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プリムローズ・ストーリア  作者: 刈安ほづみ
第二章
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後日談3 ドワーフの医師ユージン

 

 お帰りなさいませ、殿下。


 駄目ですよ、勝手に抜け出されては。私、皇帝陛下のお叱りを受けてしまいます。……ああ、イグアーツ様のほうではありません。ふふ。


 でも意外ですわ。もうベリロナイトからお戻りにならないと思っていましたもの。



 この世界ごと『心中』されるおつもりだったのでしょう?



 なぜやめられたのですか? ……王国で何か、生きる希望でも見つかりました? ふふふ!

 

 お忘れになられたの? 殿下、貴方は生きようが死のうが、永遠にこの国から解き放たれることはないの! 人形が自ら命を絶とうだなんて可笑しいわ! あははは!


 どうぞこの生き地獄で苦しみ続けてくださいな。――ヴォルフガング殿下。



(……嗚呼、ここは真っ暗だ。冷たくて、心すら凍えるのを感じる)


(……光が、恋しい……)




 アルカネット帝国のスターチス宮殿は、放射線状に広がる帝都の中心部にそびえ立っていた。白と青を基調にした左右対称構造の建築に、噴水庭園や太陽神アテラ系の礼拝堂など文化的な施設があり、洗練されたモダンと伝統的な荘厳さが調和された、まさに帝都の顔というべき建造物である。


 その最奥部にある寝殿の一室の前にて、一般的な成人男性の胸の高さより低い――150センチには届かないだろう身長の小人が佇んでいた。アルカネットの少数種族、ドワーフである。


 ドワーフの男性は種族の特徴といえる黄みがかった肌をして、背中まで伸ばした黒髪を三つ編みにきっちり束ね、ネイビーの背広の上から白衣を着ている。顔の彫りは浅く、金のチェーンをつけたべっ甲縁の気取った丸眼鏡を掛けており、手には体格に不釣り合いな、大きい黒革の鞄を持っていた。

 

 彼が目の前にある両開きの扉を軽くノックすると、中から二人の女官が出てきて、入室を促した。

「失礼致します」

 そう言いながら恭しく一礼し、この国の皇太子の寝室へ足を踏み入れた。


 かの人は天蓋付きの寝台の上で半身だけ起こし、白い寝間着姿で枕によりかかっていた。豪華な寝台と、痩せ細った少年の対比が、現状の深刻さをより強調させる。


 ドワーフは『不治の病』に侵された皇太子のもとに近づき、お待たせ致しました、と再び深々と一礼をした。

「ヴォルフガング様、お身体の調子はいかがでしょう」

 その声は高くも穏やかで落ち着いている。皇太子は小人の医師を一瞥すると、乾いてひび割れた唇から、掠れた声が零れた。

「……何も、変わりはない……」

 青白い顔色の少年は鷲鼻に皺を寄せた。女官に櫛で梳かれたのだろう黒髪が、痩せこけた頬に張りついている。


 素人目にも衰弱していることが明らかなその姿に、ドワーフはたじろぐことなく、柔和な笑みを絶やさない。患者を不安がらせないというのが彼の主義だ。

「恐れ入りますが、触診致します……」

 そう言うと、寝巻きの袖から覗く枯れ木のように細い腕に触れた。脈を測った後、筋肉の具合を確かめた。


(先日より筋肉が衰えている。まだ御年16の少年が、まるで老人のようだ……。このままじゃじきに歩けなくなるぞ……! こんなに症状の進みが早いと、ご本人様もさぞや辛いことだろう)


「お身体の調子を整えるために、いつもの按摩と鍼灸の施術を致しましょう」

 彼は横に置いた鞄の中から、医術に用いる道具を取り出した。ドワーフ族は、古代から既に人体には血管以外にリンパ管が通っていることを発見していたので、老廃物をスムーズに排出するための鍼灸治療が発展している。


