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プリムローズ・ストーリア  作者: 刈安ほづみ
第二章
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後日談2 それぞれの懸念


 アイヴィーは厨房で料理人を手伝い、季節の花々が描かれた深皿にシチューをよそっていた。今日は皇帝イグアーツが朝食に同席するとあって、いつもより豪勢なメニューである。


 作業の途中で、同僚の侍女から声を掛けられた。

「アイヴィー、メイド長がお呼びよ。ここはいいから、中庭のほうへ行ってちょうだい」

 アイヴィーは、はいと返事をして、すぐさま厨房を後にした。彼女は呼び出された理由に察しがついていたのである。


 中庭へ向かうと、侍女頭のマドンナが、腰を屈めて芝生の落ち葉を拾っていた。

「メイド長」

 彼女の様子を見たアイヴィーは、落ち葉用のカゴを持って駆けよった。


「昨日は大騒ぎだったみたい。こんな隅まで葉っぱが落ちてるわ」

 マドンナはアイヴィーへありがとう、と穏やかに微笑むと、白いエプロンの上に集めた落ち葉を、ざぁぁ、とカゴの中へ入れた。さてと、と老婆はエプロンの裾を軽くはたく。


「貴女ももう、察しているかもしれませんが、アイヴィー……。年々、ミハト様の気配が不穏になられております。近頃は本当に荒んでいらっしゃる……」


「……はい」

 アイヴィーは眉を寄せて、深刻そうに俯いた。

「私たちユイ族は古より、冥府におわしますミハト様を祀る巫女……。我が国では、輪廻転生――全ての死者の魂はミハト様の御許へ集い、浄化され、また新たな生命へと誕生すると信じられています。そのような女神がお怒りになればどうなるか……」

 幼い頃、ユイの里で何度も聞かされた恐ろしい伝承。


「この世は浄化されない魂で溢れかえり、生者は混沌の闇へ追放されるでしょう」

 マドンナはいつも微笑みで細めている眼を、僅かに開いた。

 

「里のほうでは何と……?」

 恐る恐る、アイヴィーは尋ねた。


 マドンナは残念そうに、首を横に振る。

「今年に入り、鎮めの儀式を何度か執り行ったようだけど……里の者たちの力を以てしてもなんとか抑えるのがやっとで、お怒りを完全に鎮めることが叶わないのです。……祈りが遠くて届かないのだわ」


 若き巫女は肩を震わせた。

「なぜアルカネット人は、ミハト様をきちんと奉らないのでしょうか! 己が何者の力も借りずに魂を宿したと、思い上がっているのかしら! 冥府の女神を蔑ろにするなどあってはならないことです……!」


「およしなさい。アルカネット人とは、信仰する教えが違うのです。それについて元を辿れば、貴女の発言は、先代のマーガレット王妃の非難とも受け取れますよ」


 マーガレットは淡々と窘めた。感情を昂らせたアイヴィーは、赤くなった目元を抑え、すみません、と頭を下げた。


「シャーロット様は、ユイ族出身のマーガレット様やソフィア様の血を濃く受け継がれたのか、邪悪な気配に敏感になられておいでです。少しでも心労が取り除けるよう、日頃のケアが必要となります。貴女もプリムローズ様に寄り添い、尽力なさい」


「はい……!」

 大先輩の巫女にそう言われると、アイヴィーは切り揃った前髪を揺らして、力強く頷いた。

 その凛とした眼差しを見て、マドンナは彼女の肩に優しく手を添える。


「ミハト様を祀る私たちのもう一つの使命。それは、命を賭して王家の方々をお守りすること……。年若い貴女が背負うには、あまりにも過酷で、かなりの覚悟を強いられるでしょう。もしも挫けそうなときは、貴女の大切な人を思い浮かべなさい。この使命は、大切な人のいる国を守ることでもあるのですよ……」


 その言葉に、アイヴィーは青い瞳を潤ませ、胸元にそっと手を当てた。服越しに、オレンジ色の石を通したペンダントを確かめる。


 

 

 騎士団の詰所では、談話室でテーブルを挟んで椅子に座るビクターとグスタフが、ボードゲームの対局中であった。

「王手」

 グスタフはそう言った後、次の手でビクターの将軍の駒を取り上げた。

「おお! そうきたか……」

 ビクターは悔しそうに額に手を当てて、盤上を睨んだ。今のところ5勝2敗でグスタフの優勢である。


「行く手を阻む騎兵にばかり気をとられていたら、盾兵に本陣を囲まれてしまった。あえて強い駒を囮にしたのか……。なるほど、こんな戦法もあるんだな。水夫時代、船の上でよく仲間とやっていたが、知らなかった」


