後日談1 翌朝
ここはキャンディス城、宰相クレメンスの執務室。
エヴァンは朝一番に訪室し、突き当りの椅子に座っているクレメンスに、昨晩の義勇十字団について詳細を報告していた。
クレメンスはたるんだ顎に手を当てながら、彼の話を静かに聞いた。一通り聞き終えれば、フゥと溜め息をつき、ソーセージのような太い指で正面にある机の上をトン、トンと叩いた。無意識の癖なのだろう。
「――なるほど、あいわかった。やはり貴族階級の中にも、義勇十字団の構成員がおったか……ご苦労であったな」
相変わらずの暗い声色でそう言うと、机の引き出しから綴じられた紙の束を取り出した。それは古い書類らしく、薄茶色に色褪せている。
書類を差し出されたエヴァンは、受け取ったと同時に視界へ飛び込んできた表紙の題字に、驚愕を覚えた。
『ベリロナイト軍事裁判記録書』
「それは一部を抜粋したものだ……。終戦後、ある軍法違反者の裁判を行った記録……貴様の求めている情報が、そこに記述されている」
クレメンスは、組んだ両手の上に顎を乗せるように頬杖をついた。楕円型の銀縁眼鏡のレンズが、逆光で反射している。
「はっ。有り難く頂戴いたします」
エヴァンは恭しく一礼した。今すぐに渡された記録書に目を通したかったが、ここは礼節を重んじた。
それに、昨晩の件で尋ねたいことがある。
「ところで閣下。魔獣について、何かご存知ですか? 義勇十字団の奴らめ、なぜ魔獣などになったのでしょう」
「……さぁ。私にはあずかり知らぬところだ」
宰相は質問を一蹴した。だが、ささやかな黙秘の意を汲み取るエヴァンではない。
「しかし、奴らはこれからもまた同じ手を使うかもしれません。調べられたほうが……」
「エヴァンよ……。我々はあくまで個人的な取引をしている関係に過ぎない。これ以上の干渉は、お互いにとって不利益となるだろう……」
クレメンスは眼鏡の奥の、腫れぼったい目蓋をわずかに上げ、鋭い眼光を放った。
「はっ。差し出がましい真似をして、申し訳ございません」
やっと引き下がったエヴァンだが、散々こき使っておいて首を突っ込むなとは何事か、と地団駄を踏みたくなるような不満を覚えた。
失礼致しました、と退室したエヴァンがドアを閉める音を残すと、クレメンスは椅子にギィ、ともたれかかった。
そして手元にあった羽ペンにインクをつけると、書きかけの手紙の最後の行に、自分のサインを綴る。
手紙の書き出しには、「以下の者たちを処分せよ」とあり、彼が独自に調査した、義勇十字団に関与していた貴族たちのリストが書き連ねてある。名前を書かれた者たちは、これから役人たちによって洗いざらい調べ上げられ、国家転覆罪や共謀罪で、どんなコネがあろうと片っ端から投獄される。なかには「不慮の事故」で命を落とす者も出てくるだろう。
いずれにせよ、反逆者たちは秘密裏に処分しなくてはならない。反王政派を罰したことが公になれば、バクストン6世は狭量だ、独裁的だと批判され、過激な義勇十字団をますます煽ってしまうからだ。真実は闇から闇へ、葬り去られていく。
(陛下には巷の小火に案ずることなく、理想を果たしてほしい。あの御方にかかる火の粉は私が全て払い落とす。たとえ業火で、この身が燃え尽きようとも……)
宰相クレメンスは、書面に押印する手にググッと力を込めた。
一方、騎士団長のコテージでは、バルコニーにブランドンその人と、副団長マシューがいた。どちらも私服である。騎士団は昨日の晩餐会の裏で激務をこなしたので、本日は休暇を与えられた。緊急招集のために城内での待機が前提だが。
マシューが欄干によりかかったまま、晩餐会の余ったシュークリームをむしゃむしゃ頬張るのを、ブランドンは横目で苦笑した。腰掛けている安楽椅子が軋む。
「お前は昔っからガキみたいに甘いもんが好きだな」
「シュークリームは別格です」
マシューは食べながら答えた。いつもの面倒見のいい上司の顔と違う、生意気な後輩、といった雰囲気である。
「……昨晩の一件、どう思う」
騎士団長は、袖を捲って露わになった毛深く太い両腕を、胸の前で組んだ。
マシューが振り向けば、真剣な眼差しがかち合う。彼は暫くモグモグ咀嚼し、シュー生地の欠片を飲み込むと、ブランドンに近寄り声を潜めて答えた。
