第三章 ふるさと遠く
プリムローズたちは城を出てまず、馬でひたすら丘道を下って、扇状に広がる城下町を回り込むように、その先へ続く林道へと向かった。人目を避けるためである。
鬱蒼と生い茂った木々に覆われているせいか、林道の地面はぬかるんでいて、馬たちは若干走りにくそうだ。
マシューは馬上から、プリムローズに注意を促した。
「ぬかるみがあるようなので、スピードを落としましょう」
ええ、と彼女は返事しながら、足で軽くマロンの胴を抑えた。するとマロンは、少しずつスピードを落とし、常歩になっていく。
(おっ、結構やるじゃん……)
月毛の馬で後ろからついていくフィリポは、プリムローズの技術に面食らった。同時に、心配事が一つ減ったようにホッと安堵の息を漏らす。
乗馬ができるといっても、教養や趣味の範囲、近場を散歩するだけだろうと思っていたからだ。スピードの調節ができるのは、馬との信頼関係をきちんと築いていて、それなりに長距離の移動が可能ということである。
騎士は当然のように乗馬の訓練を受けるが、この時代で馬の一人乗りができる女性は非常に珍しかった。
林を抜けると風景が開けて明るくなり、晴天のもと、道の両脇に新緑の果樹園が広がっていた。この辺りの土地は山麓に近い斜面になっているため水はけがよく、戦前から果樹園として利用されていた。立ち並ぶ高い木々に、丸々としたビワの実が鈴なりに成っている。
「懐かしいなぁ」
エルフの部下が何となしに呟くと、マシューは後ろへ振り向いた。
「お前、ハルナからここまで下りて来たんだっけか」
はい、とフィリポが答えると、黒鹿毛の馬に乗って並走していたビクターが、眼鏡越しに驚愕の眼差しを向けた。
「ここからさらに城下町まで歩くなら、相当かかるぞ……?」
「そうなんだよ。途中で足が棒みたいになっちゃってバテたら、ここら辺の農家なんだろうな、知らない婆さんがビワ一個くれた。あんたエルフか、ここで行き倒れたら、その長い耳カラスにつつかれるよ、って……。初めて食ったなぁ、ビワの実。種がデカかったけど、みずみずしくて美味かった……」
フィリポが遠い目をして、しみじみと思い出を語るのを、エヴァンは芦毛の馬に跨りながら、ハッ、と鼻で笑った。
「……仮にも騎士を志す者が、農民の施しを受けるとは情けない」
その頃は騎士になると思ってなかった、と上官の前で言い返すわけにもいかず、フィリポは頬を膨らませ、馬の動きと連動するように、両耳を小刻みに揺らした。
背後の会話を聞いて、エヴァンの棘のある言い方に戸惑い、プリムローズは空気を変えようと、話題を変えた。
「と、ところで、ハルナ山にはどんな果実が成っているんですか?」
唐突に王女に尋ねられたフィリポは、気を取り直して耳の動きをぴたりと止めた。
「え? えっと、定番なのは……クルミにプラムに、ヘビイチゴとかですね。あと、秋冬ならユキザサの実ですかねぇ」
「ユキザサ?」
「ハルナに咲いている花です。真っ白な小さい花で、名前の通り、茎に雪が積もったみたいなんです。そういえば、ちょうど今頃に咲くんですよね」
「わぁ! この季節に雪見できるみたいで素敵ですね。見てみたいです!」
「いっぱい見られると思いますよ」
「楽しみがひとつできました」
プリムローズの弾むような声と、朗らかな態度に、フィリポはフッ、と口角と耳を上げ、機嫌を良くする。
「……」
さりげなく場の雰囲気を和ませた彼女に、ビクターは感心したように頷いた。
そのままずっと果樹園の道を進むと、だんだんと前方の、視界の隅から隅まで連なっている巨大な山影の輪郭が露わになってきた。
手前に見える小山ははっきりと濃く見えるが、遠くの高い山岳はうっすらと霞みがかっていて、まだその全貌を見せていないにもかかわらず、天にも届きそうな神々しい佇まいで、こちらを見下ろしていた。
「あれが、ハルナ山……」
プリムローズはそびえる山岳に圧倒され、思わず唾を飲み込んだ。
「プリムローズ様、手前に見えますのがイチノ岳です。日暮れまでにあの峠を越えまして、そこで野営と致します」
マシューの説明を聞きながら、プリムローズは襟元を、片手でギュッと掴んだ。正確には、衣服の布越しの、首にかけたネックレスである。
アイヴィーとお揃いのデザインの、かつて友情の証とした物だ。
(また貴女に会える日が来るまで、私、頑張るから……!)
友との再会を糧に、飴色の眼は凛として、乗り越えるべき山肌を見据えた。




