後日談4 会議は踊る
(どうしてこうなった……?)
元老院の議員の一人は、大混乱の事態に唖然とした。
彼はことの発端を思い出してみる。およそ1時間前、ここスターチス宮殿の敷地内にある議事堂で、上流貴族らで結成された帝政の補助機関である「元老院」は、定例議会を確かに開いたはずであった。
議題は「闘犬を正式賭博として承認すること」についての是非である。
昨今、巷では犬同士を戦わせ、勝敗を賭けるという闘犬が流行っている。しかし賭博場の経営は、規制法により政府の許可が下りなくてはならない。この闘犬を元老院は正式に認めるのか、という論点が争われる。
開始からわずか数十分で、議会は荒れた。
「今後、闘犬による賭博場の収益は莫大なものとなるだろう。当然ながら、こちらへの納税額も増える。この機を逃してはならない」
賛成派の貴族たちは自らも賭博場の経営をしている者が多く、イグアーツ陛下がベリロナイト訪問で不在の今、主張を通す好機として意気揚々に出席していた。
「否。すでに闘犬に関する問題が発生している。飼い主に捨てられた闘犬が町人に襲いかかるなど、被害報告が多数ある。さらに、闘犬がより凶暴になるよう餌を与えていない賭博場があるとの告発があった。このような賭け事は公序良俗に反している!」
反対派たちは表向き、社会道徳の欠如を指摘しているが、実のところ、闘犬が正式賭博として承認され、今から新しい賭博場を造ったとしても賭場業界は競争が激しく、もはや老舗の大手が商売を独占するだけなので、気に食わないだけであった。
論争に決着は見えず、両派閥のエゴの押し合いがひたすら続く。
「貴殿らの主張は保守的だ! 闘犬には経済効果が見込まれる!」
「何をたわけたことを! ハイリスクすぎる!」
首を突っ込んだら火の粉がかかるだけだ、と中立派である議員たちは、嵐が過ぎるのを待つように様子を見守る。
皇帝直属の政務秘書官ジークムントは、眉間に深く皺を刻んで議事録を綴りながら、懐中時計を睨んだ。
「閉会まで、あと10分」
突如、バタン!と豪快に、議事堂の扉を開け放つ音がした。
「あひゃひゃ~! ギリギリセーフ」
完全に遅刻である。
議事堂に乱入してきた人物は誰にも咎められることなく、ずんずんと中央のテーブルへやってきた。
議員の一人が戸惑いながら、不審人物に声をかける。
「あの、ウルリヒ大公閣下……」
ウルリヒ大公――イグアーツ陛下の20歳年下の異母兄弟である。使用人がいくら整えても髪型をくしゃくしゃにし、適当に巻いただけのスカーフ、ボタンの掛け違えたシャツなど、だらしない服装をしているため、一見すると高貴な身分の血を引いているとはとても思えない。
だがよく観察してみれば、シャープな顎に鷲鼻と、アルカネット皇室特有の顔立ちをしている。
「ンヌ? 何だ、申してみよ」
ウルリヒは何か言いたげな臣下へ、振り向いた。
「大変申し上げにくいのですが……その犬の群れは何です……」
その場にいた者たちは、一斉に大公の足元に視線を注いだ。
なぜかウルリヒは両手で、10匹の子犬の綱を引いている。それぞれ犬種が違い、尻尾を振って跳ねたり、じゃれ合ったりしていた。
「余のペットである。右からケテル、コクマー、ビナー……おお~よしよし」
「いいえ! そうでなく……なぜ閣下は、議会にペットを連れてこられたのですか……?」
他の議員に尋ねられると、犬と戯れていた彼は、きょとんとした顔で小首を傾げた。
「うひゃ? 本日の議題は、犬の話だと聞いていたのだが?」
議事堂内に沈黙が流れた。
「こやつらの散歩がてら、皆に会わせてやりたいと思うてのぉ。どうだ、愛らしいだろう余の犬たちは――これ、ティファレト、粗相をしてはならぬ!」
壁の隅に放尿した犬の一匹が、クイ、と綱で引き戻される。
すると今度は、他の二匹の犬がじゃれ合いから一転して暴れはじめた。グゥゥ、と唸ってはキャンキャン吠える。
「ならん! ケセド、ゲプラー。喧嘩はよさぬか!」
ケセド、ゲプラーと呼ばれた犬たちは、綱で繋がれているにも関わらず、飼い主の手を振り切って全力疾走した。
