第二章 収束
晩餐会ホールの窓をバシバシバシ! と雨風が叩く。
招待客は一様に、急な悪天候にどよめいた。
「あらやだ。外の天気が激しくなってきましたわね」
「雷怖いですわー!」
ジェレミア卿は心配そうに呟く傍らの女性たちの肩に手を添えた。そして微笑みながら囁く。
「私は雨もなかなかに風情があると思います。露に濡れた花の姿は悩ましくも艶やかで、愛おしい……」
「きゃあ素敵ぃ、ジェレミア様ぁ!」
女性たちは、はしゃいで彼の肩に抱きついた。彼はフフ、と目を細めたが、一瞬だけ窓の向こうを鋭い目つきで睨みつける。
「なに、激しい雨ほどすぐに止みましょう」
バクストン6世が隣のイグアーツに話しかけると、彼は心ここにあらずという様子でぼんやりしていた。
「……宴の終わりがこれほど惜しいと思ったことはない」
その発言の真意が読めない国王は、気に入ってもらえて何より、と当たり障りのない返事をして茶を濁した。
降りしきる大雨の中、ビクターが三叉槍を右手で振り回すたび、ヒュウウウウ、と強風が吹き荒ぶ。水のマテリア術で天候を操っているのだ。
もう一度、槍を高く掲げた。
「祖は大海にして天の雫――顕現し給え、龍神ハイドロディウス!」
すると暗雲は渦を巻き、稲妻は走り、耳をビリビリとつんざく雷鳴を轟かせる。そして巨大な盆をひっくり返したような大雨が、魔獣の上から一気にドォォォォォォォ! と降り注いだ。
その光景はまるで、天から水の柱がそびえ立っているようであった。柱の中は激しく渦巻いており、魔獣は唸り声すら上げられず、四つ足をばたつかせて溺れかけているようである。三体の顔の口から入った大量の水が、一つしかない肺を圧迫していく。
「おお! 見ろよ、化け物が力尽きていく!」
警備兵の一人が、勝利を確信した表情でそれを指さした。
水の柱の中で窒息した魔獣は、三つの頭をうなだれた。しばらくして赤黒い身体から真っ白な泡がブクブク出てきたかと思えば、みるみる全身が泡立ち、水の中に一片も残さず消滅していった。それと同時に、マテリア術も解除され、雨風や雷も次第に止んでいく。
エヴァンは苦戦した怪物が泡になっていったのを呆然と見送った。
「消えた……」
「死んだら消えるんだ、魔獣は。……なんにも残しやしない」
近くにいたマシューは、ぼそりとそう呟くと振り返り、周囲の部下たちに号令した。
「騎士団、集合!」
門塔にいる二人以外の騎士たちは一斉に、副団長のもとへ集まり、速やかに整列した。
城門前の周辺は、台風が来たときのように土砂や枝葉が散乱しており、魔獣が抉った石畳が瓦礫と化している。
マシューは両足を肩幅まで開き、腰に手を当てて話し始めた。
「皆よくぞ忙しい晩餐会の中、協力しあい、国賊と魔獣を討ち倒したな。そして、警備兵隊の協力にまこと感謝致す」
そう言った後、彼は警備兵たちへ右手の拳を掲げて敬礼した。彼らもまた敬礼を返す。その表情は疲れていたり、気恥ずかしそうだったり、さまざまであった。
そして話は続く。
「此度の一件は、一人一人が特技を生かし、全力を発揮したからこそ功を奏でた。今日の気持ちを忘れず、今後も鍛錬に励んでほしい。――さてこの後のことだが、負傷者は医務室へ行け。残りの動けるメンバーは城内にいる馬を捕まえてこい。一頭も逃さず厩へ連れていくように」
騎士たちは内心うんざりしながらも、了解、と揃って敬礼した。
ミーティングから解散した後、それぞれが移動するなかハンフリーは、手拭いを三角巾のようにして右腕を固定したユリエルにずんずんにじり寄った。
「ユリエル、お前さん厩のほうにいたんだよな? なぁんで義勇十字団の奴らを止めなかったんだい。お蔭で面倒ごとが増えたじゃねぇか」
問い詰められると、ユリエルは頬を膨らませて言い返した。
「だってぇ、あの人たち警備兵を装っていたから、決定的な証拠を掴まないとクロだってわからないじゃない!……あ! 思い出した」
小柄な騎士は腰のポーチから爆竹の残骸を取り出すと、踵を返してマシューのもとに小走りで向かった。
「副団長。義勇十字団が、このようなものを使っておりました」
マシューは部下から差し出されたそれを受け取る。
「分かった。証拠物品として預かっておく」
「副団長……わ、たく、しも……」
先ほど最大級のマテリア術を放ったビクターが、ふらつきながら近付いてきた。震える手で、胸ポケットにしまっていた麻袋を、マシューに渡す。
「ハァ……中庭の連中が、持っていました。恐らく、中身は、黒色火薬かと……」
