第二章 義勇十字団3人組
時間は少し前に遡る。暴れ馬の騒動から、青年貴族の二人組と別れた3人の義勇十字団員は、城門とは反対方向の裏口へ向かおうとしていた。計画では馬番に扮した同胞たちが、逃走経路を用意してくれているはずである。何の手違いかタイミング悪く、暴れ馬に襲われそうになったが。
「暴れ馬は去ったか?」
そのうちの一人が早歩きしながら、振り向いて後方を確認した。
「そのようだな。彼らを囮にして助かった。あの二人、死んだんじゃないのか」
もう一人も歩きながらそう答えた。彼らは、青年貴族たちを暴れ馬の標的にして逃げきったのだ。
「馬鹿そうなボンボンだったし、死んだほうがいい人種だろう。国家の膿だ」
最後の一人が何ともなしに言い捨てた。手元にある紙切れを、暗がりで目をすがめながらじっと見つめている。城に潜伏している同胞から予め渡されていた、手描きの地図だ。簡略化された地形にメモ書きを添えた単純なものだが、現在地を把握するには十分である。
「この先を真っ直ぐ行けばいいようだ」
「真っ直ぐって、道なんかないぞ?」
目の前には、今までの石造りの道路が途切れ、その先を隠すように膝の高さほどの藪が広がっていた。
ところが地図を持った青年がじっと観察し、おもむろに藪の中へ手を突っ込むと、ガサガサと簡単に手で掻き分けることができた。葉のついたままの木の枝や草などを盛って、藪に見せかけていたらしい。
「手が込んでいるな」
「地図にも書いてなかったよ。慎重になりすぎて、かえって杜撰だ」
3人が偽物の藪を掻き分けてしばらく歩くと、元の石畳の道が露わになり、その突き当りに視界一面を覆うほどの、広大な城壁がそびえ立っていた。石造りの壁は表面がざらざらしていて少し凹凸があるものの、足を掛けられるところはなく、およそ人力で登れるような高さではない。その壁をアーチ状にくり抜いたような、大の男の背の高さほどの、木製の扉があった。
「あれが裏口か……」
飛び出していこうとする仲間たちを、地図を持った一人が制した。
「待て。おかしい、見張りが立っていない」
裏口の前には警備兵に扮した同胞が待機しているという話だったが、誰一人としていなかった。
「……」
彼らは無言のまま互いの目を見て頷くと、素早く一人が裏口の扉の前に立ち、扉の外へ耳を近づけた。物音はなく、首を横に振る。あとの二人が服の中に隠していた短剣を構えて、臨戦態勢になった。
そして恐る恐る、ギギギィ……と扉を押していく。かんぬき錠はされていなかった。
裏口の扉から城壁の外へ出た3人はまず、地面にまだ火の消えていない松明が転がっているのを目撃した。周囲に敵がいないのを確認しながら身を屈めて歩き、暗がりでは貴重な光源である松明を拾った。
松明の明かりで辺りを照らしながら、彼らは慎重に歩く。それぞれが耳をそばたてても、聞こえてくるのは鈴虫の鳴き声ぐらいだった。不気味なほどの静けさである。唾とともに飲み込んだ、秋特有のツンと研ぎ澄まされた冷気が、やけに胸を刺すように感じられた。
もぬけのからになった厩の前へ辿り着いた彼らを待ち伏せていたのは、最悪の事態だった。
同胞であったはずの警備兵に扮した男が、首から血を流して倒れていた。一見してもはや手遅れだということがわかる。また、遠くの草原のほうから「ぎゃああああああ!」という男の悲鳴が、夜風を伝って聞こえてきた。
ざわめいたのは、ブナの木の枝葉だけだろうか。3人の青年たちの心臓は、もう張り裂ける寸前である。
「駄目だ……ここから先には敵がいる……!」
「馬番に化けていた奴らは、ばれたんだ……。もしかしたら、中庭の連中だって……! お、俺たちも死ぬ、殺されるんだ……ッ」
「やめろ……! こんなところでボサッとしてたら、それこそ見つかってしまう! 城壁の中へ戻るぞ……!」
義勇十字団員たちは震える声で理性を取り戻そうとしたが、血の気の引いた真っ青な顔色はすぐには戻らない。口には出さなくても、誰もが絶望的な状況を悟ってしまった。
(この暗殺計画は失敗だ……!)
