛ばされ、左腕は全ての指があらぬ方向を向き、血にまみれている。
右足には太腿に矢が刺さり、足首が無い。左足は腸詰のように倍ほどに膨れ上がってしまっている。
胴体には多くの切り傷が刻まれ、わき腹を槍で刺し貫かれて地面に縫い留められ。
右目は潰され、頬骨も粉砕されて口から出るのは言葉に出来ないうめき声のみ。
放っておけば、すぐにでも死ぬほどの状態だ。
エルトリートの後ろをついてきた者たちは。
拠点を、自分たちの新しい居場所を造ろうと希望を抱いていた者たちは。
エザレムという暴虐から命からがら生き延びた者たちは。
エルトリートならばなんとかしてくれると盲目的に信じていた者たちは。
上には上がいるということをすっかり忘れていた。
それをまざまざと見せつけられ、思い出し、力なく地面にへたり込み、または横たわった。
「愚かな只人よ。力なき贄よ。思い知れ。そして見るがいい。我らが神の御力を」
エザレムは周囲の光景を満足気に見やると、地面で蠢くことしかできないエルトへ視線を固定すると、最後の仕上げへと入った。
エザレムを中心に地面が光り輝く。
光は弾けるように周囲へと奔り、巨大な魔法陣のような紋様を描き出す。
刻一刻と変化するオーロラの光に照らし出された世界は幻想的だった。
その中心に少女を片腕一本で吊り上げる暴漢がいなければ、だが。
「…………ぉ」
地面に描かれた紋様がさらに光量を上げていく。
屈強な男に襟首を掴まれ、空中へ吊り上げられている事で呼吸を確保することが精一杯のマレアは、地面に倒れ伏すエルトを涙を浮かべた目で見つめ、必死に藻掻くが拘束は解けない。
解けるわけがない。
マレアには力などない。非力な子供でしかない。
チート能力を持ったエルトですら敵わない者たちのリーダーになど、対抗できる訳がない。
それでも、
「エ──ッ!」
自分に手を差し伸べてくれた男の子の名を呼ぼうとして、強められた締め付けによって阻止された。
「黙っていろ贄よ。お前はただ粛々と我が神への供物になることのみ。ああ、素晴らしい」
焦点の合っていない、狂人の眼差しを至近距離で見せつけられ、彼女の心は恐怖によって縛り付けられ、何もできなくなってしまう。
「……え…ぉ」
「さぁっ! 歓喜せよ! 神への供物を捧げる儀式を、その目に焼き付けられる幸運を!」
『我らが神よ、贄を捧げましょうぞ!』
エザレム一党の揃った声。
爆発するように光量を上げる紋様。
「────────!!!!!!!」
マレアの、声にならぬ、断末魔。
「おおおおおおおおおおおおおおおっ!」
エルトの怨嗟の叫び。
それらが渾然一体となって、世界を震わせる。
唐突に、世界は闇に支配された。
光り輝く紋様は音もなく消え去り、莫大な光量によって人々の目は暗い影がちらつき、視界を奪われている状況の中で、
「フフフ」
笑う。
「フハハハハ」
笑う。
「ハハハハハハハハッ!」
笑う。
エザレムが笑う。
男たちも笑う。
何がそんなにおかしいのか?
それは。
「おお、素晴らしい! 供物のたったの一つで位階を上げてくださるとは!」
『おめでとうございます!』
エザレムの背に広がっていたオーロラの翼がより大きく、厚みを増していた。
それだけではない。肉体すら先ほどよりも重厚になり、放たれる威圧感もより凶悪になっている。
「ぬぅ……っ!」
エザレムの右手に虹色の輝きが収束していく。
眩い光の塊が再び闇夜を駆逐し、
「はぁっ!」
ぶぉん! と腕が振られれば、圧倒的な破壊をもたらす衝撃波が放たれる。
倒れていた者も、何とか立ち上がっていた者も、何もかもが耐え切れずに吹き飛び、意識を狩られていく。
「……っ!」
エルトはわき腹を貫かれ、地面に縫い留められていたから吹き飛ぶことはなかったものの、その勢いに槍が耐え切れずに倒れ、エルトの傷を大きく抉りながら抜けていく。
「ふぅむ」
自身が起こした破壊の現象の威力に満足気に頷くエザレム。
もはやそこに立っているのはエザレムと配下の者たちのみ。
エルトは血だまりで蹲ったまま動くこともできず、拠点建設予定地で寝泊まりしていた者たちは死して物言わぬ躯になったか、先ほどの衝撃波によって意識を失っている。
完全なる、敗北だ。
しかし、エザレムはまだ動く。
蹲ったままのエルトへと手をかざす。
「やはり特異な能力を持つ者は供物として最適。ならば『小さき悪鬼』と呼ばれ、幾多の魔法を操るお前は」
虹色の輝きが蛇のようにぬるりと伸び、死に体となって地面に倒れ伏すエルトリートへと絡みつく。
じゅわり、と焼き焦げるように白煙を上げ、エルトの意識が覚醒し、顔を歪める。
それを見て嗜虐的な笑みを浮かべるエザレム。
「どれほどの、ものなのだろうな?」
腕が引かれ、エルトの小さな体が地面に削られながらエザレムのもとへと引き寄せられていく。
手首のスナップだけでロープのように伸びる光はエルトを縛ったまま跳ね上がり、さらに勢いよく腕を引けばまるで意志を持つようにうねりながらエザレムの手にエルトの首を運んでくる。
「さぁ、お前も贄となり、我が神のもとへ!」
エルトを吊り上げ、エザレムは再び魔法陣を展開した。




