第三章 初夏の訪れ
昼下がりの新緑の草原は、強い日差しに照らされて、瑞々しく輝きを放っていた。日光を浴びた草花の熱を冷ますように、穏やかな風が吹き抜ける。
5月も中旬に差しかかり、初夏の訪れを感じさせる。
プリムローズは5歳年下の妹を愛馬マロンに乗せ、自分は隣で付き添っていた。
「そう、手綱をしっかり持つのよ。ゆっくり歩いてほしいときは、両足で胴を挟むように、力を入れるの」
「う、うん……」
シャーロットはおっかなびっくり手綱を握り、マロンの脇腹を足で挟んだ。
するとマロンは、元々のんびり屋な性格なのにいつにも増して、ゆっくり闊歩し始め、のそり、のそりと草叢を踏んでいく。
「その調子よ、シャーロット」
「もう降りたいわ。お尻が痛い」
「じゃあ、あそこの柵の手前でゴールにしましょう」
そう言いながら、プリムローズは正面にある放牧場の柵を指差した。ここまで、シャーロットは50メートル以上の距離を乗馬している。
「えぇ、遠いじゃない……」
妹が弱音を吐いても、姉は頑張ってと励ましながら見守った。
それでもシャーロットは、手綱を握る手つきがぎこちなくとも、何とかゴールに辿り着いた。
プリムローズは、シャーロットがマロンから降りるのを手伝った後、満面の笑みで彼女の頭を撫でた。
「すごい、すごい! 上手に乗れていたわ!」
いつまでも子供扱いしてくる姉に、シャーロットは拗ねるように唇を尖らせた。
「これぐらいできて当然でしょ」
引っ込み思案だったシャーロットは、最近、積極的に勉強や稽古に取り組んでいる。ただ乗馬だけは、なかなか上達できずにいた。
(本当はもっと早く馬に乗れるようになりたかったのに……まだ一人で乗れない)
彼女には焦りがあった。
「何をやるにしても最初の一歩が大変なのよ。だからシャーロットは、これからもっと馬に乗れるようになるわ」
我がことのように喜ぶプリムローズを見て、彼女はまんざらでもないように顔を赤らめ、そっぽを向く。
「プリムローズ様、シャーロット様」
城の方向から、深緑色のエプロンドレスを着たアイヴィーがやってきた。暖かい日が続くので、もう半袖に衣替えしている。
「アイヴィー」
赤みがかった金髪の姉妹は、侍女のほうを見上げた。
「今日は日差しが強いので、そろそろお戻りください。食堂でレモネードをご用意いたしました」
その言葉を聞き、姉妹は「レモネード!」と顔を見合わせて笑った。
食堂の白いクロスのかかった長卓に、プリムローズとシャーロットは向かい合って座っていた。その傍らに止めたワゴンで、アイヴィーがレモンの輪切りの入ったポットから、グラスへレモネードを注ぐ。
「あのね、お姉様」
シャーロットはキュロットのポケットから、白い絹の小袋を取り出した。
「あ、サシェ、まだ持ってくれていたの」
プリムローズは、妹にプレゼントした香り袋を見て、懐かしそうに微笑んだ。
「ええ。もうラベンダーの香りはなくなっちゃったけど、代わりにこれを入れているわ」
そう言って、シャーロットはサシェの紫色のリボンをほどき、中身を掌に載せて姉の前に差し出した。
それは、百合の花の国章が彫られた金のメダイユである。
「ベリロナイトの紋章を、いつも持ち歩いているのよ。女王になるって自覚を忘れないために」
弱冠10歳にして、第二王女の飴色の眼差しには、凛とした気高さが宿っている。その風格はすでに、女王そのものであった。
プリムローズは感心したように妹を見つめた。
「シャーロット……。貴女、最近とてもしっかりしてきたわね。頑張ってお勉強しているし、お姉さんの顔になってきたわ」
そしてシャーロットの頭を撫でようと手を延ばすと、彼女にその手をぱっと軽く掴み取られた。
