第五十六話 惨劇の夜⑥
何が起こったのか、エザレムは理解不能だった。
目の前の小さな子供はもはや反逆するなど不可能な程破壊されていたはずだった。
もし力があったとしても、使徒としての自分に敵う訳がない。エザレムの配下にすら敵わないのに、彼らよりも位階が上の存在に有効打を与えることなど。
「ぬぅ……っ!」
使徒は人を超越した優良種。
欠損すらすぐさま回復することが出来る。
しかし、エザレムの右手は一向に回復しない。
「なに、を……なにをした!? 小鬼!」
ぼたぼたと滴る血を見下している只の人間と同じように止血しつつ、エザレムは吠える。
その表情は怒りに満ちている。
それもそうだろう。
圧倒的格下と見下した存在にやられたのだから。
「は、はは」
手首を爆破し、その衝撃で吹き飛ばされたエルトはそのまま地面に叩きつけられ、仰向けに倒れたままだ。
けれど、彼は嗤っていた。
傷だらけのまま。死に体のままで。
「やれぃ!」
武器を構え、エルトを警戒していた部下たちが一斉に虹色の輝きを纏った武器を振るうが、それよりもエルトを青白い光が覆う方が早かった。
部下たちはそれでも武器を振るった。
エルトの魔法は虹色の輝きの前では無力だった。先ほどと同じくすぐさまエルトの身体を貫けると確信して。
「!?」
あっけないほど、虹色の輝きは霧散し、武器が砕け散った。
驚愕に染まる部下たちだが、続けてさらに驚きに一歩後退る。
エルトの身体が、ボコボコと蠢いていた。
折れた指や足が跳ねるように形を整えられ、傷口が盛り上がって塞がれ、欠損がまるで植物が育つように修復していく。
「なに?」
「そう驚くなよ」
エルトはゆっくりと身を起こし、エザレムを見る。
その視線は、刃のように鋭い。
ぶわりとエザレムの全身に嫌な汗が浮かぶ。
(なんだ!? 我が、気圧されている!?)
よっこいしょ、と緊張感の欠片もない声を発しつつ、エルトは立ち上がる。
その姿は、以前のままだ。
何ら変わりはない。
けれど、何かが違う。
「お返しだ」
へらり、と笑うエルトの姿が、霞んだ。
一瞬にして片手剣を持つ部下の前に現れたエルト。
部下はそれに反応する暇もなく、
「インパクト」
エルトのボディーブローによって胴体を爆散させられた。
何が起こったのか分からず、音のした方へと向く部下たち。
それに構わず、エルトはすぐ横にいた槍使いを、
「バイブレート」
掌底打と共に超振動を叩き込んで内部構造全てを粉砕する。
「……おのれ!」
ナイフ使いとレイピア持ちが動き出すが、
「ブラスト」
空間自体を爆砕され、塵一つ残らず消滅した。
「バインド」
どこからともなく現れた鎖が今まさにエルトへと踏み出そうとした部下たちを拘束し、脱出しようと藻掻く暇を与えずに一か所へと纏め上げ、
「ゲヘナ」
紅蓮の劫火に身を焼かれ、悲鳴一つ上げることなくドロドロとした物体へとなり下がった。
「ば、ばかな」
信じられないとばかりに声を絞り出すのは、唯一生き残ったハンマー使い。
脂汗を垂らし、まるで縋る様にハンマーを握りしめる。
「プレス」
そんなハンマー使いも一瞬にしてクチャリと潰され、地面の染みになった。
「…………っ」
エザレムの表情がこれまで以上に歪む。
簡単な作業のはずだった。
目標の一つは何の支障もなく遂行できた。
邪魔をしようとする小鬼すら使徒としての力の前では無力だった。
にも拘わらず、今では圧倒されている。
先程までとは真逆の立場になっている。
「ありえん」
「そうかい」
エザレムの声に応えるエルトの声は淡々としていた。
「何が起こった? 何故そこまで冷静なのだ? さきほどまでは──」
「怒ってんのさ」
「なに?」
あり得ない状況に、混乱したまま口を開くエザレムに対し、エルトは端的に答える。
「人間、とんでもなく怒るとよ? 結構冷静になるもんだ」
静かに、淡々と言葉を紡ぎ、
「死ね」
青白いスパークを迸らせ、両腕に輝く刃を顕現させる。
その輝きは先ほどの物とは比べ物にならないほど冷たく、死という概念をこれでもかと言わんばかりに内包している。
「舐めるなよ小僧!」
「うるせぇよ」
エザレムは剣を引き抜き、虹色の輝きを纏わせる。
それを冷めた目で見つつ、エルトの身体はふわりと風を纏い、一気に加速した。
地表の流星となったエルトの目に映るエザレムは、とても遅く感じた。
エザレムだけではない。部下たちの動きもそうだ。
先程、『ステータス』に表示されていたスキル全てにポイントを振ってからエルトは変質した。
全身に今までにないほどの力が駆け巡り、とてつもない全能感が心を満たした。
それもすぐに収まったが。
今、エルトを支配しているのは殺意だ。
目の前にいるこの男を殺す。
それだけだ。
────────!
