第二章 始まる前の晩餐会の様子
「お初に御目にかかります、皇帝陛下。我が国の来訪を心より感謝しております。ささやかな宴ですが、ごゆるりとお楽しみください。お初に御目にかかります、皇帝陛下……」
ホールの南口へ続く回廊を渡りながら、プリムローズは挨拶の言葉を、繰り返し呟いて覚えようとしていた。
「丸々暗記されると、本番で棒読みになってしまいますよ」
数歩後ろから付き添うアイヴィーは、プリムローズの膨らんだスカート裾を少し持ち上げ、彼女が歩きやすいようにした。
「だって、言葉を噛んだりしたら格好悪いじゃない」
プリムローズは振り向きざまに、紅い頬を膨らませた。意外と緊張しやすい性格なんだから、とアイヴィーは心の中で苦笑した。
「お姉様!」
二人の後方から、マリンブルーのドレスを着たシャーロットが駆け寄ってきた。
「シャーロット! 可愛いじゃない、珍しい色合いで素敵なドレスね。マドンナが着付けをしたの?」
プリムローズがそう言いながら微笑むと、シャーロットはフフッ、と自信に満ちた笑顔で、その場で跳びはねたり、両手を広げてクルリと回った。踵を返すとスカートがふわりと揺れる。自分のドレスを気に入っているようだ。
「シャーロット様、そんなに急がれると転んでしまいますよぉ」
更に後方から、侍女頭のマドンナが一歩ずつゆっくり歩いてやって来た。
「平気よ、大丈夫だわ。お姉様、お先に」
シャーロットは忠告を振り切って、そのままプリムローズ達を通り過ぎた。その後ろ姿が小さくなるまで、微笑ましく手を振っていたプリムローズに、マドンナが一礼して近付いた。
「プリムローズ様……。シャーロット様は、本当はまだ体調が芳しくないのです……。ですが、皆様にご心配をかけまいと、あのように気丈に振る舞っておられるのです」
プリムローズは静かに頷いた。彼女はアルカネットの皇帝に対してプレッシャーを感じているが、妹のほうが与えられた「役目」の責務が重いことは、分かりきっていた。
(……シャーロットは将来、お父様の跡を継いでこの国の女王になる)
プリムローズがアルカネットへ嫁げば、バクストン6世の実子は当然シャーロットのみとなり、王位継承権が与えられる。ベリロナイト史上初の女王陛下となるだろう。
(私にとって、いずれイグアーツ陛下はお舅、つまり身内になる御方だけど、シャーロットには国同士の政治に関わる相手になるのよね……。そのプレッシャーは私の比じゃないはず……)
決心したことを胸中に留めるように、プリムローズはスッと一度息を吸って、マドンナに返事をした。
「わかってるわ、マドンナ。皇帝陛下の御前には姉妹二人で挨拶に伺うつもりだから、いざとなったら私がフォローするわね」
ええ、ええとマドンナはほっとした笑みを浮かべた。
「さすがプリムローズ様」
「……」
アイヴィーは黙ったまま、何でもないように朗らかに笑う第一王女の横顔を見つめた。自分だって緊張しきっているくせに、無理をして期待に応えようとする彼女を案じていた。
和平の為に敵国へ嫁ぐプリムローズ、女子ながら国家の繁栄の為に王位を継ぐシャーロット、どちらも全ての民衆の期待に応えるべき希望の星、否、人柱といえるだろう。
(それが……国を背負う方々の宿命なのですね……)
「お姉様、早く早く」
「はぁーい」
回廊の向こうで手を振る妹に促されて、プリムローズは晩餐会へと踏み出した。アイヴィーは彼女のスカートの裾を持つ両手に少し力が入った。
晩餐会の主客は皇帝イグアーツその人であるが、ベリロナイト中の貴族も上流下流問わず招待された。 国内に向けて二国間の和平をアピールするためである。
「さすが、修好条約の祝宴だけあって、人の多いこと」
招待客の一人である貴婦人は、扇子を口元へ構え、ツンとすまし顔を浮かべていた。見渡せばホール内は貴族たちで溢れかえっていた。彼らは互いに挨拶しあい、親族の縁談の話や世間話に花を咲かせている。 修好条約の件はどうやらついでの扱いらしい。
「これではまるで大きめの社交場ってところじゃない。両陛下はいつお見えになるのかしら? ねぇそこのあなた」
扇子を持つ貴婦人は、隣にいた顔見知りの令嬢に小声で話しかけた。
「……イグアーツ陛下ってどんなお方かしらね。病弱とはいえ、普通は皇太子殿下もご出席なさるべきなのに、ちょっと非常識だと思わない……?」
「ええ、そういえば、アルカネットの皇族の方々は長らく近親婚が続いたためか、皆さまお顔がそっくりだそうよ。青白い肌に鷲鼻で、顎がとんがってるんですって。いくら高貴な御身分でもそれはないわよねー。あっ、今の人イケメン」
政治の話をしようと思ったのに、まるきりその方面に疎い令嬢に、貴婦人は扇子越しに溜め息をついた。
「あのねぇ、少しはこの場に相応しい真剣なお話をしたら。殿方の容姿などどうでもいいわ」
「どうでもよくないわ、私は真剣そのものよ。婿選びには」
令嬢はそう言うと、血眼で自分好みの異性を探し始めた。貴婦人は呆れて肩を落とし、扇子を畳んだ。
「あら、あちらにいらっしゃるのはデューク卿じゃない!」
はしゃぐ令嬢の視線の先には、数人の女性に囲まれた若い男性がいた。波立つ暗めの栗色の髪を肩まで伸ばし、豪華絢爛な金糸の刺繍が施されたベルベットのジャケットを着こなしている。爽やかな笑顔に白い歯を光らせて、貴族の子女たちを魅了した。
「ああ、ジェレミア・デューク公爵。相変わらず社交場の華を気取ってらっしゃるのね。ハナにつくわ」
デューク公爵家はベリロナイトで一、二を争う大貴族である。国土の5分の1の領有権を握り、政治においても発言できる。先代の当主が十年戦争で伯爵から公爵へ成り上がったのだ。
「お声かけしなくては!」
冷めた貴婦人をよそに、令嬢はデューク公爵の元へ歩き出した。すると通りすがりの何者かと肩がぶつかった。
「きゃっ、すみません」
令嬢はぶつかった相手が自分より背が高かったので、目を合わせようと顔を上げた。
「こちらこそ、失敬」
それは人混みの中でもよく通る声だった。
彼女とぶつかったのは背が高く、細身だが男性らしいがっしりした体格で、シックな紺色の礼服が似合う、赤茶髪をきっちりとオールバックにした青年だった。スッと通った鼻筋と涼やかな切れ長の灰色の目が、洗練された容姿を際立たせている。
男が通り過ぎても、令嬢はぼうっとして言葉を失っていた。
「危ないじゃない、大丈夫なの?」
貴婦人が令嬢に話しかけたが、返事はなかった。
「駄目だこりゃ」
そう呟くと、彼女は年下の友人の火照った顔を扇子で煽いだ。




