第二章 城門で構えよ
緊迫した状況の最中、中庭で一人、三叉槍を構えて詠唱する者がいた。騎士でマテリア術の使い手、ビクターである。
彼が両手で横にして持った槍の柄は、目を開けていられないほどの、中庭全体を覆わんばかりの眩い強光を放っていた。
「汝、空より海を創りしもの。汝、海より空を創りしもの。全ての生命の根源にして、終焉を統べるものよ」
ビクターはそれでも目を瞑りながら、マテリア術の長い詠唱を続けた。やっと最後の節に入ったところである。
「我はわだつみに問う、何ぞ我を創り給うたか。得たるはただ繰り返されるさざ波の調べのみ――されどその残響こそまことなり。我が血は雨の粒、海の露、汝の一滴なり。人は皆ことごとく、水面にたゆたう泡沫なり。主は玉響の一つ一つを聞し召す。さらばとうとうと流るるせせらぎの如く、澄まされた音を奏でよう」
唱えながら、持っていた槍を体の正面で回す。そして槍を天へ向けて掲げながら、左足を引いて、右足を一歩、大きく踏み出した。湿った地面にくっきりと足跡が残る。
「巡り巡りて辿る水脈、時は流れど戻れはすまい。岩が礫となるように、絶えず変わらぬものはなし。せめてさだめに身を尽くし、己が涯に魂ゆらう」
掲げた槍を今度は地面へ振り下ろし、左足を軸にして後向きに回った。下へ向けたままの槍を薙ぐように横一直線に振りかざし、また天へ掲げる。まるで神を祀る儀式のように厳かな所作であった。
「我こそ汝を奉り候。誉れ高き御身を現し給え。我が主は水神ハイドロディウスなり!」
すると、雲の切れ間より幾筋の光が、ビクターに注ぎ込む。そして突如、ゴオオオオオオオ、と唸り声のような轟音をとどろかせながら、中庭全体に嵐のような強風が吹き荒ぶ。木枝が擦れ合い、花や葉を散らせながら、大いなる存在の出現にざわざわと騒ぎ始めた。
風のせいでバサバサと軍服の裾が翻るも、ビクターは右腕で顔を防ぎながら、片手で光の消えた槍を担ぎ、不敵な笑みを浮かべた。
(よし、どうやら成功だな……!)
「うるせぇな、風」
フィリポは尖った長い耳をぱたぱた動かしながら、門塔の上で鼻の頭を掻いた。そして、後方からだんだん聞こえてくる、複数人の足音や息遣いに反応し、とっさに立ち上がって振り向く。
(遠くからだけどなんか聞こえる。誰だ?)
視力の並外れたエルフ族のフィリポでも、門塔から隅々まで見下ろしたところで、城門前には誰一人として確認できなかった。フィリポはもう一度、耳を澄ませた。
(城壁の外……放牧場のほうからだな。でも、そんなところ客がわざわざ来るか? たとえもし不審者が侵入してきたとしても、厩の馬番とか警備兵がいるだろうから止められるだろうし……)
考え事の途中で、フィリポはハッと淡褐色の丸い目を見開いた。
「警備兵……!」
一方、グスタフ、ノーマンなどの騎士と警備兵たちは西口回廊から城を出て、城の正面口から騎士団の詰め所との中間地点で待機していた。
「それではネズミが城から出てくるまで張り込み、来たら一斉に駆けつけて攻め込むということで、いいんだな」
騎士の一人が、作戦の提案者であるグスタフに確認をとる。
「ああ」
グスタフは太い眉をキリリと寄せて頷いた。
「ネズミを油断させるためとはいえ、内城からここはあまりに離れ過ぎではないか。せめて我々警備兵だけでも正面口に近い場所で待機させてほしいのだが」
傍らにいた警備兵の一人が急に、ここへきてグスタフに作戦の一部変更を求めた。グスタフは両腕を胸の前で組み、歩き回る代わり、その場で足踏みした。
「確かに包囲作戦では各地点へ兵力を分割させる布陣で、敵を四方八方に取り囲むよう進軍していくのが定石だ。しかしこの場合、敵は大軍ではなく暗殺特化の小規模集団であり、奴らがこちらに勘づいたとき、少人数を生かして方々へ散らばる恐れがある。そうすれば兵力を分割したのがあだとなり、確保するのに手間がかかる。今回の作戦の肝は、あえてネズミを泳がせて油断した隙をつき、一気に制圧することだ。戦力の分散は好ましくない」
「だがネズミが正面口から出た後、ここまで来るとは限らない」
警備兵は長い話にも食い下がることなく、更に意見した。
グスタフは彼のほうへ顔を向けた。
「奴らにとって、第三者に疑われることなく逃走するには、客人を装いここから城門へ出るのが最善策だろう。貴殿の言うそれ以外の逃避経路となると……外部からの協力者が必要になる。仮に協力者がいるならば、城の構造に詳しく、また仲間を待つのに長時間同じ場所で待機しなくてはならないが、城の内外をうろついていても周囲から疑われることのない身分の人物。つまり内部関係者であろう」
「グスタフ。お前、俺たちやキャンディス城の者まで疑っているのか……?」
しばらく話を聞いていた背の高いノーマンは、足の長さを持て余したようにふらり、とチームメイトの前に現れ、立ちはだかった。
「可能性の話だ」
グスタフは見下ろしてくる長身の同僚の圧迫感に怯むことなく、面と向かって答える。
「……承知した。貴殿の意見に従おう」
異を唱えていた警備兵は、納得いかずという風に俯きながらも、とうとう折れた。
その後、建物や物陰の裏に各自隠れて待機することになり、先ほどの警備兵も移動しようとすると、彼の同僚から肩を掴まれた。
「お前さぁ、あんまり騎士に噛みつくなよ。あとの仕事がやりにくくなるだろ。俺たち警備兵は与えられた仕事をこなすだけでいいんだよ。波風立てるな、しゃらくせぇ」
不機嫌そうな同僚の苦情に、警備兵は困ったように笑いながら受け流しつつも、掴まれた肩からチリチリと嫌悪感が広がっていくのを感じた。威圧的に自分の意見を推し進める騎士、長いものに巻かれて自分では何も考えない同僚を、心の底から侮蔑する。彼はもう、この世の何もかもが気に入らないのだ。
(ああ、この国は上から下まで腐りきっている!)




