第三章 5月14日 バンノ岳
一方、グスタフなど他の騎士たちは、ユリエルらが囮になって、義勇十字団をおびき寄せているうちに、街道から一本外れた道を馬で通過していた。アイヴィーは白百合亭に借りた馬車に乗っている。
金髪のかつらを被っているアイヴィーは、車窓から差し込む朝日に目を背け、座席の端に縮こまるように自身の両肩を抱いて、身震いした。
(……覚悟したつもりだったけど、やはり義勇十字団は恐ろしい集団だわ……!)
彼女は白百合亭から暴徒たちのおぞましき罵倒の文句を聞いてしまい、恐怖を覚えた。今でも彼らの怒鳴り声が耳にこびりついている。
(あんな乱暴な人たちが、プリムローズ様を狙っているなんて……!)
馬車に乗る前、アイヴィーはグスタフから、カルチェラタン組の騎士たちが二手に分かれて、追っ手をまくという作戦を伝えられていた。
影武者である自分の、さらに影武者を立てるという作戦に、若干の奇妙さを感じたが、義勇十字団の構成員を減らすためと聞き、納得したのだった。
(こちらは表向き、花嫁行列ということで騎士が多いから、二手に分かれる作戦がとれるのでしょうね。でも、プリムローズ様の警護は4人しかいない……。険しいハルナなんて、きっと義勇十字団も登ろうとしないだろうけど……)
「……」
アイヴィーは静かに目を閉じて、まじないの刻印された胸にそっと手を当てた。
その頃、プリムローズ一行は馬に乗ると、泊り小屋を後にして、ツギノ岳の峠を越え、今度はハルナ山脈で最も高い標高である、バンノ岳へ向かおうとしていた。
緩やかな坂道を上る途中で、マロンに乗っているプリムローズは、片手で耳を抑えながら顔を顰めた。高所に来たため気圧の変化から、鼓膜の内側と外側で圧力差が生じ、音がこもったように聞こえ、不快感があったのだ。
「耳が、キーンとしてきました」
「耳抜きするといいですよ」
後ろからフィリポが返事をする。
「耳抜き?」
「こうやるんです」
彼女が振り向くと、フィリポは鼻を指で摘まみ、フンッと音を立てて、鼻から思いきり息を吸ってみせた。
「コツは息吸うときに唾を飲み込むんですよ」
「あ、えっと……」
鼻を摘まんだまま息を吸うのが恥ずかしかったプリムローズは、教えてくれたフィリポの厚意を無碍にすることもできず、どう答えていいのか悩んだ。
「それはちょっと難しいんじゃないか?」
先頭を進んでいたマシューが口を挟み、馬の速度を落とすと、プリムローズの隣に並んで、上着のポケットから水玉模様の紙に包まれた飴玉を差し出した。
「よろしければ飴を舐めてみてください。あいつの言う通り、唾液を飲み込むと治ることもありますから」
プリムローズは、内心ほっとして、ありがとうございます、と礼を言いながら飴玉を受け取った。
「副団長殿は、耳抜きのために飴を用意していたのですか?」
そして包み紙を開き、飴玉を口の中に入れた。
マシューはわざとらしいほどの真剣な表情を作って、如何にも、と答えると、ポケットからごっそりと掌いっぱいの飴玉を取り出した。
「飴は万能です。耳抜きは勿論、食事をとる余裕もないくらい厳しい状況下でも糖分を補給できるので、いつも常備しております」
「ただのおやつじゃないですか」
フィリポが、感心しかけていたプリムローズを遮るように、半笑いで言い返すと、マシューも顔を皺くちゃにして、はははっと屈託のない笑顔を向けた。
(……ピクニック気分か!)