「ぬお~!」
その拍子に、ウルリヒは全ての犬の綱を手から放してしまった。10匹の子犬が自由に議事堂を駆けまわる。
キャン、キャン! と興奮気味に走り寄ってくる子犬に、闘犬賛成派の議員は身を仰け反らせて怯んだ。
「うわぁ!」
大公閣下の愛犬なので、乱暴に追い払うことなど出来るはずもない。
「皆の者! はよう犬たちを捕まえるのだぁ~!」
皇室の嫡流に次ぐ権力者の命令に、逆らう者はいなかった。
ジークムントは動じることなく鉄面皮のまま、淡々と議事録を綴る。
「あと5分」
テーブルの上に飛び乗った子犬は、書類を床に払い除けた。また、壁で爪を研ぐ子犬もいる。それ以外は、必死に捕まえようとする議員の足元をうろちょろと走り回っていた。まさに大混乱である。
どうしてこうなった、と唖然としながら数十分前を振り返る議員の顔面を、子犬が飛び込んできた。
「もがっ……!」
「おお、マルクト! そちは相変わらずお転婆よのぉ~」
議員に悪びれることもなく、ウルリヒはきゃっきゃと子供のように両手を広げてはしゃぐ。
そんな飼い主の隙を見て、3匹の子犬が外へ飛び出してしまった。
「これこれ、待つのだ~! あひゃひゃ~!」
ウルリヒはスキップで子犬たちを追った。
「本日の定例議会はこれまで。闘犬についての議題は、次回の議会まで保留とする」
ジークムントが、自分の周辺のみ片付けて起立したのを、賛成派の議員たちが手を突き出して引き留めた。
「お待ちくだされ、ジークムント秘書官! こんな中途半端な討論で終わってよろしいのですか!」
「これ以上の議会の延長は、他の業務に差し支える。それに次回の定例議会はすぐ明後日である。本日中に検討しなければならない理由があるならば聞かせてもらおう」
ジークムントは淡々と言いながら、八角形の金縁眼鏡越しの鋭い視線で、引きとめる議員を射抜いた。
政務秘書官とはベリロナイトにおける宰相と同等の高い階級なので、あえて彼の反感を買ってでも異を唱えるものはいなかった。
(その頃には皇帝陛下がご帰還されているではないか……!)
闘犬賛成派の議員は、悔しげに歯噛みする。イグアーツは、貴族たちが富を得て権力を拡大させるのを嫌うので、新たな正式賭博を認めることはないだろう。
その後、議事堂を駆けまわる犬たちは下位の文官と、犬の世話係らによって捕まえられた。
これが後世まで語り継がれる、アルカネット史の珍事の一つ、『犬会議』である。
ウルリヒはただ広い廊下を走り、犬たちを追った。
「待て待て待て~!」
そして、反対方面を歩く小人の医師とすれ違ったが、気付きもしなかったようで、そのままドタバタと駆け抜けた。
(あの御方が、噂の『暗君』……)
ユージンは黒革の大きな鞄を携えながら、遠くなっていく細身の背中を見送った。
女官たち曰く、皇帝イグアーツの異母兄弟は7人いたが、陛下が即位する直前、他の兄弟とその母は、次々と戦時中に事故死したそうだ。「ここだけの話、ご兄弟の仲はとても険悪で、長男のイグアーツ様が暗殺を企てたのでは、という噂がありますのよ」と小声で囁かれたのをユージンは記憶している。
とにかく、生き残った末っ子のウルリヒは、母君と、血のつながった7番目の兄が亡くなったショックで、あのように精神遅滞になってしまったらしい。大公という最上の爵位を持っているものの、実際は幼子同然に遊びほうけているばかりである。
そうなると、次期皇帝は病弱な皇太子か、暗君の皇弟のどちらかとなる。だから宮殿の皇太子派は、藁にも縋る思いで、アルカネット本土にはない知識や技術を持った、ドワーフの医者を雇ったのだろう。
(思ったよりスターチスの闇の深いこと……慎重に動かざるを得ないな)
ユージンは誰にも打ち明けることのできない疑念を抱えながら、ヴォルフガング殿下を完治させることを改めて決意した。医療は患者との共闘、と彼自身も述べていたが、以降、権謀術数渦巻く宮殿の中で、一年以上に及ぶ戦いは、苦悩の連続であることをまだ知らない。