3人は裏口から城壁内へ戻ってくると、小走りで城門を目指した。反対方向にあったとしても、彼らが城から逃げられる出口はもうそこしかない。藪を掻き分けた地点まで着くと、全速力で駆けだした。
過剰に跳びはねる心臓の鼓動は呼吸を乱し、走っている途中で何度もよろけそうになった。正気を保つのがやっとである。
そこへ追い打ちをかけるように、更なる困難が彼らに襲いかかる。
ドッ、ドッ、ドッ、ド。地面から響き渡るのは、聞き覚えのある重低音だった。宵闇の彼方から現れるのは、鼻息荒く、目を血走らせた一頭の暴れ馬である。この芦毛の馬は、散々走り回り疲れて大人しくなった群れからはぐれ、今も興奮状態でいた。エヴァンの愛馬グレースだ。
「……う、そだろ……」
「何故……何で戻ってくんだよォ!」
義勇十字団の青年らは、暴れ馬の再登場に混乱した。それもそのはず、城門の方向へ走っていた馬をこちらへ仕向けたのは、警備兵に扮した同じく義勇十字団員であった。同胞によって絶体絶命のピンチに追い込まれたというわけである。そもそも、中庭の陽動失敗から始まり合図役である貴婦人の退席、裏口工作のタイミングの悪さなど、他のメンバーの一連のミスが重なって、生き残りである彼ら3人に全部のしわ寄せが来たのだ。この暴れ馬は悪手の集大成とも言えよう。
「アアアアア!」
青年たちは堪えきれず絶叫した。半狂乱になって暴れ馬から逃げ出す。 彼らは思考が弾け飛んで真っ白になった頭の片隅で、俺たちの何が悪かったのだろう、と自問し続けた。
逃げている途中、誰かが石畳の隙間に躓いてふらついたのを、暴れ馬グレースは見逃さなかった。筋肉質なたくましい脚で、ふらついた一人を容赦なく蹴り上げた。ドゥオンッと鈍い音が響く。パサリ、と彼の持っていた紙切れが地面に落ちる。
「アガッ……」
グレースに轢かれた青年が、地面に叩きつけられて何度も転がるまで、あっという間の出来事だった。
芦毛の馬は自分の進行方向にいた障害物を蹴り倒すと、これぞ痛快とばかりに鼻を鳴らし、そのまま城壁のほうへ走り去っていく。けたたましい蹄の音がどんどん遠くなっていった。
暴れ馬が去った直後、あとの二人が転がった同胞のもとへ駆けつけた。
地面に倒れた青年は全身が擦り傷だらけで、さらに深いダメージを負っているらしく、自分で起き上がることすらできないままでいた。二人は彼の身体を動かさないようにし、かすかな意識を失わないように呼びかけながら、怪我の具合を調べた。
「大丈夫か! おい、しっかりしろ!」
うう……と、か細い唸り声が返ってきた。
「恐らくアバラが何本かイッてる……畜生、あの駄馬め!」
同胞がジャケットを脱いで、包帯代わりにシャツの袖を破いたのを、倒れている青年はよせ……と止めた。
「僕はもう駄目だ……置いていけ」
二人は首を大きく横に振ったり、顔を真っ赤にして両目に涙を浮かべた。
「馬鹿野郎! 同胞を置いて逃げられるかよ」
「俺達3人で、腐敗した世の中に革命を起こすって誓ったじゃないか!」
肋骨の折れた青年は、二人の怒声が満身創痍の身体に響いた痛むものの、優しげに目を細めた。
「……晩餐会で、僕は、度胸づけに20年代の赤ワインを飲んでいただろう……? 実は、あの薬も一緒に飲んだんだ……」
「あの薬」という単語を聞くと、二人は目を見開いた。
「お前……あれは最後の手段だとリーダーも言っていたのに!」
組織から危険な興奮剤でも貰っていたのか、何てことをしでかしたのだ、と驚愕や怒りを露わにする。そんな同胞たちに、ますます青年は笑みを深めた。
「でも渡されたってことは、使えってことなんだろう……。それぐらいの度胸がなきゃ、革命なんて……は、は。正直、酒でごまかそうとしたけどね……。だから、僕は今、死をも恐れていないのさ……」
決死の覚悟で挑まなければ、この国を正しい道へ導くことができない。ただ青年は、同じ志のもと出逢ったこの二人との別れが、少し惜しかった。
「……」
二人は顔を見合わせて頷くと、ズボンのポケットから包み紙を取り出し、その中に包まれた粉薬をサーッと一気に飲み込んだ。
「なっ……!」
倒れながら目を剥く青年へ、二人の同胞は、不味いな、水が欲しかったな、などと冗談を飛ばしながら笑いかけた。
「俺たちは、ずっと仲間だ。地獄の果てまでな」