「そうよ、私もう一人前なんだから。心配しなくても、何だってできるの」
「頼もしい」
プリムローズは愛おしそうに目を細める。
アイヴィーも、ふ、と微笑ましげに口角を上げると、レモネードを注いだグラスを運んだ。
「ところで、プリムローズ様。メイド長より、国王陛下が会議の終わった頃、謁見の間でお話があると仰せつかっております」
「お話? 何かしら……」
グラスを受け取りながら、プリムローズは首を傾げた。
(心当たりはないけど、お説教なら嬉しくないわ……。もうすぐアルカネットへ嫁ぐのだから、いい思い出を残したい……)
その頃、同じキャンディス城の会議室では、中央の大きな円卓を囲んで、バクストン6世、騎士団長、宰相、高位の文官たちが座っていた。
「……それでは3日後に差し迫ったプリムローズの、アルカネット帝国スターチス宮殿行きについて、もう一度皆で確認しよう」
バクストン6世は更にこう続けた。
「予定の変更を聞かされなかった者たちには済まなんだ。最悪の事態を想定し、今まで公に伏せていたのだ」
会議室に、重苦しい沈黙が流れる。
「皆も知っての通り、恥ずべき事態だが――昨今では、市井で反王政組織の動きが目立っている。アルカネットへ渡る際、最も近いのはカルチェラタン港から船に乗る方法であるが、よからぬ連中は間違いなく、花嫁行列の道中に襲撃を仕掛けてくるだろう。そこで……」
花嫁行列とはその名の通り、ヴォルフガング皇太子に嫁ぐプリムローズが、従者を率いてアルカネットへ向かう行列のことである。カルチェラタン港へ行くには大きな街道があり、多くの国民がその行列を拝むだろう。
しかし、国王はこれを却下した。
「カルチェラタン経由ルートをとりやめ、反王政派の目を欺くため、プリムローズを、あえて遠回りするハルナ山から向かわせることにした」
途端に高官たちがどよめいた。ハルナ山はかつて10年戦争末期の激戦区で、敵味方ともに進軍の難所と恐れられた土地だからだ。
バクストン6世は静粛に、と場を静め、彼の右隣にいる騎士団長へ振り向いた。
「ブランドン・ヴァレット騎士団長、皆に作戦の概要を説明せよ」
ブランドンは「はっ」と厳かに起立した。
「ルートについては、お手元の資料をご覧いただきたい。我々は少数精鋭の選抜部隊で護衛し、プリムローズ様の体力を考慮して、5合目にある騎士団の野外訓練用の泊り小屋でお休みをとられるよう、4日かけて帝都へお供する予定である。勿論、危険な崖下や獣道を避け、舗装された山道を馬でお通しする」
国賊に襲われる恐れのある近道より、険しい道のりでも敵のいない山を登らせたほうがましだという主張だ。
熊のような屈強な大男に説明を受けても、文官たちは可憐な第一王女を思い浮かべ、無謀であると首を横に振った。国王陛下は自分の娘が可愛くないのか、と疑問に持つ者も少なくなかった。
「質問のある者は手を挙げよ」
彼らの心を見透かしたように、バスクトン6世が尋ねると、一人の文官が困惑した表情を浮かべながら、恐る恐る手を上げた。
「お言葉ですが、陛下。プリムローズ様がアルカネットへお渡りになる際、王家の慣例として、馬車からお姿を民衆にお見せしければなりません。隠されるのは、かえって怪しまれるのではありませんか……?」
「否、花嫁行列は公開する」
国王はきっぱりと答えた。
ハルナ山への経由でどう花嫁行列を見せるというのか、と周囲が再びざわめくと、バクストン6世自らではなく、その左隣にいる宰相クレメンスが口を挟んだ。
「代役を立てるのだ……。本物のプリムローズ様にはハルナ山経由で向かっていただき、衆目を集めるカルチェラタン港への花嫁行列には……同じ年頃の専属侍女――アイヴィーを姫に扮装させて馬車に乗せる」