副団長の後ろにいたエヴァンは、苛立つあまり叫びだしたい衝動に駆られたが、抑えようとだんまりを決め込む。
最後尾を歩くビクターが、全体へ声をかけた。
「もうすぐマテリア術の効果が切れそうです。この先にある湖で一旦、休憩をとってもよろしいでしょうか」
プリムローズはそろそろ水を汲みたかったので、ちょうどいいなと思った。
緩やかな坂を上った先、深緑の木々の間を抜けると、見渡す限り真っ青な湖が広がっていた。
バンノ岳は有史以前、遥か昔に火山が噴火した名残で、盆地状の凹みができ、湖が湧いたとされる。
全員、湖のほとりで馬から下りた。ビクターは真っ先に湖に近づくと、背負っていた三叉槍の鞘を抜き、たゆたう湖面に穂先を浸からせた。するとそこから、竜の鱗をかたどった螺鈿細工の柄まで、白い光を放ち始めた。水のマテリアを吸収しているのである。
(ここから先は、訓練している騎士にすら厳しい獣道が続く。一昨日のこともあるので、十分にマテリアを溜めておかなければ……)
「この白い光がマテリアなのですね」
革袋に水を入れていたプリムローズは、ビクターの傍に近づき、発光する槍を見つめた。
はい、と彼は頷く。
「槍を媒体にして、水のマテリアを吸収しているのです」
「では、私がお守りの術をかけられたときに全身がパッと光ったのは、マテリアを吸い込んだからですか?」
「その通りです」
「そうだったの、だから昨日から肌の調子がいいのね。水のマテリアで潤っているから……」
「それは……どうでしょう」
頬をさすりながら嬉しそうに微笑むプリムローズに、ビクターはいつもなら違うと断言するところを、困ったように笑って茶を濁した。
少し離れたところから、馬に湖の水を飲ませていたフィリポは、二人の様子、特にプリムローズを見て、へぇ、と感心する。
(短い間に、ずいぶん打ち解けてきたなぁ)
人見知りする彼は、彼女の社交性の高さに驚いた。自分はチームメイトと馴染むのに数か月かかったからだ。
そんな考え事をしているうちに、フィリポは地中深くから謎の音を聞きつけ、両耳をピンと揺らした。
「……伏せて!」
エルフの騎士が大声で言う間もなく突然、ドドドドドド! という重低音が地面を伝って響き渡ったかと思うと、足元が立っていられないほど激しく揺れた。
「地震かッ?」
ビクターはとっさに、隣にいたプリムローズを庇うよう、自らを盾にして覆いかぶさった。周りの木が倒れてくる恐れがある。
部下たちや王女がしゃがみこんで、両腕で頭を庇うなか、マシューだけ腰に下げたマンゴーシュとレイピアを抜刀し、湖の真後ろにある山の斜面を睨んだ。その表情は険しく、眉間に皺を寄せ、犬歯を剝き出しにしている。クウウ……ッ、と手負いの獣のように唸っては、苦しそうに浅く息を繰り返す。
(……副団長……)
彼を見ていたエヴァンも、地面に片膝をついていたが立ち上がり、サーベルを抜刀して構えた。
マシューが睨んでいる先の斜面は、木が一本も生えておらず、何の変哲もないまっさらな禿山だったが、ボコボコと地割れが発生しだした。亀裂の中心部は、直径10メートル以上はあるドーム状に隆起して、ゴロゴロと土砂崩れを起こす。
山肌を崩し、ぽっかりと開いた大穴から現れたのはまず、イソギンチャクのように赤く、うねうねと蠢く触手の群れ――それは化け物の鼻先に過ぎなかった。
ずんぐりむっくりの茶色い身体、両目は退化して、先述した鼻先の触手を、顔を覆い尽くさんばかりに異様に大きく広げている。そして両手には大鎌のように鋭い鉤爪が、5本ずつ伸びていた。
この化け物を一言で表すなら、巨大モグラ、といったところであろうか。
プリムローズは突如現れた巨大モグラに顔を青ざめて驚き、騎士たちは一斉に、去年の晩餐会での戦いを思い出した。
「魔獣……!」




