第二章 20年代の赤ワインの意味
「良かった。少しご気分が晴れたようですね」
紺色の礼装を纏い、招待客に扮したエヴァンは、義勇十字団と疑わしき貴婦人と、テーブルで立食しながら和やかに談笑していた。
「優しいお人ね。ハンカチを拾ってくれただけでなく、こんなに親身になってくれて」
貴婦人はエヴァンの紳士的な対応に気を許し始めたらしく、紅く艶やかな唇を綻ばせ、頬にかかる一筋の髪を整えられた爪先で掻き上げた。
「なに、窓際の花に心奪われただけですよ」
「あらお上手。下心がおありなのかしら?」
冗談めいた口調でありながら、貴婦人は期待を込めた熱い眼差しをエヴァンに向ける。礼服の美青年は微笑みつつ彼女に顔を寄せ、その耳元で囁いた。
「出来ることなら、より密に……」
「素直なこと」
貴婦人は目を細めてからからと笑うと、エヴァンの左肩にもたれかかった。彼女にとって甘い声色やあだっぽい振る舞いはすべて、その場を取り繕うためのままごとに過ぎない。
しかし一方で、まるで何かの重圧感から逃避したいとばかりに軽薄で、束の間の駆け引きを楽しんでいるようでもあった。
その油断を狙っていたかのごとく、赤茶髪の騎士は赤ワインの注がれたグラスを、右手でスッと差し出した。
「どうぞ、20年代の赤ワインです」
卓上の一杯を見た瞬間、貴婦人は暗褐色の双眸を見開き、表情を強張らせた。だがすぐに悟られまいと口角を上げ、悠然とした仕草でグラスの縁を指でなぞる。
「……貴方若いのに、お酒の趣味が渋いのね……?」
「20年代の赤ワイン」とは、義勇十字団の合言葉である。平等主義ゆえ年齢や身分問わずあちこちにメンバーが潜んでいるため、ゲリラ決行の時点で顔を合わせることの多い彼らにとって、「私はあなたの同胞だ」、「ともに作戦を決行しよう」という重要なメッセージを持つのだ。
ベリロナイト史において「20年代」とは、アルカネット暦420年から10年戦争の中頃あたりをさす。先代の王バクストン5世が崩御した後、その王妃マーガレットが摂政を執り行った時代で、兵力や物量ともに数倍の差がある大国アルカネットを、辛勝ながら退けていた黄金期だ。
義勇十字団がこの酒にこだわるのは、赤ワインを流血に見立て、たとえ犠牲を払ってでも輝かしい過去の栄光を取り戻したい、という願望を込めているからである。
「滑らかな飲み口と、上品な辛さ……大人の女性には、成熟した芳醇な風味がふさわしいかと……」
エヴァンはペテンのように、彼女をワインになぞらえ褒めたたえた。身なりこそ紳士であるが、張りついた笑顔の奥の眼光は、幾重にも罠を仕掛ける狩人のそれである。
「ずいぶんお勧めしたいようね。でも私を酔わせてどうするつもり?」
貴婦人は眉を下げながら、困ったような笑みを浮かべて小首を傾げる。功を急いだか、エヴァンは彼女の胸の内に秘めた猜疑心を膨らませてしまったようだ。それでも彼は取り乱すことなく、悪戯っぽく笑ってみせた。
「どうされたいですか」
「もう……」
ふふ、と機嫌よくして笑うと、貴婦人はワイングラスを持ち、二人は乾杯した。グラスを交わすとキン、と高い音が響く。
傍目からみると、甘ったるい男女の逢瀬に見えるだろう。だが、彼らは互いに腹の内を探り合っているのである。貴婦人――を装う女は、エヴァンが本当に同胞であるかを決めかね、エヴァンは彼女から義勇十字団の作戦を聞き出そうとしていた。
しばらく二人はグラスを傾け、様々な思惑を辛口のワインと共に飲み干した。
「中庭に行きませんか。少し夜風に当たりましょう」
エヴァンはもうひと押し、と強引気味に誘う。二人きりの場所に移動すれば、自分に惚れている女は口を割るに違いなく、中庭なら雑兵に過ぎぬがないよりましなチームメイトとも連携がとれる、と算段していた。
貴婦人はうーん、と唸るとエヴァンの左手の上に、おもむろに自分の手を重ねる。
「秋の花々を愛でるのもいいけど、火照った女を鎮めるには、うってつけの場所があるわよ……」
一方、彼女はエヴァンに好印象を持っていたとしても、義勇十字団の人間なのか半信半疑なので、あえて誘いに乗って彼の正体を暴こうと企てていた。味方ならば協力させ、敵ならば始末するというのが革命戦士の思考だ。中庭は他の同胞たちが陽動作戦に使うので避けた。
「……それはぜひ、ご一緒させてください」
まわりくどい女だな、とエヴァンは苛立ちを隠し、優雅に微笑んだ。




