第三章 王女、結界を張られる
翌朝、プリムローズが目を覚ますと、騎士たちはすでに起きていて、焚き火の上に鍋を置いて湯を沸かしたり、馬の世話をしていた。
「寝坊してしまいました……?」
プリムローズは赤みがかった金髪を朝日に輝かせ、寝ぼけ眼を擦り、ゴザからのっそりと身体を起こした。気が付けば、毛糸の膝掛けが肩まで掛けられている。
たまたま近くにいたエヴァンが、中腰の姿勢になって微笑んだ。山の中でも身だしなみを気にしているのか、とっくに髪型を整えている。
「いいえ、自分たちは昨晩、交代で仮眠をとっていたので、朝早くに支度していたのです」
フィリポが外套の裾を、袋のように捲り上げて、焚き火をするビクターの近くに寄ってきた。
「山菜採ってきた」
捲った外套の上には、採れたての、さまざまな種類の山菜が載せられている。
「ほお、初めて見たな」
ビクターは黒縁眼鏡のツルを摘み上げ、山菜の束をまじまじと覗き込んだ。
「茹でて灰汁抜きしようぜ。ビスケットだけじゃ飽きちゃってさ」
久しぶりに山菜を味わえるためか、フィリポは機嫌を良くさせ、両耳をひょこ、ひょこと何度も震わせた。
「何だ貴様、雑草を食べる気か」
そこへエヴァンが、嫌そうに未知の食材を睨みつける。
「雑草じゃねーよ、山菜だよ」
「雑草だ。雑草雑草」
エヴァンとフィリポが雑草、山菜、と言い合っていると、馬に餌を与えていたマシューがやってきて、レベルの低い言い争いはすみやかに止んだ。
「お前ら、さっさと朝飯食って出発するぞ。――プリムローズ様、おはようございます。よく眠れましたか?」
「おはようございます、お陰様でぐっすり寝られました」
プリムローズは髪を梳ってポニーテールに結い上げると、塩茹での山菜をフィリポに分けてもらった。生まれて初めて食べた山菜は、シャキシャキと歯触りが良く、癖が強いが甘みもあり、彼女は気に入った。
「美味しいです」
「へへっ、そうでしょう。ほらエヴァン、プリムローズ様も美味しいって仰ってるぞ!」
フィリポは、意地でも山菜を食べようとしないエヴァンに突っかかっていく。
「プリムローズ様……あまり得体の知れないものを口にされないほうがいいですよ」
エヴァンは横目でフィリポを睨む。
「まぁエヴァン……。昨日から気になっていたのですが、どうして、えっと……フィリポさん、に冷たいことばかり言うのです? 同じチームメイトなのに……」
深刻そうに今更のことを懸念するプリムローズに対し、ビクターは飲んでいた水を噴き出し、咳き込んだ。山菜を食べていたマシューはそっぽを向き、わなわなと肩を震わせている。
彼女からすれば、いつも親切にしてくれる、優しいはずの近所のお兄さんが、同年代の男の子に意地悪しているような、嫌な光景に見えたのだ。もっとも、実際はプリムローズより、フィリポのほうがずっと年上なのだが。
そうだ、そうだ! とフィリポは便乗する。
「ああ、プリムローズ様。俺、さん付けしなくていいですよ。フィルでいいです。皆そう呼んでますから」
「じゃあ改めて、フィル」
「はい」
和気藹々としている二人に、エヴァンはますます機嫌を悪くし、悔しそうに歯ぎしりした。
(ああ、自ら墓穴を掘ってしまうんだなぁ……)
ビクターはむせこんで濡らした口元を拭いながら、同僚二人を冷ややかに見つめた。
朝食を済ませた一行は、峠を下って、轟々と水飛沫を上げて流れる滝口に辿り着いた。この滝から流れる川は、ハルナ山脈の二番目の山、ツギノ岳まで続いている。
プリムローズはマロンから下りて、川岸に膝をつき、その清らかな水を両手で掬うと、口をゆすぎ、顔を洗った。冷たい水が肌にしみこみ、身体の芯まで冴えるような爽快感があった。
王女が革袋に水を汲みながら、川のせせらぎや野鳥のさえずりに耳を傾けていると、黒鹿毛の馬から下りたビクターが近付いてきて、恭しく跪く。
「プリムローズ様、失礼致します」
何だろうと見つめてくる彼女の顔の前に、彼は色黒の大きな手を翳した。
「御身は海、或いは大河。そして玉響の如き恵雨の雫。此の世すべての生きとし生けるものの内に巡る大いなる水の支配者よ。我、浮かびて消えし泡沫なれど汝を崇め奉らん。絶えず流るる澪の理を導き給え……」
いきなりマテリア術を詠唱され、戸惑っていたプリムローズだが、ビクターの翳した手から自分の額へ、まるで清水のように冷涼とした波動がツン、と伝わっていくのを感じた。
「此の者に汝の加護あらんことを。邪を浄める水晶の円盾――クリスタリンバスティオン」
そう唱え終わると、一瞬だけ、彼女の全身が真っ白な光を放ち、スッと消えた。
プリムローズは何が起こったのか分からず、ポカンとした表情で、腕や肩など、自分の身体を見回した。
「今のは……?」
「水のマテリア術です。私がプリムローズ様の御傍にいる間、守護を強化する術――御守りを施しました」
ビクターは安心させるように、微笑みを向けた。
「貴方はマテリア術が使えるのですか?」
王女が飴色の目を丸くすると、色黒の騎士は頷く。
「はい。私はカルチェラタン港の出身でして、若い頃、アルカネットからの僧侶が、街に水神ハイドロディウス系の寺院を建立したのです」
「凄いわ! マテリア術ってマテリアの適正があって、その属性の神を祀る寺院で修行しないと使えないのでしょう? ビクターさん……」
「私も呼び捨てで構いません」
「ビクターは、僧侶の資格を持っているのですか?」
「ええ、下位のものですが」
興味津々に質問してくるプリムローズに、ビクターはあっけらかんと返答した。彼自身、必要な能力を修得しただけであって、大したことはしていないという認識だった。
後ろで馬に乗っていた3人のうち、フィリポが、同僚の別の一面を知り、そうだったんだ……と驚いていた。
「それではプリムローズ様、川沿いに進みましょう」
マシューに促されて、プリムローズははい、と返事して立ち上がった。そして振り向きざま、ありがとう、とビクターに感謝を述べる。
(マテリア術の御守りをかけられたってことは、無駄な怪我をして、アイヴィーを傷つけなくて済むってことよね……!)




