第二章 激闘!ケルベロス殺しⅣ
「ハァッ!」
エヴァンは中央の頭に斬りかかるも、タックルするように飛び出した右側の頭に阻まれ、後ろへ回避する。
「おい、乗っかっているくせに動き一つ止められんのか!」
彼はこめかみに青筋を立てながらノーマンに怒鳴り散らした。理不尽な恫喝に対し、怪物の頭に跨る長身の騎士は申し訳なさそうに眉をㇵの字に下げる。
「む、無理だ……」
目に刺さったサーベルの柄を握り、内股に力を込めているのがやっとで、荒ぶる頭をコントロールできる状態ではない。寧ろ両目とも攻撃できただけでも大手柄であった。
「絡んでる場合じゃねぇだろ! 早く真ん中の頭も目潰ししろよ。朝になっちまうだろうが」
ハンフリーは左の頭の牙を剣で交わしながら、エヴァンに野次を飛ばした。終わりの見えない戦いに、彼も苛立ちはじめている。
「うるさい! 先ほどから貴様、俺に指図して何様のつもりだ!」
エヴァンが今度はハンフリーに吠える。
「あの、仲間割れはよせ。無意味だ……」
ノーマンがおろおろと険悪な彼らをなだめても、火に油を注ぐだけであった。
「無意味? そこで高みの見物を決め込む奴の科白か?」
「兵力不足だし、お前いっそこっちへ降りて戦ってくれよ」
二人の棘のある物言いや無茶振りを受けて、ノーマンはううん……と言葉の足らない幼子のように不貞腐れる。
(何をしているのだ、あいつらは……!)
負傷者の誘導を終え、離れた場所から戦況を見守るグスタフは、3人の連携のなさに呆れ果てた。それもそのはずで、一人一人の素養は高いのに、協調性に欠ける面子ばかりなのだ。まともに指揮の執れる人物がいない。
(右肩ならまだ動くか……)
グスタフは左肩の脱臼のせいで首が左に傾いたまま動かせないが、それでも何とか怪物へ向かおうと、ふらふらと歩こうするも、後ろから走ってくる何者かに呼び止められた。
怪物の3体の頭は、目や口から血を流しながら、なおも牙や爪で騎士に襲いかかる。
「ウガァアアアアアアア!」
その咆哮は、死しても消えることのない青年たちの嘆きなのか。
辛うじて両目のある中央の頭が、庇おうとする視覚を失った左右の二体より前に出て、口から血の混じった唾液を滴らせて、エヴァンたちを屠ろうとした。
その瞬間、横から飛び込んできた人物が、両手に持つ二振りの剣を交差させるように、中央の頭に斬りかかった。
剣の軌道はその両目に当たり、またしても3体の首は断末魔を上げてブンブンと揺れて悶える。
「副団長……!」
エヴァンの眼は真っ先に、マシューその人ではなく、彼の右手にあるレイピアの剣を捉える。
晩餐会からここまで走ってきたマシューは、赤ら顔を汗まみれにして、乱れた呼吸を整えるように深く溜め息をついた。そして、方々にいる部下3人と目を合わせるように、周囲を見回した。
「馬鹿者! 昨日、俺が言ったことを覚えている者はおらんのか。敵に反撃の隙を与えるな。あの世でもくだらん諍いを続ける気か!」
「は、申し訳ありません!」
上官の一喝に、部下たちはとっさに敬礼した。ノーマンも怪物に揺さぶられながら左手を掲げている。
「復唱! 我々は敵に反撃の隙を与えない!」
「我々は敵に反撃の隙を与えない!」
復唱させた後、マシューは直れ、と言って3人に敬礼をやめさせた。
「……しかし、ここまでよくぞ持ち堪えた」
そう言いながら、左手に持つマンゴーシュの剣先で、まだもがき苦しんでいる怪物を示す。
「ああいうのは魔獣といって頑丈で強いが、核――弱点を狙えば、よりでかいダメージを与えられるぞ。というより、それ以外で倒すことはかなり難しい」
ハンフリーは唐突に出てきた「魔獣」という単語にたじろぎもせず、マシューの話の要点を呟いた。
「核……」
「魔獣化する前の人間が、トドメを刺された部位だ」
「トドメ、ですか……こいつ元は3人だったので、致命傷もバラバラなのです」
ハンフリーが自分の細面の顎を掴みながら眉間に皺を寄せると、副団長はそうか、と頷く。
「ならば敵を観察して探るしかないな。体のどこか、やたらに庇っているところはないか」
「庇ってるというと、真ん中の頭ですね。ただ、他の頭と頑丈さは変わりませんが」
「じゃあ違うな。核は柔いから……」
「……」
マシューたちの会話をよそに、エヴァンは考えることに没頭していた。
(魔獣化する前の人間……。左右の首が中央の首を守るのは、3人の人間であった頃の記憶が残っているからなのか?)
そうして、フィリポと同じ結論に至る。追究すべきはここから先だ。
(そして、中央の首……真ん中にいた奴は、自分の胸を刺して死んだ……)
「……心の臓だ! 心の臓を斬れば奴は死ぬ!」
「心の臓って、そこは誰しも普通に弱点なんじゃねぇのか?」
ひらめきと同時に先走るエヴァンを追い、ハンフリーは叫んだ。
「とりあえずやってみろ!」
マシューは二人に指示を出す。そして、ダメージから立ち直った怪物――もとい、魔獣が、彼らへ前足を振り下ろすのを二刀流で防いだ。
ますます鈍くなった3体の頭を避けて、エヴァンは下から潜るように魔獣の懐に侵入した。砂埃を立てながら、助走をつけてジャンプする。
「テェイッ!」
ジャンプしながら頭上にある胸部へ斬りかかるも、その体表は鋼鉄のように硬く、ガッシィン、と攻撃を弾かれてしまった。
「おい、全く効いてねぇぞ! 当てずっぽう野郎がよぉ!」
後を追ってきたハンフリーが、迫りくる前足を剣で叩いて退かせた隙に、エヴァンへ非難を浴びせる。
(そんな馬鹿な……俺の考えが外れただと!)