青白と虹、二種の輝きが激突。
虹が青白に食い散らかされ霧散していく。
その光景を驚愕の眼差しで見つめるエザレムを、エルトは四肢のレーザーナイフで切り刻む。
指を、手首を、肘を、肩を。
足首を、膝を。
踊る様に、鮮やかに、達磨にする。
血は流れない。プラズマの刃は肉を焼き、強制的に止血する。
「…………? !?」
自身に何が起こったのか。
理解が追い付くか追いつかないかの瀬戸際にて、エザレムの首をエルトが左手で掴み、空中に吊り上げる。
意趣返しだ。
「ぐ……ふふ。満足か? 私を殺して? あの小娘の仇を取って? 仲間の仇を取って? 満足か? すでに取り返しはつかないというのに? ふふ、滑稽だな小鬼よ」
虹色の翼すら消失し、もはや逆に死に体となったエザレムだが、嘲笑を浮かべて言葉を放つ。
「さぁ殺すがいい。さすれば我は主の御許へと還り、主の力となる。それに、使徒は我らだけではない。偉大なる主に忠誠を誓う同士は各地に存在する。我よりも位階が上の存在も多い。すぐにお前の命を刈り取りにやってくるであろう。ハハ」
エザレムは使徒の中でも下位の存在だ。
自分を圧倒出来たところで、より上位の使徒と戦えばいくら小鬼であろうとも倒されるだろう。
そうありありと見て取れる。
「そうか」
しかしエルトは動じた様子もなく、とある魔法を発動する。
「呪毒魔法──」
右手に魔法陣が浮かぶ。
一つ、二つ、三つ……。
十、二十、三十……。
百、二百、三百……。
一枚一枚は薄い魔法陣が十枚で一枚に圧縮され、百枚が再び一枚に圧縮され、千枚がまた一枚に圧縮され、最終的に圧縮され、一枚となった魔法陣の総数は二千四十三枚。
粘つく黒紫の塊となったそれは、この世の全てを呪い、蝕み、苦しみと絶望を糧とするおぞましき概念の集合体。
「な、なん……?」
引きつるエザレムを前に、エルトは無造作にそれを振りかぶる。
「や、やめ……」
あれだけ尊大だった男が、脂汗から始まり涙に鼻水、涎まで垂れ流しながらイヤイヤと首を横に振るが、エルトのやることは変わらない。
無言のまま、呪毒の塊をエザレムに叩き込んだ。
二千四十三、という数は今現在この世に存在する呪いの総数だ。
エルトは今、この世の全ての呪いをただの一個人になり下がったエザレムに注入した。
それが、どのような結果をもたらすのか?