「実戦では通用せん手だがな」

 グスタフが盤上の駒を片付け始めると、ビクターが手を前に出して止めた。

「待った。もう一勝負」

「またか……。私が言うのも何だが、黒星が多いと飽きてこないか」

 呆れたようにグスタフがビクターを見上げると、彼は「いいや、全く」ときっぱり答えた。


「7戦中7通りも違う戦法を見せられると、次はどんな手を使ってくるのか気になってくる。新しい教本を読んでいるようで楽しいよ。なぁ、もう少し付き合ってくれないか。コツを掴めれば、お前に手応えのある対局相手ができるぞ」


「お前も大概、強引だな……」

 グスタフは団子鼻を鳴らしたが、あと一戦だけ付き合うことにした。

 

 駒を並べなおしながら、グスタフは話題を切りだす。

「しかし昨晩はあれほど消耗していたのに、よく今は平然としているな。」


「なに、ひと眠りすれば回復する。肉体労働は慣れているものでな」

 ビクターは得意げに口角を上げた。


 対する彼は湿布を貼っている左肩からうなじを擦り、溜め息をつく。

「ここの連中はどいつもこいつも超人的にたくましいな。うちのユリエルなど腕が折れたのにもかかわらず、相変わらずやかましいし、羨ましいものだ――さて」

 そして太い眉を寄せて、先攻の一手を打った。


「そろそろ本題に入ってくれないか。違うチームの私をわざわざ誘うなんて、何か要件があるのだろう。『黒猫』の面々は普段それほど他チームとの交流が盛んではないからな」


「ああ、すまん。ついゲームに熱中していた」

 色黒の騎士は黒縁眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げると、駒をひとマス動かした。


「昨晩の作戦は、ほとんどグスタフが考案したと聞いた。そんなお前に一つ尋ねたいのだが、義勇十字団の連中の動き、どう思った? 黒色火薬や巨大な怪物など強力な手札を持っていたにも関わらず、人数が20人足らずと王家暗殺を企むにしては駒が少なすぎる。そのちぐはぐな感じが、私には気味の悪さを感じて仕方ないのだ」


 ビクターの話に頷きながら、グスタフも駒を動かした。

「うむ……。あの晩餐会の一件は、そもそも奴らにとって敵情視察が真の目的だったのではないかと、今なら考えられる。我々騎士団が、短時間のうちに武装した革命戦士をどれだけ打ち倒すことができるか、それを試していたのだろう。なんとも舐められたものだ」


「つまり、あの実行犯たちは全員捨て駒であったというわけか」

 ビクターは顔を顰め、表情で露骨に嫌悪感を訴えた。


「過激派テロにとって、捨て身の奇襲は珍しい手口ではない。――それ、お前の番だ」

 グスタフは長考に入った相手を待ちながら、記憶にあった事件を語り始めた。


「例えば、11年前に現デューク領ノースフィールズの街で起きた役所襲撃事件。あれなどは犯人ら56人が手続きに来た客のふりをして難なく侵入し、手当たり次第にその場にいた32人を殺害、80人に重軽傷を負わせたのだ。被害者の中には役人だけではなく、たまたま居合わせた女子供もおったという……。当時、戦後経済が安定して俸禄ごとに税を納める法が制定されただろう。あれに奴らは反対し、撤廃しろと暴動を起こしたというわけだ。まぁその日のうちに地元憲兵隊に鎮圧され、テロを実行した56人は全滅したがな。そしてノースフィールズの領主であった役所の所長は、事態の把握、収拾が遅れた責任を問われて辞任し、デューク領の隣町に吸収」

「晩餐会の手口とまるきり一緒じゃないか」

 ビクターは彼の長話を遮り、盤上の一手を打った。


「そうだ。私はその事件を知っていたからこそ、バラバラに別行動をとっている複数犯を一ヶ所にまとめるために、包囲作戦を提案したのだ」

 グスタフはそう言うと、ビクターの歩兵の駒を取った。


「もしや……グスタフ。義勇十字団は、その11年前の襲撃事件の犯人らと関わりがあるんじゃないか」

 だが次の手でビクターも、グスタフの駒を取る。


 グスタフは両腕を組んで少し考え込むと、次の手を打った。

「可能性はあるな。どちらも政治に反発している点で共通している。そして、襲撃事件の首謀者たちは未だに行方をくらましていて、全員屠りつくせていないのだ。メンバーの生き残りが義勇十字団を立ち上げていたとしても、おかしくはない」


