第二章 偶然の遭遇
王女はとっさに振り返ったが、遅かった。
なぜなら男はもう、床に伏していたからである。
振り返ったプリムローズと倒れた男の間に、緋色の軍服を纏った騎士が佇んでいた。
少しつむじの地肌が見える白髪頭に、赤ら顔をした初老の男――マシューである。
マシューはすでに、吹き抜けの天井にあるシャンデリアを吊るす足場から階段でここまで下りて、他の騎士たちに紛れていたのだ。中背中肉の彼にとって、体格の大きい部下たちは良き隠れ蓑となった。そして王家の近辺を注意深く見守り、ナイフを持った男がプリムローズに突進していくのを、素早く対処することができたというわけだ。
ナイフを持った男はマシューによって、鞘に納まったままのマンゴーシュとレイピアで、それぞれ喉と腹を同時に突かれて失神している。勿論この男も義勇十字団の一人で、特殊な訓練を受けているため、「20年代の赤」という合言葉を耳にしただけで、王家に対する殺人衝動に駆られるよう洗脳されていたのだ。
マシューはその場にいた部下たちに手信号を送り、失神した男を城の外へ運び出して始末するよう指示した。晩餐会で流血沙汰を起こすのは陛下に無礼という理由もあるが、とっさに王女を守れなかった彼らにトドメを刺させることによって、名誉挽回の機会を与えたいのだ。
「ヒッ……ヒィィィ! 人殺しだぁぁぁ」
酔っぱらっていた貴族の青年二人は、騎士たちによって東口へ引きずり出されていく凶悪犯を間近に見て、みるみる顔色を青ざめ、恐れおののきながら一番近い西口へ逃げるように退場した。
プリムローズもアイヴィーも一瞬の出来事にぽかんとしていたが、マシューは振り返って、プリムローズの前で跪き、恭しく頭を下げた。
「お怪我はございませんか、姫様」
彼の声にハッとしたプリムローズは、ええ……どうぞ面を上げて下さい、と困惑しながら答えると、マシューはまなじりを緩め、笑い皺を深めたくしゃくしゃの笑顔を向けた。
その笑顔に安らぎを与えられ、プリムローズはほっと胸をなでおろした。
「ありがとうございます。貴方の騎士道に栄光あらんことを」
そう言ってお辞儀すると、後ろにいたアイヴィーに促され、ソファーへ戻った。
マシューは立ち上がり、バクストン6世と皇帝イグアーツに向かって、左手を胸の前にかざし、右手の拳を掲げた。ベリロナイト式の敬礼である。
そして周囲の来客たちへ振り向き、一礼すると、すっと息を吸って朗らかに挨拶の言葉を述べた。
「えー、紳士淑女の皆々様。私はベリロナイト騎士団の副団長を務めさせて頂いております、マシュー・サウスポールと申します。此度は、修好条約を祝福するおめでたい宴にて、両国の益々の発展を願い、僭越ながら剣の舞いを披露したく存じます!」
マシューは左手でマンゴーシュの剣を抜き、天井へ高く掲げた。周囲から一斉に拍手が起こる。
「ああ、良かった。そういう催し物なのね」
「本物の騎士が踊る剣の舞いかぁ、これは迫力がありそうだなぁ!」
ざわついていた貴族たちはマシューの話を聞くと、義勇十字団の男を、おそらく剣舞のデモンストレーションのために手配した役者だろう、先ほどのやっとうも演技だろうと思い込んで、納得しはじめた。
当のプリムローズもソファーに座りながら、たちまち興奮して驚いたような笑顔になり、隣に立つアイヴィーと顔を合わせた。アイヴィーは少し怪訝そうな様子だったが、期待に目を輝かす王女の顔を見て、安心したように頷く。
「ほう、なかなか粋なはからいをする」
国賓席のイグアーツは、長い黒ひげを蓄えた唇を僅かに歪めた。相変わらず他人に心境を読ませない、含みのある笑みを浮かべる。
「……ええ、ぜひご覧になって頂きたい」
皇帝の隣に座るバクストン6世は、自分の娘が暗殺されそうになったにもかかわらず、何事もなかったかのようにマシューの話に合わせ、予定になかった余興を受け入れた。
両陛下の背後で警備していた騎士団長ブランドンは、副官の機転を利かせた行動に、フッとため息を漏らした。
(なるほど、そうきたか。目立ちたがりめ。真剣をぶん回す騎士がホールのど真ん中に居たら、誰もうかつに動けまい)
騒動が沈静化し、これから騎士の剣の舞が始まるというとき、令嬢や未亡人の貴婦人に囲まれているのは、大貴族の跡取り美男子ジェレミア・デューク卿だ。
「あの騎士の方、本物の剣で踊るのかしら…?」
「ジェレミア様ぁ、怖いですわー!」
両手に花とはまさにこのことである。両腕を女に掴まれながら、白い歯を見せて爽やかに微笑んだ。
「大丈夫だよ。離れていれば剣は届かない」
西口の回廊では、義勇十字団の青年3人が、バラバラに晩餐会を後にしたが、下り階段のところで合流した。
「ホールのほう、やけに盛り上がっているな」
マシューの剣の舞が始まり、歓声が回廊の階段前まで響き渡っていた。
「好都合だ。こちらの行動を悟られまい」
もう一人の青年が、仲間に返事しながらほくそ笑む。
しばらく階段を下りていると、三人目の青年が気まずそうに眉をひそめた。
「なぁ、警備がありえないほど手薄じゃないか……?」
「俺も思った。見張りが少ない」
西口から階段へ来るまで、警備兵2、3人がぽつぽつと立っていただけで、巡回している様子すらなかったのだ。
「西口側は主に使用人のための通り道だというリークがあった。だから会場より警備が甘いのだろう」
「馬鹿め、この回廊だって城の外と繋がっているのに」
3人の青年たちはザルのような警備を鼻で笑い、すっかり舐めきっているようだ。
そのとき、後方から大声が聞こえてきた。
「うわぁぁぁ! 人殺しだぁ! 晩餐会に殺人鬼が出たぞー!」
けたたましい足音がだんだん彼らに近づいてくる。
人殺し、という単語を耳にしたとき、3人の青年は固まった。
もしや、何者かによって、作戦が強行されたのではないだろうか。ホールから響く声はその悲鳴なのではないか。そうだとしたら今、城から出ようとしている我々は、真っ先に疑われるのではないか。なんてことだ、あまりにもタイミングが悪すぎる。
さまざまな思考が頭の中で混ざり合っていると、後ろからおい、と同世代らしき2人組に声を掛けられた。義勇十字団員らの背中に悪寒が走る。
「その君たち、僕らを助けてくれぇ!」
「この城はもう危険だ、城門に止めた馬車まで共に行こう!」
エヴァンに嫌がらせをしている二人組だ。よりによって、過激派テロ組織の人間に助けを求めたのだ。
(助ける? 共に? 敵ではなさそうだが誰だこいつら……?)
(この情けない奴らも同胞なのか?)
(作戦は一体どうなったんだ……!)
泣きじゃくる二人組を前に、3人の義勇十字団の青年たちは混乱してしまった。たった今、この集団ヒステリーのような状況を、解決できるものは一人もいない。




