第三章 地下深くより現れし刺客Ⅰ
「……ビクター、プリムローズ様をお連れして、できるだけ遠くへ逃げろ! エヴァン、フィリポは魔獣の襲撃に備えろ!」
「了解!」
顔色の悪いマシューが、脂汗をかきながら指示を出すと、素早くエヴァンとフィリポは戦闘態勢に入り、ビクターは「こちらへ」と言って、プリムローズをマロンに乗るよう促した。
巨大モグラは斜面の大穴からずるりと抜け出すと、湖に飛び込んだ。バシャァッ! と派手な水飛沫を立てながら水中に潜り、鋭い爪で波間を難なく掻き分けていく。
「モグラって泳げたのね!」
プリムローズは鐙に足を掛けたまま後ろを振り返って、驚きのあまり、目をカッと見開いた。
「プリムローズ様、急ぎましょう!」
ビクターは険しい表情で呼びかけ、剥き身の槍を肩に担ぎ、馬の鞍に跨った。
マシューは二人が湖を離れ、森のほうへ逃げていくのを確認すると、弓に矢を番えたフィリポへ振り向く。
「魔獣が水面から顔を出したら、あの目立つ鼻を撃て」
「了解!」
フィリポは神妙な顔つきで、弓の弦を力いっぱい引く。尖った矢先は数秒後に現れるだろう、魔獣の鼻先を狙っている。
巨大モグラはスイスイと水の中を進み、波を立てながら此岸へ急接近する。騎士たちまであと5メートル……3メートル……と距離を縮めた。そして、湖の水をひっくり返すかのように、ザバァァァァ! と豪雨ほどの水飛沫を立てて、上半身を露わにする。
その瞬間を逃さず、エルフの騎士は矢を放った。
バシュッ!と鈍い音を立て、弓矢は巨大モグラの触手蠢く鼻先に命中する。
「ッしゃあ!」
彼が喜んだのも束の間、モグラはなんと、鼻に刺さった矢を触手で押し出すように、メリメリと引っ張り出した。
「鼻が核ではないのか……!」
エヴァンは剣を構えたまま、苦虫を噛み潰したような表情で呟く。
魔獣には核という弱点があって、そこを攻撃しないと簡単には倒せない。それは去年の戦いで嫌というほど思い知らされた。
「ジギィィィィィィ!」
怒れる巨大モグラは、ネズミのような甲高い雄叫びを上げると、湖畔へ身を乗り出して上陸した。上半身だけで5、6メートル以上の高さがある。その大鎌の如き鋭い爪で、騎士たちを八つ裂きにしようと、右手を振り上げた。
「うおっ!」
「クッ……」
3人は瞬間的に攻撃を回避する。彼らを仕留めそこなった5本の爪は、湖のほとりの地面を抉りとり、ごっそりと削ってしまった。
その光景を見たフィリポは、尖った長い両耳を小刻みに震わせる。
「あんなの喰らったら、一瞬でオダブツだ……!」
彼より前に出ているエヴァンは毅然とした態度を失っていないものの、ごくり、と唾を飲み込んだ。
(崖道の土砂崩れも、崖の落石もこいつの仕業か!)
災害が起きたわけでもないのにハルナ山の地盤が緩んだとなると、巨大モグラが地中を掘っていたからに違いない。プリムローズを危険な目に遭わせ、一行を妨害したのは、この魔獣だった。
「貴様ァ!」
エヴァンは両手でサーベルの柄を強く握りしめ、巨大モグラへ突進した。
「……待て、エヴァン!」
マシューは無謀な部下を止めようとしたが、その声は掠れていて届かない。せり上がる胸の苦しみが、呪縛のように彼を押さえつける。
そのままエヴァンはモグラの胴体をめがけて剣を振り上げる。
「テヤァーッ!」
しかし、巨大モグラは刃を向けられた途端、ズザザザザッと陸から滑り落ち、再び湖の中へと潜り込んだ。
するとまた、騎士たちのいる地面を激しく揺らした。立っていられないほどの揺れに皆、よろめいて膝をつく。
「ヒヒィイイン!」
二度目の地震に興奮した馬へ、フィリポは両手で頭を抱えながら、声をかける。
「落ち着けチャコ! 今お前に逃げられたら、どうしょうもないんだって!」
揺れが収まりかけたところで、やっと3人は立ち上がった。
「……おのれ魔獣め、逃げおったな!」
エヴァンは剣を握りながら、憎々しげに言い捨てる。
「どこに逃げたんだ……?」
ズボンの土埃を払いながら、フィリポが呟く。周囲を見回して、耳を澄ましても、巨大モグラは確認できない。短時間に地中のかなり深くまで掘り進んでいるようだ。
「ぼさっとしている場合じゃねぇ! あいつ、プリムローズ様たちを先回りするつもりだ……!」
追うぞ! と副団長に一喝されると、フィリポは慌てて、了解! と返事して弾かれたように自分の馬に向かう。
「……」
エヴァンは、魔獣の動きを断言するマシューの勘の良さに疑惑を持ちながら、愛馬グレースの手綱をとった。




