第三章 反発
「そんなの納得できません……ッ!」
二人きりの謁見の間に、プリムローズの大声が響き渡る。
彼女は父王から初めて、巷で義勇十字団の勢力が強まりつつあること、自分の身代わりにアイヴィーが危険の及ぶ花嫁行列に参加することを聞いた。
天真爛漫なプリムローズにしては珍しく声を荒げたせいか、激昂を抑えきれないらしく、肩を小刻みに振るわせている。
対するバクストン6世は、豪奢な金細工に縁どられた玉座に腰かけながら、険しい表情で娘を見つめた。
「もう決まったことなのだ。異論は認めん」
それでもプリムローズは、頑として首を縦に振らなかった。
「いいえ! お父様、どうか考え直してください……! もっと他に方法があるはずです!」
「身の程を弁えろッ!」
国王は一喝して彼女の言葉を遮った。
「いいか、そなたはそこらの町娘と違う。そなたの命そのものに、ベリロナイトの命運がかかっているのだぞ……! アルカネットとの修好条約は、プリムローズ第一王女なしには成り立たんのだ!」
王家の一員としての役目を果たせ、と父は言う。
プリムローズは彼の怒声に怯んだが、下唇を噛み締めてぐっと堪え、引き下がることはしなった。 フゥ、と深呼吸をして乱れた心を落ち着かせ、父王を見上げる。
「……国のためなら、民を犠牲にしても構わないと……そうおっしゃるのですか……?」
飴色の眼を見開きながら、発せられたその声音は、低くドスが利いていて、老婆が喋ったのかとさえ錯覚させる。
彼女の怒りは深く、腹の底から溢れ出るどす黒い泥水のような憤怒が、じわじわと全身に広がっていくようであった。
バクストン6世は内心、驚いていた。おおむね素直で温和な性格の長女が、ここまで反抗することなど今までなかったからだ。
(ユイ族の巫女を娘たちの傍に置きたかったとはいえ、侍女のアイヴィーと過ごした時間が、あまりにも長すぎたか……)
「……プリムローズよ。そなたは今、感情に振り回されて冷静さを失っている。この国の王女として、為すべきことをよく考えろ。答えが出るまで、しばらく私の前に姿を現すことは許さん。よいな……」
国王は娘の問いにまともに答えることはなく、そう言い放つ。
プリムローズはますます憤ると思いきや、がくりと肩を落とし、父王を失望の眼差しで一瞥すると、浮かない顔を下ろして「失礼しました……」と力なき声で退室した。
「……」
静かになった謁見の間で、バクストン6世は深く溜め息を吐き、ベルベット生地の張られた背もたれに寄りかかる。体を動かした拍子に、赤みがかった金色の前髪が額にかかった。
『国のためなら、民を犠牲にして構わないと……』
娘に言われた言葉を思い出し、彼は自嘲じみた笑みを浮かべる。それはかつて、少年の自分が母君であるマーガレット王妃を説得したときのものと、まるきり同じ科白だったからだ。
バクストン6世は国の再建に心血を注ぎ、戦争で家族や財産を失った国民を救済したいと、あらゆる社会保障制度を作った。しかし、戦前より税金の取り立てが厳しいと批判され、テロ集団まで結成する始末である。よかれと思ってやってきたことが、ことごとく否定されるのを何度も味わった。
自分のやっていることは結局、身勝手な偽善に過ぎず、暴君だった母と何ら変わらないのでは、と思い悩むこともあった。
(王であろうと、全ての人間を救うことなどできはしない。それでもより多くの民を守りたいと願うなら、その陰には必ず犠牲者が要るのだ……)
それが、20年以上国を統治してきた王の悟った真理である。
プリムローズは自室に戻ると、怒りを紛らわそうと、柄にもなく全力で壁をドン! と激しく叩いた。
すでに部屋で待ち構えていたアイヴィーは、一瞬だけ眉をひそめると、少し驚いた表情で彼女を見上げる。
「プリムローズ様……」
「……アイヴィーは、知っていたの? カルチェラタン港まで私の代わりに行くこと……」
アイヴィーは、はい、と頷いた。
「何で今まで黙っていたの?」
「情報がどこに漏れるかわかりません。プリムローズ様をお守りするためです」
「私のためを思うなら、打ち明けてほしかった……!」
プリムローズは目に涙を浮かべて訴えた。そして、アイヴィーの右手首を掴むと、強引に部屋の外へ連れ出そうとした。
「お父様はもう何を言っても駄目だろうけど、宰相や他の人たちならまだ話を聞いてくれるかもしれないわ! アイヴィーが危ない目に遭うことはないもの、こんな理不尽なの、まかり通るわけない! 一緒に行きましょう!」
しかし、アイヴィーは一歩も動こうとしなかった。
「プリムローズ様……その、掴まれると痛いです……」
王女はハッとして、掴んだ手を放した。
「ごめんなさい。手の甲に大きなアザができて……! 私ったら、こんなに強く引っ張ってしまったの……?」
彼女が動揺しながら、申し訳なさそうに頭を下げると、アイヴィーは首を横に振った。
「いいえ。これは、先ほどプリムローズ様が壁を叩かれたときにできたものです」
「え……?」
プリムローズは目を白黒させた。
どうしてプリムローズが壁を叩いたのに、当の本人ではなく、アイヴィーに打撲痕ができたのか。
「プリムローズ様。私自身はカルチェラタンに行くことを、拒んでなどおりません。それは、ユイ族の巫女としての役目があるからです。」
そう言うと、彼女は襟のボタンに指を掛けた。




