第二章 ビクター、長い詠唱を始める フィリポ、報告へ向かう
ビクターのいる通路の反対側から、フィリポが小走りでやってきた。即座に淡褐色の丸い目で、血溜まりに息絶えた男を確認する。
「……終わったのか」
「ああ。詳しい情報を聞き出すことはできなかったが、中庭に潜入した奴らはこれで全員だろう」
ビクターは槍の穂にかかった返り血を、軍服の胸ポケットから取り出した、使い古しの布で拭き取りながら、いつもの落ち着いた調子で返事した。
挟み撃ち作戦が成功したにも関わらず、フィリポは浮かない表情のまま膝をつき、掌で死んだ男の虚ろな目を閉じさせた。
「こんなこと、しなきゃよかったのにな」
同僚の呟きに、一瞬、自分を批判しているのかとビクターは勘違いし、顔を引き攣らせたが、すぐに敗死した男に向かって言っているのだと納得した。そして、敵に同情の念を抱くフィリポを見て、騎士としての心得がなってない、とエヴァンがいつも腹を立てるのが少し理解できた。戦いにおいて敵へ情けをかけるのは己の弱みを晒すのと同義、死につながるからだ。
ビクターは血塗れの小さな麻袋に括られた紐を、指でつまんでぶら下げると、絞り口を広げて中身を掌に乗せた。黒く、粒子の細かい粉末だ。
「同情には値しないぞ。こいつ、こんな物を隠し持っていた」
「くっせ。何それ」
嗅ぎなれない臭いに、フィリポはそばかす顔をしかめる。
「黒色火薬。木炭に硫黄、硝石を混ぜた物で、火を点ければ爆発する」
ヒェッ……と、フィリポは耳を揺らし、身震いして後ずさりした。もう湿気っているから安心しろ、とビクターは苦笑した。
「カルチェラタン水軍の倉庫にもあったな。市民が簡単に手に入れられる代物じゃあない。一体どこで……」
「とりあえず俺、副団長に報告してくるわ。会場にいる騎士にも、義勇十字団がいるって知らせないと!」
ビクターの言葉を遮り、フィリポは踵を返してホールへ向かおうとした。
「任せた。それと、くれぐれもエヴァンのことは」
背中越しに聞こえる同僚の声に、エルフの騎士はくるりと振り返って、わざと真面目な表情を作りながら敬礼した。
「現在、中庭はエヴァンとビクター、2名で警戒中であります」
「うん」
ビクターは安堵の中に微笑ましさを含ませながら、相槌を打った。
タタタッ、とフィリポが走り去った後、ビクターは頬の切り傷を指で拭い、三叉槍を横にした状態のまま持ち上げ、胸の前で掲げた。
先程の敵は練度の高い戦士だった。他の侵入者も決して侮れない戦力を持っているに違いない、そう案じた彼は、今まさに、温存した体力を使いきる程の強力なマテリア術を詠唱しようとしていた。
(この術は、詠唱が長くってなぁ……ところどころの節がうろ覚えだが、いけるだろうか)
スウウウウと腹の底から深呼吸し、全神経をマテリア術に集中させるため、目蓋を閉じる。
「我らが主、大いなる水の支配者よ。我、汝を崇め奉らん。この祈りを聴き届け給え。水マテリア術最終奥儀――龍神ハイドロディウス来迎」
掲げた槍の柄に施された金箔の鱗が、まばゆい光を放ち始めた。それは、唱え終わるのに1時間以上かかる大技である。
ホールの天井に建てられた、シャンデリアを調整するための吹き抜けの回廊は、上から晩餐会の全体が確かめられる。マシューは回廊の欄干の上で両腕を組み、招待客一人一人の動きを観察していた。
(なんか、やたら窓の外をキョロキョロ気にしている奴らが数人いるな……)
晩餐会にいる他の貴族たちが気付かない程の微かな動作だったが、マシューの長年の勘がそれを見逃さなかった。
「副団長」
フィリポが回廊の入り口から足音を極力立てず、いそいそと近付いてきた。焦燥と不安の混じったような表情で、冷や汗をかいている。なぜか軍服のズボン裾が濡れていて、水が滴っていた。
「どうした」
「中庭でネズミが4匹戯れていたので、水をかけて追い返しました。会場のご馳走を嗅ぎつけたに違いありません。なお黒猫が2匹、留守番です」
傍から聞くと、なぜ騎士がネズミの駆除しているのか意味不明な内容だが、これは連絡係の暗号である。マシューは組んでいた両腕を腰に当て、片方の眉だけ吊り上げた。
「子供を産んでいるのか」
「数はわかりませんが、恐らく」
フィリポの真剣な眼差しを見て、マシューは強く頷いた。
「ならばネズミ捕りを仕掛けてこい。トラ猫と三毛猫を呼べ」
「はっ!」
敬礼をしてすぐさま走り去る部下を尻目に、マシューはうなじを掻きながら、深く溜め息をついた。
(黒猫の1匹がこっちにいるんだがな……さて皆、会場内の不届き者に気付くか……?)
ヒラから叩き上げの経歴を持つ、現場主義の上官は、晩餐会を新人育成の鍛錬場にしているふしがあった。




