第二章 宿命の前に打ち砕かれた信念
キィイィン、と剣戟の音響き、ジョージとクレイグは息をのみ、その場で立ち尽くした。
膝をついたのは――エヴァンだった。
エヴァンは片膝をつき、斬りつけられた左腕を右手で抑えた。
「グオッ……クッ!」
冷たい大理石の床に、赤い血の雫がポタリ、と滴り落ちる。
ハンフリーは肩で息をしながら、滴る汗を腕で拭って彼を見下ろした。
「……気が済んだか……?」
だが敗北してもなお、エヴァンは納得がいかぬ、と後ろへ流していた前髪が乱れるほど、頭を左右に振った。
「……ここまで来るのに手際が良すぎる。何か隠し事があるだろう」
「隠し事ぉ?」
ハンフリーは小馬鹿にしたように細い眉を片方だけ釣り上げ、肩をすくめてハッと鼻で笑う。
「お前がそれを言うのかね。中庭の警備を放棄し、晩餐会で義勇十字団の女と同伴していたお前が。疑惑の塊だぞ」
「俺を、義勇十字団と疑っているのか」
会話は途切れ、灰色の切れ長の目と、三白眼の釣り目がぶつかり合う。
これには傍で聞いていたジョージとクレイグ、どちらもハンフリーに同意していた。ただでさえエヴァンは、普段も他の騎士たちから孤立していて、人望がまるでなかった。そのうえここへきて、義勇十字団の者と関りがあったのを目撃した日には、もはや疑うより他なかった。
「……いいだろう」
3人分の疑いの眼差しを一身に受け、エヴァンは溜息をついて、しばらく目を瞑った。そして、覚悟を決めたように神妙な表情で目蓋を開くと、おもむろに上着のボタンを外し、貴婦人と自分の血で汚れたジャケットや、シャツを脱ぎ捨て、半裸になった。
「おい……」
「正気なのか、なぜ……」
ジョージ、クレイグは目を白黒させて仰天した。当然、脱衣しはじめた同僚に対する困惑もあるが、騎士が公衆の面前で無防備の状態になるというのは、本来恥ずべき行為だからだ。
「どうだ。俺が義勇十字団ならば、体に黒い刺青があるはずだ。――騎士道に誓って、我が身にやましいことなど一辺たりともありはせん」
エヴァンは、ハンフリーに斬られた左腕の傷口から血を流しても、堂々とした佇まいで、なおかつ曇りなき眼で3人の騎士を真っ直ぐ見据えた。
「俺は正真正銘、ベリロナイトの騎士だ……!」
その言葉は、まるで彼自身に言い聞かせるようであった。本当は、エヴァンも戦いの決着がついたとき悟っていた。ハンフリーは騎士としての役目を果たしただけで、何も咎める謂われはないと。ただ、ほだされかけた女を、最悪の形で裏切ってしまった罪悪感を払拭したかったため、やりきれない感情をぶつけるには都合のいい相手だったのである。端的に言うと八つ当たりであった。
血にまみれたジャケットと共に、過去への迷いを捨てたエヴァンは、粛々たる月明りのもと、衣服の代わりに威風堂々の覇気を纏って、一歩ずつ彼らに歩み寄った。
その気迫に押されたのか、おじけづいたようにジョージとクレイグは後ずさる。
「わかった。疑って悪かったよ」
「騎士ともあろう者が、いつまでもそのような格好をするべきじゃない。一旦、着替えてこい」
エヴァンは静かに首を横に振った。
「いや、そんな猶予はない。晩餐会にはまだ義勇十字団がいる」
ハンフリーは呆れたように苦笑いしながら、降参だと言わんばかりに両手を振る。
「元より承知だ。西口の連中が報告してきてな。これから東口も総力を挙げてネズミを叩きのめす。――それ」
そして、自分の軍服のジャケットを脱いで、エヴァンに放り渡す。更に、鞘に納まったサーベルまで差し出した。
エヴァンがそれらを受け取りながら、何か言いたげに顔を向けると、ハンフリーは口端を歪めて人差し指を振った。
「無銘だが切れ味はその身をもって確認できただろう。俺にはこの愛刀がある」
白シャツを着たハンフリーの背中には、刀身が〝く〟の字に緩やかに湾曲した、ファルカタという剣が鞘に納められたまま、革の刀帯に括られている。
先ほどの死闘を潜り抜けてなお、飄々として切り札を隠し持っていたこの男を、エヴァンは上着や剣を譲ってもらったにもかかわらず、悔しさのあまり狡猾な豚野郎と心の中で罵った。彼がチームメイト2人を引き連れ、晩餐会のホールへ戻っていく後姿の、歩くたび揺れる一本結びの黒髪を睨みつけた。
「何だかお前に振り回された気がするな」
ジョージかクレイグのどちらかが気疲れしたのか溜め息をつくと、ハンフリーはすまん、と軽く言い、二人の肩をポン、と叩いた。
「じゃあ今度こそ、恩賞にあずかりに行くとするか」
軍服に着替えたエヴァンは、露わになった貴婦人の背中に、自分の礼服のジャケットをそっと掛けた。
彼女は信念を持った人物であった。あくまで義勇十字団としての、だが。
ベリロナイト騎士団は主君――国王に忠誠を誓う者として、反王政主義者は一人残らず討ち尽くすのが本懐なのだ。
(……俺は何であろうと、己が信念を貫くのだ……!)
信念とは、坂を転がる石のようなものである。粉々になるまで身を擦り削るか、大きな壁にぶつかり志半ばで砕け散るか。いずれにせよ、一度転がり始めたら止まることはできない。
この坂の名を、世に人は宿命という。




