第三章 早まる出発
「私、何ですぐ倒れてしまうのかしら……。身体が弱いのは嫌……」
小さな王女は頬をリンゴのように真っ赤にして、悔しそうに呟いた。
「もっと沢山のことを覚えて、何でもできるようになりたいの。早く私が立派な女王になったら、お姉様も、マドンナも、お父様も安心できるでしょ……?」
枕の上に頭を載せながら、姉のほうを見上げる。
プリムローズは、いじらしい妹に目頭を熱くさせながら、微笑んだ。
「……そんなに焦らなくていいの。大丈夫、シャーロットは頑張り屋さんだから、帝王学のお勉強も、今日一日休んだって追いつくわ。これからきっと、身体も丈夫になってくるわよ。ご飯を好き嫌いせずにちゃんと食べるのよ、もちろんニンジンもね」
「ニンジンは勘弁して!」
シャーロットはそう叫ぶと、掛け布団を一気に頭まで被った。プリムローズはころころと笑う。
「……」
部屋の外にいたアイヴィーは、ドアの向こうから賑やかしい声を聞くと、ノックしかけた拳を止めて、踵を返した。
アルカネット行きまで残り少ない時間を、家族水入らずで過ごさせてあげたいのだ。
笑い終わったプリムローズは、布団の掛かったシャーロットの腹を優しくポン、ポンと叩いた。
「ねぇ、シャーロット。貴女が赤ちゃんだった頃、お母様に、二人で助け合って生きなさいと言われたの……。私はスターチス宮殿へ行くけど、もしも、シャーロットに何か困ったことがあったら、キャンディスへ飛んでくるからね」
「うん。私も、お姉様に何かあったら、アルカネットに行くわ……」
次第に重くなっていく瞼を閉じて、シャーロットがスースー……と健やかな寝息を立て始めると、プリムローズは静かに部屋を後にした。
(アイヴィー、夕食の支度に行ってしまったかしら……)
プリムローズが廊下を渡り、自分の部屋に戻ろうとしたとき、突き当りの角から、文官が纏ったローブの裾を翻してやってきた。汗ばんだ顔でひどく慌てている様子である。
「プリムローズ様、突然のご無礼を……! 謁見の間においでください!」
「私からああ言っておいて、再び呼びつけるとは手間をかけさせたな」
謁見の間では、玉座のバクストン6世を挟み、宰相クレメンスと騎士団長ブランドンも控えていた。
プリムローズは激昂していた先ほどと打って変わり、父王へ恭しくお辞儀をする。
「いえ、私こそすみません……やっと冷静さを取り戻しました。ところで陛下、どうされたのですか?」
国王はばつの悪そうに顔を顰めた。
「プリムローズ……。そなたのハルナ山への出発が明日の早朝に変わった。すみやかに支度をせよ」
「えっ! そんな、急に……?」
王女は目を見開いて動揺した。これからアイヴィーと仲直りしようと思っていたところで、まだ心の準備などできていなかった。
クレメンスがのっそりと彼女のほうへ向き、低い声で説明した。
「ユイ族から占術の結果が届きましたところ、3日後に大雨があり土砂崩れの危険があるそうです……」
「なら、大雨がおさまった頃にでも……!」
今度はブランドンが、申し訳なさそうに意見する。
「恐れながら、カルチェラタン方面の行列と合わせなくてはならぬため、出発日を延ばすのは無理にございます」
「……」
嫌だ、とプリムローズは言ってしまいたかった。しかし、使命のため、国のために命を懸けるアイヴィーとエヴァンや、女王を目指す健気な妹の顔がよぎり、グッとこぶしを握り締めた。
(泣かない! 私がアルカネットへ行かなくては、誰がこの国を平和にできるって言うの……! ――皆のためを思うなら、早く行動したほうがいいのよ!)
「……分かりました。今から用意をしてまいります」
絞り出すような声で、プリムローズはそれだけ答えるのがやっとだった。
「済まない……。私はそなたに我慢ばかりさせてきたな……」
父王の優しさが、かえって彼女の心に追い打ちをかける。だがその飴色の眼差しは、揺らぐことなく、真っ直ぐ正面を見据えようとした。
「いいえ、陛下。私はベリロナイトの第一王女としての、務めを全うするだけです……!」
バクストン6世は玉座から立ち上がると、自分を「お父様」ではなく、「陛下」と呼ぶ娘に近寄り、両腕を広げて、まだ幼き頃の面影の残る華奢な肩を、強く抱きしめた。
(ああ、今までもっと抱きしめてやればよかった……私は、国のために、我が子まで犠牲にするのだ……!)
「本当に済まない……プリムローズ……!」