「あ、あが……ぶ、ぇ」
がくがくと痙攣し始め、ぐるりと白目をむいて口から泡を噴き出す。
すぐにその泡は朱が混じり、痙攣が激しくなっていく。
血管がまるで生きているようにボコボコと蠢き、あらゆる箇所で破裂し、皮膚をどす黒く染め上げていく。
「お前には安らかな死は与えない。お前はありとあらゆる呪毒を抱えたまま、永遠にお前のまま生きて死ね」
エルトによって叩き込まれた呪毒はエザレムの根幹である魂に溶け合うように侵食し、一体化した。
その魂はまるで繭のように呪いでコーティングされ、もはや開放されることはない。
このままエザレムは根幹から腐り落ち、抵抗する暇もなく死んでいく。
しかしその魂は呪いを内包したまま、エザレムの人格そのものも解放せずに輪廻する。
この世界も生きとし生ける存在は死ねば女神のいる花園へ行き、安らぎを得て再び命ある存在に生まれ変わるという輪廻転生の概念がある。
エザレムの魂は永遠に安らぎを得ることはない。
呪毒によって今も言語を絶する苦しみを与えられ続け、もし仮に生まれ変わったとしてもすぐに死ぬ。けれど呪毒によってエザレムはエザレムのまま永遠に囚われ、抵抗も、懇願も、自死することも許されず、永遠に、呪毒と共生し続ける。
救いなどない。
ぴくりとも動かなくなったエザレムの肉体を、エルトはゴミのように放り捨て、
「ノバ」
限定空間内を消滅させる、現在では失われた禁忌の魔法にて消し飛ばした。
「…………」
全てが終わり、エルトは静かに佇む。
自分たちの拠点を造ろうと、活気に満ちていたはずの場所は今はもう見る影もない。
多くの人間が命を落とした。
建造途中のものや、仮の宿舎などは崩れ落ちている。
「マレア…………」
その声に応える者は存在しない。
彼女は死体も残っていない。肉体も、魂も、全てがエザレムたちの言う「主」へと捧げられた。
もう、活力溢れる少女の声を聞くことはない。
もう、彼女に名を呼ばれることもない。
もう、彼女と一緒にいることは、ない。
「クソが……」
全ては自分の油断のせいだ。
エルトは自分を責める。
チートだなんだと浮かれ、勿体ないだのまだいいか等と理由をつけてポイントを余らせていなければ、この事態は防げたはずだと。
実際には恐ろしかったのだ。
訳の分からない能力がいきなり手に入り、簡単に超絶な力を振るえるようになるのが、まるで自分が自分ではなくなるような気がして。
人ではなく、化け物になっていくようで。
「クソが」
怖気づき、眼を逸らし続けた結果がこれだ。
ある程度の力をつけただけで、満足していた結果がこれだ。
これだけの力があれば、余裕でこの世界では生きていけると慢心した結果がこれだ。
「クソが!」
マレアが死んだ。
何人も死んだ。
奪われた。
蹂躙された。
何もかも。
「クソがぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
いつの間にか、夜が明けていた。
*****
かくり、と衝撃を感じ取ってエルトは我に返る。
「……またかよ」
うんざりとした口調で額に手を当てる。
ぬるりとした感触。
嫌な汗だ。
エルトは息を吐きつつ、身を起こす。
酒を飲みつつ、ボーっとしていたらいつの間にか寝ていたらしい。
「……最悪」
エルトはあの惨劇の夜から満足に眠れない日々を送っていた。
酒をどれだけ飲んでも、体をどれほど酷使しようとも、魔法を使っても、安らかに眠れたことは一度もない。
目を閉じて寝ようとしても動悸が激しくなり、息がし辛くなって嫌な汗が大量に噴き出る。
それでも横になったり、ボーっとしているといつの間にか眠りに落ちるのだが、あの日の光景が悪夢となって再現され、目が覚めるのだ。
眠れぬ夜を過ごし、朝方になるとまたうとうとし始め、その頃にはマリアルイーゼに起こされる時間となる訳だ。
慢性的な睡眠不足状態でも、エルトは不調を苦としない。
あの夜、膨大なスキルを自身に宿してから毒を飲もうが何をしようが不調はすぐに回復するようになった。
あれから使徒と何十人も戦ったが、負傷も欠損もすぐさま回復することができる。
もはやエルトは人の範疇から逸脱した存在となっていた。
「今日のはやけに鮮明だったな。豊穣祭の時季だからか?」
コップに残っていた酒を一気に呷る。
豊穣祭は拠点が雪に埋もれる前に行う一大イベントだ。
表向きは。
エルトにとっては、あの夜に犠牲となった者たちへの鎮魂の行事でもある。
ちょうど冬になる前のこの時季だった。
最初はごく少数で墓参りしていただけだったが、人数が増え、湿っぽいのが苦手なエルトが思い付きで飲んで騒いでをやってみたら、いつの間にか大規模なものになっていたのだ。
「…………」
頬杖を付き、再びボーっとするエルト。
しかし、魔力の波動を感じ取って意識を切り替える。
念話だ。
「俺だ」
『団長? 報告がありますの』
応答すれば、相手が拠点防衛戦士団の戦士長アイゼスの妻で、諜報部のリーダーでもあるグレッセリアの声が聞こえる。
「どうした? 敵でも来たか?」
『……マリアルイーゼさんが誘拐されました』
「何してんだテメェ!」
エルトの怒声に、積み上げていたマレアの手帳が一冊、ずり落ちた。
過去編終了。