エヴァンは動揺した。轟々と腹の音が響く赤黒い犬の下で、目の前が真っ暗になりかけたとき、視界の上部に、眩い光が差し込んだ。彼は光を怪物の懐から覗き込む。
フィリポが門塔より暗号を送っている。エヴァンと、その近くにいたハンフリーは光の点滅を凝視して、解読し始めた。
(イ、ヌ、ノ……)
『犬の心臓は、前足の左肘を曲げたとき、胴に当たるところ』
エルフの集落での狩猟経験から、フィリポは動物の部位に詳しい。遠くから心の臓、心の臓、と連呼しながら見当違いの場所を攻撃している彼らを見て、やきもきしていた。
また、身体機能が従来の動物と変わらないということは、先ほどグスタフとノーマンが観察した尾の動きから実証済みであり、臓腑の配置も変わった点はないだろう。
そうと分かると、エヴァンたちはさっそく魔獣の左側に回り込んで、本当の心臓の場所に辿り着いた。
(ここか……!)
エヴァンが左の前足の付け根付近に狙いを定め、助走をつける。
そこで魔獣は並々ならぬ殺気に気付き、左の前足を振り上げては、かの騎士を追い払おうとした。だが危機一髪、すんでのところで、ハンフリーがその足を押し出すように、剣で防ぐ。
「俺が防いでいる間に、行け……ッ!」
ハンフリーは歯を食いしばって、踏みとどまった。いがみ合っていたときと違い、協力的な姿勢を見せている。彼自身、分かっているのだ。もはやエヴァンの直感に頼るしかあるまい、と。
「うおおおおおおお!」
全力で走るエヴァンは、ハンフリーの背中を壁の如く容赦なしに蹴り上げ、三角跳びして心臓へ急接近した。
「クソッタレ!」と真下で罵倒する同僚の声も構わず、赤茶髪の騎士は、月明かりに反射して、鈍い光を放つ刃を振り下ろす。
「テヤァーッ!」
ブヨン、と生々しい肉の感触があった。
「ギャアアアアアアアアアアアアア!」
核を叩き潰された3体の頭は同時に吐血しながら痙攣し、四つ足をジタバタと動かして地面を石畳ごと抉り取る。あまりの激痛で錯乱状態にあるらしい。
「最後の悪あがきか……ここら一帯を破壊すんじゃないだろうな。――総員、退避!」
マシューは鍛錬場倉庫を指さしながら、怪物の近くにいたエヴァン達へ逃げるように指示を出す。
「ノーマン!」
魔獣の頭に乗っている部下へ振り向くと、激しい動きに今にも振り落とされそうになっていた。
魔獣は首をあちこちへ揺さぶらせ、城門のほうへ突進しようとした。このままがむしゃらに、捨て身で城壁と衝突し、破壊しようというのか。そのうち右側の首をブンッと大きく振り、前足でノーマンをボールのように放り投げた。
「うわああああああああ!」
長身の騎士が全身に重力を受け、抗うすべもなく城壁へ叩きつけられそうになったそのとき、彼を呼ぶ声がした。
「ノーマン!」
フィリポだ。門塔からずり落ちそうになりながら、右腕を差し伸べていた。
ノーマンはとっさに空中で右手を前に出し、仲間の腕を掴んだ。衝突する数秒前であった。彼の得意とする三段突きは、尋常でない動体視力と瞬発力が秘訣だろう。
フィリポはそのまま両腕でノーマンを引き上げ、門塔の中へ入れた。負担のかかった右腕が痛んだのか、顔を引き攣らせて小さく呻く。
「す、すまない……」
広い背中を丸めてうつむくノーマンに、フィリポはすぐに「へーきへーき、これ名誉の負傷」と、あっけらかんと笑い、長い両耳を気前よく揺らした。
しかしそうしている間にも、魔獣は口から吐いた血を撒き散らしながら、その足を止めることはなかった。
(あともうひと押しか……城の外に出たら厄介だな)
マシューが二振りの剣を構えて走ろうとすると、後方から、お待ちくださいと声をかけられた。
大柄な体格に左側のこめかみを剃り込みにした、色黒の眼鏡をかけた騎士である。
「ビクター」
「遅くなってすみません。最大級のマテリア術を安定させるのに、時間がかかりました」
ビクターが右手で三叉槍を肩より高く掲げると、天空より暗雲の切れ間を一瞬、青白い稲光が走り、直後にゴロゴロゴロ……バァアアアンとけたたましい雷轟が響き渡る。
ポツ、ポツ、と空から雨が降り始め、その場にいた警備兵や騎士たちが驚きながらふと見上げれば、たちまち雨足が強くなり、一気にスコールへと変化した。
「なんだこりゃあ!」
「大嵐でも来たのか!」
今日は朝から曇りがちであったが、ここまでの悪天候にはならないはずである。
ざあざあと降り注ぐ土砂降りのなか、エヴァンはつかつかとチームメイトへ歩み寄り、びしょぬれになって額へ落ちた前髪を掻き上げながら、彼を鬼の形相で睨みつけた。
「貴様ァ……今更のこのこ現れて、何のつもりだ……ッ?」
ビクターはレンズに水滴のついた眼鏡を外すと、真打登場、と名乗り上げんばかりに不敵な笑みを浮かべる。
「神の力を借りてきた」




