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侯爵家で身なりを整えてからというライドの気遣いを断り、その足でオースティ公爵家にリディアたちは向かった。
公爵家にいる『リディア』は父母と姉に、自分の記憶がないと言っていると聞いたからだ。個人的に着替えたくはあったが──ライドと一緒にいるなら尚更──、着飾った状態で会っても意味がない。
本当に記憶がないのか、それとも。
真意を確かめるため、この姿のままの方が反応が見られるだろうとリディアは判断したのである。
ライドは先触れを出していたらしく、すんなりとリディアも公爵家、慣れ親しんだ屋敷の中に足を踏み入れることができた。
使用人からすれば、家主の令嬢の婚約者が得体のしれない女性と共に訪ねた構図になるが、そこは我が公爵家の教育の賜物、誰1人動揺する気配すら表に出すことはない。
そして、数週間ぶりに家族と対面を果たしたが、やはり戸惑いは隠せないもので。中身がリディアであったとしても、外見が見知らぬ少女であれば当然だ。
家族の困惑も分かるのだが、それよりも今は他に優先すべきことがある。
そう思い、父や母、姉も伴って、ライドと自室へ向かう。
『リディア』は、ほぼ1日中、部屋から出ないらしい。カティナが買い物に誘っても、庭の散策に誘っても、はっきり断ることはなくとも、遠慮がちに気が乗らないような素振りをしていたということだ。
今日もずっと部屋に籠っていると、キャシーが言っていた。
リディアの部屋の前に来ると、家族とライドと目を合わせ、頷く。
ノックをして返事が返ってきた後、私とライドがまず入室する。現れた”リディア”を見て、何気なく視線を投じたであろう『リディア』は驚愕に目を見開いた。
「な、んで、わたしがここに…っ」
思わず漏れてしまったといったその言葉を、聞き逃しはしない。記憶がないというのはやはり噓だったかと、リディアは確信した。
「…今、この子を”わたし”と言ったね? どういう意味かな、リディア」
ライドは隙のない笑顔で問う。決して逃げを許さない強い目で。
はっとなった『リディア』が慌てて取り繕うが、遅い。
「い、いえ、そんなこと、言ってないです…っ」
「確かに聞こえたよ。──そうでしょう?」
「そうだな」
「ええ」
「聞き間違いなどありえません」
ライドが同意を求めたのは、後ろに控えていた私の家族たち。
たった1度の失言。けれどそれで充分。
「君は、ターナー男爵の庶子の”リディア”だね?」
「っ! 違います…!」
「母親は、産褥で亡くなった」
「違います…っ」
「それからずっと、使用人より過酷な労働を強いられていた」
「違うっ」
「ろくに食事も摂れず休みもなく、朝から深夜まで」
「違う違う違う違う違うっ!! そんなの、わたしじゃない!!!」
取り乱しながら、必死に否定する姿はいっそ憐れだ。私の目には憐憫が浮かんでいるだろう。父や母たちも同じような目で見ている。
声を上げれば、否定すれば、事実と反することができるかといえば、答えは否だ。
事実は事実。
それがどんなに自分にとって不都合なことであっても、受け入れがたいことであっても、否定して変わるものではない。
「──男爵は、夫人と一緒に騎士団に捕縛されたよ」
「……え」
「君への仕打ちは、法に触れていたから。ここにいる、『リディア』がそうした」
「…え。法に、触れてる…?」
「他の使用人とは待遇が違っただろう?」
「そう、なの…?」
呆然として呟く声は、ひどく幼い。同じ年、同じ色彩、同じ名前の、もう1人の私。
生まれが違う、それだけで。
2人の環境は天地ほどに違った。
「ターナー男爵家はおそらく爵位返上になるだろう。不法行為による罰金が支払えずに」
「……っ」
「その一部は、君へ支払われる。もうあの家に縛られなくていいんだ」
「……!!」
ライドの言葉に、衝撃を受けたように『リディア』が固まり。
みるみるうちにその目に涙が溜まり、落ちていく。自分の顔で泣いている姿を見るのは、不思議な気分だ。
「……めん、なさ…っ」
しゃくりあげながら、子供のように『リディア』が泣く。
ごめんなさいと、何度も謝りながら。
「わたし…本当は、記憶が、ないわけじゃ、なかった……でも、戻りたくなかった…っ」
──朝起きたら、見たこともないほど豪華でふかふかな寝台にいて。始めはここがどこなのか、何でここにいるのか分からなくて、怖かった。
でも部屋に入ってきたお姉さんが、『お嬢様』って呼んでくれたの。
あんな柔らかい声で、優しい声で、誰かに呼ばれたこと、なかった。名前を呼ばれるのは、怒られるときか、用事を言いつけられるときしか、なかった、から…。
薄暗い時間から、たたき起こされることもない。仕事がうまくできないからって、食事を抜かれることもない。
怒鳴られたり、ぶたれたりすることもない。夜遅くまでふらふらになるまで、働けって言われることもない。へとへとなのに、お腹が空いて眠れないこともない…。
両親がいて、婚約者がいて。みんなに愛されてて。記憶がないって言ったら、心配してくれて。
食べたことない美味しいご飯も、お菓子も、何もかも、夢みたいだった。
同じ名前で、同じ年なのに、何でこんなに違うんだろうって。
だから、言えなかった。
そんな夢から、覚めたくなかったの…。
泣きながら語る”リディア”に同情すべき点は多々あるけれど。
彼女の問題は半分くらいは片付いたようなものだが、問題は。
”リディア”にも、こうなった原因が分からないということだ。
『リディア』に心当たりはもちろんなく、”リディア”が知っている、もしくは彼女が何らかの方法で身体を入れ替えたのではと思っていた。
念のため偽証の可能性も鑑み、密かに魔法を発動させてもいたので、”リディア”の話が嘘ではないことも分かっている。
では、誰が何のために?
公爵家の方→『リディア』
男爵庶子→”リディア”
基本は器で区別しているのですが、中身を差す場合もあります。
文脈でお察しいただければ。