「そのうえ規制の目をかい潜り、火薬を入手できるだけのツテを持っているのだとしたら、背後に大物が絡んでいるのではないか。反王政派の役人とか」


「貴族などな。今の段階では立証できるものがないので、断言は避けるべきだが。いずれにせよ、晩餐会にいた義勇十字団員を倒したからといって油断してはならない。あれは氷山の一角に過ぎん。敵はもっと、巨大な組織なのだろう……」


 ポン、ポン、ポンと盤上の駒が軽やかに踊り、ゲームは白熱する。


 そのとき談話室の入り口の向こうから、背の高い銀髪の男が、山のように衣服の積まれた大きな洗濯カゴを抱えて、のしのしと通り過ぎた。

「あ。待て、ノーマン。私の股引が混ざってないか。先週から見つからないんだ!」

 それを見かけたグスタフが立ち上がり、慌てて席を外したので、ボードゲームは一時中断となった。

 ビクターは彼を見送りながら、広い肩をすくめて苦笑した。




 その頃、ユリエルは鍛錬場付近をうろうろと散策していた。右腕を包帯で固定させ、その上からピンク色のカーディガンを羽織っている。


(詰所にもいなかったし、お城のほうにいるのかなぁ……エヴァンさん)

 彼はエヴァンに会って、昨日助けてくれたお礼に、と食堂に誘ってあわよくば親睦を深めようと目論んでいた。


 魔獣との戦いで崩れた石畳の道も、夜遅くまで騎士団と警備兵が補強したので、少しガタついているが不便と言うほどではない。

(ビクターさんのマテリア術で、この辺りの紅葉もすっかり落ちちゃったな。ふふ、でも赤い絨毯みたいで綺麗かも)

 小柄な騎士が何気なく垣根沿いの小道を歩いていると、前方にある楓の木の下で、見覚えのある背中が丸くなって屈みこんでいるのを見つけた。


「フィル」


 呼びかけられると、フィリポはおもむろに振り向いた。

「ああ、足音が近いと思ったら、あんただったのか」

 そう言う彼の手には、何本か手折られた黄色い野花が握りしめられている。


「何してんの」

 ユリエルが近付くと、フィリポは困ったように、あ~と唸りながら低い鼻の頭を掻いた。

「義勇十字団の奴ら、一応弔っておこうと思って……」

「えっ……」

 自分よりひと回り以上年下の同僚が目を丸くするのを見て、エルフの騎士はますます気まずそうに視線を下ろした。


「あの、騎士道的に非常識だよな? ごめん。あんただって怪我したし、良い気がしないだろ。でもなんか、ただ忘れるのはしのびないっていうか……このままじゃ、何かもやもやするんだ」

 フィリポは自分の足元を見ながら、たどたどしく本音を語った。そして、恐る恐る顔を上げて小声になる。

「遺体は回収されたから、せめて形だけでもやっとこうとかなってさ。頼むよ、皆には黙っててくれないか……?」


「……フィルは優しいね」


 ユリエルは少し寂しげに微笑んだ。苦悩しながら敵を弔おうとするフィリポを見て、自身の胸中――殺人に躊躇いがあるのに国を守るためと剣を振りかざす葛藤を、偽善的で浅ましいものだと思い知らされたからだ。

 斬った人間の血で染めたリボンを戒めとして髪に結んでいるが、それは自己陶酔のアクセサリーなのかもしれない、とも自嘲気味になった。

(本当に優しい人は、痛みをずっと抱え込んじゃうんだよね……。僕は結局、自分自身を一番可愛いがっている人間だからさ、物語のヒロインみたいに綺麗な心が持てないんだ……)


「ねぇ、ボクもお弔いしていい?」


「えっ、ああ。どうぞ……」

 予想外の返答に、フィリポは面食らった。

「あとその花、花言葉が『復讐』だから縁起悪いよ。向こうに白い花があったから摘んでくるね」

 そう言うなり、ユリエルはタタッと小走りした。



 そうして二人は木の下に、手向けの白い花を供え、しばらく手を合わせたり、黙祷した。


 ベリロナイトでは葬式を終えた後、従来なら「清目(きよめ)」と呼ばれる職能集団の男たちによって、ユイ族の里へ遺体が運ばれていく。そこで巫女たちが遺体の魂をミハト神へ送る儀式を執り行うのだ。

 命を終えた魂は、死の穢れから浄化され、清らかな存在に生まれ変わる。それがベリロナイト人の死生観だ。


 少年は残酷なものから、美しきものを守りたいと願った。だがその手に残る死の穢れは、一生彼を苛むのだろう。



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