第二章 戦装束
プリムローズが自室に戻り、アイヴィーの用意した軽食を急いで食べ終えると、扉を叩く音がした。
王女が咀嚼したパンを飲み込んでどうぞ、と返事すると、扉を開けて十数人もの侍女たちが一礼し、押し寄せてきた。
「プリムローズ様、晩餐会の準備に参りました」
侍女たちは手に薄紫のドレスやアクセサリーを抱えていた。
「早速ですが、ドレスにお召し替えくださいませ」
「ええ……それはいいけど、着替えるだけでそんなに人数が要るの?」
まさに臨戦態勢、といった様子で鼻息荒く待ち構える彼女たちに、相対するプリムローズは若干たじろぎ、一抹の不安を感じた。
その不吉な予感は的中した。
「イタタタタ! 待って! コルセットきつく締め過ぎ!」
「お身体の、ラインを、美しく! フンヌゥァ! お見せするためですっ!」
「動いてはなりません!」
下着姿のプリムローズは、ドレスに袖を通す前に、侍女二人がかりでコルセットの紐をきつく縛り上げられていた。締め付けられた胴回りが悲鳴を上げ、このコルセットは拷問道具ではないだろうか、と苦しむ彼女は、腹に納めた軽食を戻しそうになった。
別の侍女が、鯨の骨と針金で格子を組んだドーム状の物を両手で抱え、ぜえぜえと肩で息をするプリムローズに寄ってきた。
「お次は、このクリノリンをお付けします」
「えっ、なにその大きな籠……」
プリムローズは額から汗を流しながら、怪訝な顔をする。
「クリノリンです。アルカネットではスカートにボリュームを持たせるため、下にこれを装着するのです」
「スカートの下に金具を着けるのって変だわ……ペチコートやパニエだけでは駄目なの?」
「アルカネット人に笑われますよ!」
ごねるプリムローズに、侍女はくわっと目を見開いて一喝した。
(対抗意識を燃やしている……)
プリムローズはその気迫に押され、降参した。
ベリロナイト王国とアルカネット帝国では、高貴な人々の装いに違いがある。ベリロナイト人が淡いパステルカラーと、床に引きずるほど裾の長く、ゆったりとした服装を好むのに対し、アルカネット人は寒色系が優美な色合いとされ、身体のラインの出る、特に婦人は女性らしい腰のくびれを強調したデザインを好んだ。
プリムローズがきつめのコルセットや、クリノリンなどのアルカネット式のものを侍女たちに着せられるのは、晩餐会の客人である皇帝イグアーツへ歓迎の意を示すためである。ドレス一着といえど、外交に大きく関わるため、一筋のほつれすら許してはならない。だから侍女たちは躍起になっているのだ。
「はぁ~……もう晩餐会が終わった気分」
ドレスを着たプリムローズは、クリノリンで円錐型に広がったスカートの形を崩さぬよう、背もたれのない低い椅子に腰かけ、ぐったりと項垂れた。
ドレスの着付けやアクセサリー、髪型のセットだけで、もう昼になる。髪型については、ああでもない、こうでもないと侍女たちが何度もやり直し、3時間かかった。
「何をおっしゃいますか。本番はこれからですよ」
ある侍女が鏡台を運び、プリムローズの前に置いた。
鏡に映っているのは、ラベンダー色のドレスに身を包んだ姫君だ。
たっぷりと膨らんだ裾と袖口のプリーツには、繊細な白いレースがふんだんにあしらわれ、胸元には王家の紋章である百合の花の刺繍が施されている。そして赤みがかった金髪を紫色のリボンと編み込み、一本の三つ編みにしてうなじから背中へ垂らした。頭頂は白レースのヘッドドレスで飾っている。アルカネット風でありながら、ベリロナイトの伝統的な様式を崩さずという、華美過ぎない上品な装いだ。
(あれ、いいかも……)
プリムローズは鏡越しの自分を見ながら、疲弊していた気分を高揚させた。
「プリムローズ様の魅力を最大限引き出せるよう、私たちが全力でお手伝いさせていただきました。皇太子殿下はもちろん、その場にいる全員が見惚れてしまいますよ」
王女の背後から侍女の一人が自信ありげに言う。
「ヴォルフガング殿下も晩餐会にいらっしゃるの?」
彼の人は外出できないほど病弱という噂なので、プリムローズは驚いて侍女へ振り向いた。
「あっ、もしおいでになられていたら、という話です。――それではプリムローズ様、晩餐会までおくつろぎください。くれぐれもコルセットをお外しになりませんよう」
着付け担当の侍女たちは一礼すると、ぞろぞろと退室した。その後すぐ、入れ違いにアイヴィーがワゴンを押して「失礼します」と部屋に入ってきた。
「お疲れ様です」
アイヴィーはプリムローズにミントのハーブティーを振る舞った。リラックス効果と口臭予防を兼ねている。
「ええ、疲れたわ……」
プリムローズは受け取ったカップを傾け、ミントティーを啜る。
「よくお似合いですよ」
嘘を言わないアイヴィーの言葉に、プリムローズはフフ、とはにかんだ。
アイヴィーはワゴンから二段重ねになった箱を取り出すと、プリムローズに向き直った。
「仕上げに、お化粧をしましょう」
「お化粧もするのぉ!?」
やっと一息ついたところなのに、とプリムローズは不平を言ったが、アイヴィーは首を真横に振った。
「すっぴんのまま晩餐会に出席なさる貴婦人はおりません」
ワゴンに乗った二段重ねの箱から、化粧道具一式を用意すると、アイヴィーは柔らかいブラシに白粉を乗せた。化粧という、目を瞑っているときのプリムローズに直に触れる作業は、彼女の専属の侍女であるアイヴィーの仕事なのだ。
「晩餐会とは、淑女の戦いにございます。全てはいかにご自分をアピールし、どれだけの客人の好印象を得るかにかかっています。おめかしは言わば戦場を潜り抜けるための武装なのです。些細なことでも油断すれば命取りになりますよ」
「物騒だこと」
「顔を上げて、目を瞑ってください」
プリムローズは目を瞑り、顔を上げた。アイヴィーは彼女の顎を軽く掴みながら、ブラシで白粉をはたく。次に頬紅を指で伸ばして塗っていく。
ふと、アイヴィーはプリムローズの伏せられた睫毛が長いことに気付いた。弓なりの眉は優しげな雰囲気と愛嬌がある。きゅっと結ばれた花弁のような唇は、紅を引かずとも桃色に色づいていたが、小筆でツヤを乗せた。下唇に小筆の先をつけるとき、ふに、とわずかな弾力があった。
アイヴィーは化粧を施すことに、だんだん胸が騒めいて照れくさいように思った。
(何というか……すごく女性、という感じがする……)
アイヴィーにとって、プリムローズはずっとあどけない少女だった。ところが最近、こうした大人びた表情を見せるようになり、微かに漂う色香に困惑する。
蕾が花開くが如く綺麗に成長していく彼女を、婚約者であるアルカネット皇太子はまだ知らない。それがアイヴィーには、なぜだか恨めしく思った。
「……できました」
「どう? 少しは見映えが良くなったかしら」
パッと目を開いて手鏡を覗くプリムローズに、我に返ったアイヴィーは素っ気なく答えた。
「元からお変わりありませんよ……」
「えっ」