「ああ、こっちも預かっとく。というか、大丈夫か? 土気色してるしフラッフラだぞ」
上官に気遣われ、ビクターはフッ、と力なく微笑んだ。
「お恥ずかしい限りですが……マテリア術を使い過ぎると、体力を、消耗するので……しかし、これしき……何ともな」
言いかけたところで、ガクン、と膝から崩れ落ち、うつ伏せに倒れた。
「ビクター! おい……。――エヴァン、こいつを医務室まで担いでやってくれ」
マシューが振り向いて、近くにいたエヴァンに指示を出した。
彼は苦虫を噛み潰したような表情で、露骨に面倒そうな態度を取る。体重80キロ代半ばを越える大男を担ぎたくはないのだ。
「自分が、ですか?」
「チームメイトだろうが」
ぴしゃりと言い返す副団長の背後で、ハンフリーが片眉を吊り上げ、馬鹿にするような笑みをエヴァンへ向けた。小物扱いされたくない彼は、了解、と言いながら不服そうに膝をつくと、倒れた大柄なチームメイトの腕をぞんざいに持ち上げて担いだ。
ユリエルがうっとりとした目で、ビクターを担ぎながらすれ違っていくエヴァンを、羨ましそうに眺める。
「あ~いいなぁ! ボクも肩に腕を回されたい……」
すると、後ろからガシッ、と肩に腕を乗せてくる者がいた。
「それでは医務室まで頼む」
左肩を脱臼したグスタフである。
エヴァンは息を切らしながら、ずっしりと重いビクターを引きずるように担いだ。
(こいつといい、あの芋エルフといい、なぜ俺の手柄を横取りしたり、邪魔しかしないのだ……。俺のような優秀な騎士と田舎者の無能どもを組ませたチーム編成に問題がある。やはり副団長の仕業に違いない!)
鍛錬場倉庫に差しかかったとき、見覚えのある二人組が物陰から現れた。
例の二人組の青年貴族だ。
「……どけ」
エヴァンが蔑ずみの目で、前にいる青年貴族たちを捉えた。彼らのせいで同僚に義勇十字団と疑われるなど、煩わしいことが起きたので腹立だしかったが、今は疲労感のほうが勝っていた。
「お前、騎士になったんだな……レオビカウント家の人間だものな……」
「僕たち子供の頃は、ずいぶん君をいじめていたけど……」
彼らは伏し目がちになりながら、ポツリポツリと話し始める。無視しても良かったのだが、話の流れとして謝罪が入るのではないかと期待したエヴァンは、あえて立ち止まった。握り拳に力が入る。
いじめられていた幼少の頃、彼らをぐうの音も出ないほどに負かせて、額が擦りむけるほど地に頭をつけさせてやりたいと思っていた。もし謝ってくるのだとしたら、そのときはこう言い返そうと罵倒の台詞も用意していた。
「汚らわしい豚が人間の言葉を話すんじゃない、今度俺の目の前に現れたら屠殺してやる」と。
(さぁ謝れ豚ども……!)
青年たちは顔を上げた。
「もう二度と僕たちの前に現れないでくれ。不吉だ」
「少年時代を恨んで復讐とか勘弁してくれよ?」
青年貴族たちは今日、国賊や化け物を血気盛んに倒す騎士たちを間近に見て、畏敬の念ではなく、ただ暴力への恐怖を抱いたのだ。今後、ベリロナイト騎士団には絶対に関わりたくないと、そんな気持ちしか残らなかった。
「……」
凍りつくように固まったままの赤茶髪の騎士を青年たちはそのまま素通りし、今夜は散々だったなぁ、僕の家で呑みなおそうぜ、などとりとめのない会話をしながら城門へ向かった。
彼らはこれからも改心することなく、また誰かに嫌がらせして成り上がるような生涯を送るのだろう。憎まれっ子世に憚るとは、まさにこのことである。
「……」
途中から意識を取り戻していたビクターが、おもむろにエヴァンの頭をポン、と優しく叩くと、エヴァンはその手を掴んで一気に背負い投げした。
「はぁ~今日はこりゃ徹夜だなぁ。マジで特別手当つけてほしいよ」
門塔にいるフィリポはフゥーと溜め息をつくと、よっこらしょと独りごちて立ち上がった。彼は遠くからでも副団長の話が聞こえていたので、今から自分の馬を探しに行くつもりでいる。
「……」
隣にいたノーマンが青ざめた顔で黙り込んで、城門の下を覗き込んでいた。
「ん? どした」
「さっきの強風と、大雨で……出口が、瓦礫と土砂で塞がれてる……」
「えっ」
フィリポも両耳を大きく揺らして、城門の下を凝視した。門塔の階段へと続く扉が、たしかに瓦礫と土砂に埋もれていた。そのうえ、手元で救助信号を送ろうにも、マテリア術の水飛沫で龕灯の火が消えてしまったのだ。
「おーい! 誰か、こっち助けてくれえ!」
フィリポの助けを求める声は、秋の夜風に掻き消された。