「ユージン。僕はもう、手遅れなんだ……。お前がどれだけ手を尽くしても、徒労に終わるだけさ……」

 か細い声で言い放たれた言葉に、ユージンと呼ばれた医師は首を横に振った。


「ヴォルフガング様。ドワーフの医学では古より、怪我や病を治すには、患者が本来持っている治癒力を高めることが肝要と伝えられております。ですから、病を治すにはヴォルフガング様自身のお力が必要なのです。医者はそのお手伝いをさせて頂くのみ……。私は貴方様と共に、病の苦しみと戦いたく存じます」

 ユージンは、皇太子の手をとり、その小さくもごつごつした両手で優しく包み込んだ。


 丸く小さな焦げ茶の瞳に真っ直ぐ見つめられると、落ち窪んだ黒い眼は、僅かに目蓋を震わせて伏せた。

「……お前は本当に、このスターチスに相応しからぬ男だな……」

 棘のある言い草のようだが、そう呟いた皇太子の真意を、小人の医師は薄っすら察していた。




 ユージンがヴォルフガング皇子の治療を終え、退室すると、廊下の突き当りで女官が3人待ち伏せていた。


「ユージン殿、申し遅れてしまいましたが、殿下のお召替えのとき、背中に床擦れができていたんです」

「殿下と私の息子は同い年なのですが、あの御方はやはり同世代の子供より痩せ過ぎかと思います。何か滋養のつく料理を召し上がられたほうが……」

「お薬を飲まれるとき苦しそうなのですが、どうにかなりませんか?」


 いっぺんに話しかけられ、ユージンは困ったように笑いながらも、一つ一つに回答した。

「はい、床擦れは処置しました。背中の下に何かクッションを敷き、お休みのときに何度か、体勢を変えて差し上げてください。お食事については料理長と相談し、ドワーフ族に伝わるショージン料理というもののレシピを提供しました。あとで皆さんにも写しをお配りしますね。お薬……カンポウは総じて苦いのですよね。寒天に混ぜてお飲みいただくのはどうでしょうか。むせこみも防げます」

 なるほど、と女官たちは万年筆で手帳にメモをした。


「ユージン殿は親切でいらっしゃるから頼もしいわ。今までの先生なんて皆、俺はお医者様だぞ、みたいに偉そうに威張っていたのに、碌な治療もしないですぐ辞めてしまわれたのですよ」

「こっちの話なんか全然耳を貸そうとしてくれなくて……いつも殿下の御世話をしているのは私たちですのに」

 ユージンは、ハハ、と当たり障りなく笑って何も言わなかった。先月、皇太子の専属医として就任してから、何回も同じ話を聞かされているのだ。


 彼女たち女官は、このドワーフの医師によく、気兼ねなく話しかけた。それは彼の穏やかな人当たりもあるのだろうが、女性の自分たちより身長の低い種族に対する侮り故が大きい。その証拠に、女官らは「先生」ではなく「殿」という呼称を使っている。

 

「今までの医師は、どうして辞めてしまったのでしょうね」

 さりげなくユージンが尋ねると、女官の一人が不貞腐れたように答えた。

「さぁ。どうせ殿下のご病気を治す自信がなくて、尻尾を巻いて逃げたのでしょう」

「……」

 彼の中では、ある疑念があった。


 宮殿内でヴォルフガング殿下に毒を盛っている人間がいる、と。


 先月からユージンは皇太子に按摩や鍼灸治療を施していた。初見では過去の医師たちが残したカルテも鑑みて、生まれながらの免疫や筋力の弱まる病気が原因だと診断したからである。

 現に治療を続けて2週間も経つと、顔色が少し良くなっていき、パン粥を一皿食べきれるくらい回復していた。

 だがほんの先週、容態が急に悪化した。食が細くなってみるみる痩せこけ、手足の筋肉も衰え、床に伏せたきりになってしまったのだ。

 周囲の女官たちは「一長一短なのかしら」と呑気に井戸端会議をしていたが、医学に心得のあるユージンは、こんなことは明らかにおかしい、と密かに気付いており、患者の治療を妨害されたことに義憤を抱いていた。


(どこから漏れるかわからないし、このことは女官たちにも秘密にしておこう……)


 そこへ、また若い女官が廊下の突き当りの角から、酷く慌ててやってきた。


「た、大変です! 議事堂でウルリヒ閣下が!」



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