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「あの、リディアさ、…ええとその、…お嬢様は、いつ頃からお勉強を始めたのですか?」
同じ名前に敬称をつけることに抵抗があったのか、言い淀みながら”リディア”は疑問を口にする。
まあ、自分の顔に向かってだし、言いにくいのは当たり前かと苦笑する。
私も自分に向かって話しかけていることに、違和感しかないのだしね。
──公爵家として、有事でなくとも、各地の情報には常に網を張り巡らせている。特に今はリディアのこともあり、他国や王家も含めた、各貴族家の些細な変化も見逃さないよう注視している。
誰かの意図が絡んでいるのなら、必ず動きがあるはず。同時に、元に戻る方法を模索しているところだ。元凶を首尾よく捕まえたとしても、必ずしも戻す方法を知っているとは限らないということで。
下手に外出もできないので、『リディア』は公爵家で”リディア”に勉強を教えていた。まずは読み書きと、マナーの基礎の基礎から。
話し方、歩き方、所作のひとつひとつを意識して、身体で覚えさせるのが基本。
『リディア』が教わったことを、丁寧に”リディア”に教えている。
「私は3歳のときからですね。姉は2歳からと聞いています」
「…そんな小さいときから…」
感心と驚きの声を”リディア”は上げる。見慣れた顔なのに、表情の作り方が違うせいなのか、目の前の少女が自分と重ならない。
感情の読みやすさを前面に出すとこうなるのかと、新鮮ささえ覚える。随分と印象が変わるものだと。
「そういうあなたは、いつから働いていたか、覚えてますか?」
「えーっと…」
「ああ、もし答えにくいなら大丈夫ですよ」
「いえ、いつからだったかと思い出してまして…」
うーんと唸りながら彷徨う視線に、15歳以下どころの話ではなさそうだと推測する。
記憶を掘り起こすような仕草が、ここ数年の出来事とは思えないから。
「初めて雑巾を持たされたのが、…たぶん、5歳?くらいだったかなあ…」
「……」
「ご飯が欲しかったら、掃除しろって言われたような気がする…」
予想以上だった。
それからだんだん、何かやれ!って言われる回数も人数も増えてきて…と続くのに絶句する。『リディア』に答えるというより、独り言のようなそれ。
ターナー男爵家にまともな人間はいなかったのか。夫妻もだが、使用人もいたのに。
被用者は労働法の最低限は学ぶはずで、学ぶ機会があろうがなかろうが雇用者から伝えられるはずで、違法だと知らなかったとは思えない。
「…それで、今まで無給だったと」
「そうですね、衣食住世話してやってるんだからって」
「……」
『リディア』も経験してきたから、知っている。
世話なんかしてないじゃないか、と。
何年も何年も着てきたような、くたびれた衣服。下着。
食事は朝と夕方の2食。2週間ほどいたが、メニューはずっと同じ。固い黒パンと野菜もろくにないスープ1杯。
寝台は、ぎりぎり身体が収まるくらいの狭さ。というより、部屋自体が狭かった。寛げる空間などなかった。
こんな扱いを、14年も?
あんな劣悪な環境で?
「ふふ…」
「あの、り、いえ、お嬢様?」
「ふふっ…いえ、何でもないの」
「……」
「ごめんなさい、あなたのことを笑ったわけではないのよ」
いっそ笑えてきたのだ。怒りで。
二度と立ち上がれないように、使用人共々完膚なきまでに叩き潰すべきかと思ったが、私の出る幕は果たしてあるだろうか。
財産とも言えない財産は罰金と賠償金でおそらく消え、ライドの言うように爵位返上となるだろう。使用人は紹介状なしで追い出されるので、少なくとも貴族家で今後働くのは余程伝手がないと難しい。
ああでも、子息の方はどうしたものか。
貴族名鑑で、ターナー男爵には正妻との間に、子息が1人いたと記憶している。現在は学園寮に入っているという。
この件に関与しているか、否か。
騎士団の調査では、直接関与は認められなかったと聞く。
”リディア”の聞き取りでも、たぶん会ったことはないという話だった。通常であれば、下働きをさせられていた”リディア”が、子息と会う機会などなかっただろう。
爵位を継いでいない子息に決定権はないので、責任を問うのも罰を受けるのも酷かもしれない。
ただ、幼い頃ならともかく、学園に入る年齢で、国法を学んでいないとは考えられない。
”リディア”の存在を、状況を、知っていたのかどうか。
知っていて放置していたのなら、同罪かなとも思う。とはいえ、爵位返上になるのなら、十分罰になり得る。
継ぐはずだった爵位はなくなり、平民となった後で、将来の展望も見えないまま学園に通うことになるのならば。
逆境を覆せるだけの有能さがあれば、また別の話だが。
学園は、学ぶ意志のあるものは、身分問わず入学することができるので、貴族ではなくなったからといって即退学になるわけではない。
成績優秀者で金銭的に厳しいなどの事情があるものは、救済措置もある。男爵子息がそうであるなら、通い続けることは可能だろう。
だがもし、何も知らなかったのなら。
”リディア”のことも、両親がしたことも何も知らなかったのであれば──。
この程度のことに、父が気付かないはずがないから、きっともう調査結果は出ている。
リディアが何も聞いていないということは、対処まで終わっているのだろう。