「どうも何も……あの薬って戦犯処理のどさくさで、作った人間も研究レポートなんかも、全部アッチが回収したんでしょ? やっぱり義勇十字団って、帝国が裏で糸引いてるんじゃないですかね」
だよなぁ、とブランドンは、うんざりした表情で空を仰いだ。
「それにお前が持ってきた火薬と爆竹な、城の学者に夜通しで調べさせたら、向こうでしか採れないミスリル鉱石なんかが含まれていたらしい」
「ああ、ドワーフんとこの。それはもうクロでしょうなぁ」
「真っ黒だわい」
二人はガッハッハ、と呑気に笑いあった。
そうかと思えば、熊のような大男は突然、目の前のテーブルを拳でドン!と叩き、真っ二つに破壊した。四方八方に木片が飛び散る。
「……ふざけるな……おのれ、アルカネットの狼ども、再び我が国を蹂躙しようというのかッ! 水面下で、戦争はまだ続いているのだ……!」
体は小刻みに震え、その表情は笑顔であった。いや、憤怒を堪えようと歯を食いしばるあまり、口端が吊り上がってしまったのだ。こめかみに青筋が浮かび上がらせ、血走った両眼を見開いている。
「……イグアーツの首を獲りに行きますか。今なら朝飯前ですよ」
二つ年下の部下が、足元の砕かれた木片に目をやりながら、感情を殺したような声で囁く。ブランドンは、否、と激昂しかけた自分を律するように右手で顔を覆い、深呼吸した。
「馬鹿者。そんなことしたらもう、修好条約どころではなくなるわ。陛下の御意に背いてしまう」
粗暴に見える騎士団長も、平和な国家を目指すバクストン6世に、心からの忠誠を誓っており、主君の意志を尊重するのが臣たる者の道義と弁えていた。
「ベリロナイトは今や文官優位だからな。おかみの指示がないと、俺たちは表立って派手な真似できねぇ」
心を落ち着かせたブランドンは、煩わしげにぼりぼりと頭を掻いた。マシューも頷く。
「だけどそれじゃあ対処が遅れてしまいます。義勇十字団など見つけ次第、すぐに潰さなくてはならないのに。ホワイトカラーと現場で余計なしがらみがある」
「となると……やはりあいつは良いパイプ役だな」
悪戯な笑みで焦げ茶の髭をいじる上官に、今度はマシューが苦笑した。
「エヴァン、ですか……」
彼らはすでに、エヴァンが宰相と内通しているのを知っていた。
「クレメンスの野郎、うちの新入りを駒にしやがって。こっちだってエヴァンを通して、お前の思惑なんざ筒抜けなんだよ!」
ブランドンは高らかに笑った。
義勇十字団を探るよう言い渡されているエヴァンの動向を見張れば、おのずと義勇十字団の今後の動きも予測できる。テロ行為防止というより、テロリストの存在そのものを揉み消したい文官より先回りして、作戦が練られるのだ。上官二人が、彼の単独行動を概ね黙認しているのは、そういう利点があるからだ。
「こっちは普通に仕事していたら、たまたま義勇十字団と出くわしちゃったので、ぶっ潰しました。緊急性を要する案件なので、事後承諾になってすみません。いやぁ本当にたまたまなんですよ――でシラを切る、と」
ブランドンはいかつい肩を揺らして、クックック、と笑いを漏らした。マシューは面白くなさそうに顔を顰める。
「……」
「すまん。ダシにされてるお前にとっちゃ、たまらん話だよな」
「いや、あいつが私を目の敵にするのも仕方ないんで……」
マシューは自虐的な笑みを浮かべてそっぽ向く。
「ニコラスの息子か……」
二人はかつての戦友にしばらく思いを馳せた。エヴァンには伝えたいことが山ほどあるのに、それを自分たちが語る資格はない。心を縛りつけるそんな葛藤が、彼らの罪悪感を深めていく。
「……最近は、大丈夫なのか? 意識をあっちへ持ってかれる感覚はないか」
ブランドンは自分で壊したテーブルの木片を、椅子に座りながら足で掻き集める。マシューはカラカラ、と木片の滑るバルコニーの床に目を落とした。
「まぁ、ぼちぼちですね。昨日は心の臓が痛くて一瞬まずいと思いましたが」
「ああ、あれはやばかった。まだ俺の身体は戦中なんだな、って。……グァ~、老後は退職金貰ってのんびり田舎で暮らしてぇな」
「無理でしょ」
「夢くらい見させろ」
騎士団長は両腕を高く上げ、背筋を伸ばした後、バルコニーの向こうの景色をぼんやり眺めた。
「マシューよ。馬鹿な大人は、俺らの代で終わりにしよう」
そう呟く老兵の横顔は、どこかやりきれなさを込めた優しい眼差しをしていた。




