第五十五話 惨劇の夜⑤
虹色の光が夜の闇を駆逐していく。
節くれだった指がめり込むほどの力で喉を掴まれ、吊り上げられたエルトはぼやける視界でそれを見ていた。
「さぁ! さぁ! さぁ! 贄となる気分はどうだ!? 素晴らしいだろう!?」
エザレムが恍惚とした表情でエルトに問いかけるが、反応はない。
四肢はだらりと垂れ下がり、うめき声も上げず、エルトはなすがままだ。
「死ぬなよ。まだ捧げておらんのだからな」
光が、増していく。
エルトの視界が光に飲まれていき、夜空の黒がどんどん消えていく。
──返せ。
突然、地の底から轟くような重低音がエルトの脳髄を震わせた。
ビクン! と痙攣した彼の身体を、エザレムはまだ生きている証拠だとして口の端をさらに吊り上げる。
──返せ。
再び、声がエルトを震わせる。
──我が力を返せ。
(…………せぇ)
──返せ。
(……るせぇなぁ)
声が聞こえるたびに、エルトの小さな身体は痙攣を繰り返す。
その刺激が、彼の意識をほんのわずかに揺り動かした。
(誰だ……)
──返せ。
(もういいだろ……)
──返せ。
(寝かせろ……)
──我が力を返せぇぇぇぇぇぇぇっ!
もはや抵抗の意志を挫かれたエルトが意識を手放そうとするが、声はそれを許さないと言わんばかりに強大な衝撃を伴い、エルトの脳髄を揺さぶる。
「あああああああああああっ!」
「ふふ、苦しいのはすぐに収まる」
謎の声による衝撃に枯れ果てた喉から絶叫を上げるエルト。
それを最後のあがきと勘違いしたエザレムは愉悦に満ちたまま言葉をかける。
「やめろぉぉぉぉっぉぉぉっ!」
「ははははははははあははっ!」
──返せぇぇぇぇぇぇぇっ!
目を見開き、絶叫を上げるエルトに、エザレムの哄笑と謎の怒声が叩きつけられる。
そして、エルトは、謎の光景を幻視する。
長閑な、どこかの農村。
そこで農作業に勤しむ人々。
よく似通った顔立ちの少女と少年。
時に笑いあい、時に喧嘩し、健やかに成長していく二人。
平和は長く続かず、魔獣の大群に襲われる村。
逃げ惑う人々。
襲われる少女。
絶叫し、一撃で魔獣を屠る少年。
目を血走らせて魔獣を駆逐していく。
戦いが終わり、負傷した村人を前に泣く少女。
無垢な祈りを捧げ、癒しの力で人々を癒していく。
なんとか村を再建しようと動く人々。
そこへ進軍する軍隊。
人狩りが行われ、囚われていく人々。
怒りの感情のまま虐殺を行う少年。
泣きながらそれを止めようと縋る少女。
少年はそれを跳ね除け、歩き出す。
少年は様々な場所で魔獣を、軍隊をその圧倒的な力で壊滅させ、恐れられていく。
少女は様々な場所で傷ついた人々を癒し、やがて多くの人々に崇められていく。
少年は荒々しく成長し、傷だらけのまま争いの場所に現れ、多くの荒くれ者を率いて略奪を繰り返す。
少女は美しく成長し、その癒しの力で多くの人を救い、力ない人々の集まりの象徴として君臨していく。
男はやがて女のいる場所へと進軍する。
激しい激闘。
奪うため。
護るため。
戦場で再会する二人。
狂気を宿したまま襲い掛かる男。
それを悲しみのまま防ぐ女。
戦いはすぐに終わった。
女の放った光に囚われる男。
曇天に漆黒の門が開かれる。
泣き叫ぶ男を女は涙を流しながら門へと放り込む。
首領が失われ、逃げ惑い、討ち取られていく荒くれ者たち。
平和を手にし、繁栄をしていく人々。
どこまでも続く暗黒の空間で暴れ狂う男。
怒り、憎しみ、負の感情を滾らせ、煮詰めていく。
女が老いていくにつれ、暗黒の空間に僅かな綻びが生まれ、そこから干渉を開始する男。
人々に思念を送り、生贄を捧げさせ、暗黒の空間から脱出するための力を溜め込む。
それでも効率が悪いのに気が付き、溜め込んだ力を注ぎ、より強力な手駒へと強化していく。
より大規模で凄惨な戦乱が吹き荒れ、どんどんと力が注ぎ込まれていく。
それを笑いながら眺める男。
たまに大きく力が溜まることに気付いた男はそれを検証し、法則を突き止める。
男の前に老若男女問わず、様々な人間の姿が現れては消えていき、やがて、そこにマレアとエルト、もう一人少女の姿が残る。
男がエルトの姿に手を伸ばせば、今まさに焼け野原になった集落で死にかけている少年の姿。
狂気に染まった表情で大きくなった綻びから自分の力を器へと注いでいく。
力の大半を注ぎ終わり、自らの魂を移そうと肉体を破壊し、いざ綻びからでようとしたところで異変が起こった。
少年が起き上がり、活動をし始めたのだ。
茫然とし、やがて怒り狂った男は綻びから出ようとして、出た瞬間に自身の一部が分解していきすぐに暗黒の空間に引き返す。
怒りの波動を放出し、男は叫ぶ。
──返せぇぇぇぇぇぇっ!
「…………はっ」
光が極限にまで高まり、視界が塗りつぶされていく中、エルトは嘲笑する。
今まで、彼は自らが『ステータス』と呼ぶ力の由来を把握していなかったが、今、この瞬間に把握した。
そして、この声の主が誰で、何が目的なのかも。
「…………はっ」
再び鼻で嗤う。
ぼやける思考の中でも、エルトは最後の力を振り絞って『ステータス』を呼び出す。
半透明のウインドウには様々なスキルが羅列され、ポイントを割り振ることでその力を得られるというもの。
この力のおかげで、エルトは今まで生き延びてきた。
けれどポイントは有り余ったまま。使える力も一割にも満たない。
そこまで必要性を感じなかったのも理由の一つだが、あまりにも大きく多様な力を持つ事に恐怖を感じていたのが最大の理由だ。
まるで、人を止め、怪物になってしまうようで。
だが、今は違う。
(やってやるよ……)
躊躇などない。
今、この現状を打破するにはこれしかない。
──やめろぉぉぉぉっぉぉぉっ!
「はは」
エルトのやろうとしている事を察知したのか、今まで以上の強い衝撃が襲いかかる。
それでも、エルトは止まらない。
彼の意志に従ってポイントが消費され、膨大な量のスキルが小さな体躯に宿っていく。
────────っ!
自分の力が、他者に奪われる。
声にならない悲鳴が叩きつけられたが、そよ風のように緩やかだ。
やがて、すべてがエルトの力へと変わり、
「ぬ?」
エルトの変化を感じ取れぬまま、愉悦に満ちたエザレムはようやくここで違和感を感じた。
力なく垂れ下がっていた腕が震えながらも持ち上がっていく。
「……何だ? まだ足掻くか? 無駄──」
首を掴むエザレムの太い中指をエルトの小さな指が摘まむ。
ぐしゃぐしゃになっていたはずの指がいつの間にか治癒していた。
その小さな指が、エザレムの指をぷちゅりと潰す。
「!?」
小さな痛みに顔を歪めたエザレム。
青筋をくっきりと浮かべ、贄の儀式を完了させようと力を込め、
「放せやおら」
手首が爆破された。




