3 家族サイド
「リディア、体調はどうかしら?」
自室だというのに所在なげにソファに座っていたリディアは、カティナが声をかけるとびくりと肩を震わせた。ノックをし、入室の許可を得て入ってきたにも関わらずだ。
ぎこちない動作でカティナを見る目は知らない人間を見るもので、どこか警戒しているようでもあった。
そんなリディアに溜息をつきそうになるのを堪える。
大切な、大切な妹。
その妹の様子がおかしくなったのは、2週間前だ。
「あの…身体の方は、何とも…」
「そう。でも記憶の方はまだ?」
「すみません…」
申し訳なさそうに謝る妹に、何を言えばいいのか分からなくなる。
侍医にも診てもらったが、何もなかった。外傷もなく、魔法の痕跡もなく。…何の予兆もなかったのだ。
あの日、目覚めたリディアが、ここはどこ?と迷子になったような表情でキャシーに告げるまでは、確かにわたしたちの『リディア』であったはずのに。
「…こちらにいらっしゃい。お茶にしましょう」
「え、」
「あなたの好きなものを揃えたわ。遠慮しなくていいのよ?」
「……」
カティナと共に入室した侍女はティーワゴンを運んでいて、既にセッティングは完了している。
重ねて言い誘導すると、おずおずと着席する妹。
カティナも対面に座り、お茶を含みながらそれとなく観察する。普段であれば、そんな視線の動きは気付かれただろうくらいの程度で。
しかし、リディアはそれに気付くこともなく、目の前のクッキーやタルトなどに釘付けだった。
色とりどりの、宝石のようなフルーツの乗った、スイーツたち。
目を奪われながらも、本当に食べていいのかと逡巡しているような素振りのリディアに、キャシーが声をかける。
どれをお取りしましょうか?と。
それに勇気づけられたのか、リディアが遠慮がちに指さしたのは、キウイがふんだんに使われたケーキで。
「…!」
他にも目を惹く鮮やかな苺やぶどうなど使われたタルトなどもあったのに、どちらかといえば色合い的には控えめな、それ。
手に取りやすい、ジャムやチョコレートのクッキーもあったというのに。
供されたケーキをリディアは恐る恐る口に運んで、目を輝かせた。
「…美味しいです」
「──そう。それは、よかった」
嬉しそうに頬張る姿に、カティナも微笑んだ。疑念をうまく隠しながら。
簡素なお茶会を終え、その足でカティナは父の執務室に向かう。
ノックをして応えを待ってから、入室した。
「どうだ」
「おそらく、あれは『リディア』ではないですね」
「やはりか…」
ふう、と疲れたような溜息を父はついた。
キウイは果物の中で唯一、リディアの苦手なものだ。もちろん、他家で出されたり、公の場では見せないようにしているが。
始め、家族の誰も分からない、家の中で迷子になる、婚約者も分からないで、記憶喪失かと思った。本人がそう言っていたというのもある。
しかし観察しているうちに、記憶はどうあれ、教養やマナーまで抜け落ちるものだろうかと、疑問を持った。
食事、歩き方に姿勢、ひとつひとつの所作。言葉の端々に現れる、教養のなさ。
加えて、食の好み、苦手なものまでそう簡単に変わるものだろうか。味や触感などの、身体の記憶まで完全になくなるものだろうかと。
「魔法の痕跡はなかったと聞いているが」
「はい。わたしも確認してみましたので」
「呪術か、何かしら道具が使われた可能性もあるか」
「現段階では何とも」
険しい表情で2人して考え込んでいると、ノックの音がした。
執事のジェームズだ。
「失礼いたします、旦那様。アルダーノフ侯爵令息がお見えです」
「通せ」
許可を受け執事は下がり、入れ替わりにやってきたのは、ライド=アルダーノフ、リディアの婚約者である。
厳選に厳選を重ねて選んだ候補の中で、リディアを最も理解し、大切にしてくれるだろうと家族が満場一致で賛成した青年だ。もちろん、リディアの意志も反映してだ。カティナは、むしろ自身の婚約者より選定が厳しかったのは余談である。
妹とライドが婚約者として交流を始めて4年、少し前までは、互いに情を深めていく様を見守りながら、数年先の結婚式に思いを馳せていたというのに。
リディアの、ウェディングドレスのデザインも考えなくてはと。
自分の結婚式の方が先だろう? そんなこともあるかもしれないですね。
「突然の訪問、申し訳ありません」
「いや、何かあったのか」
「少し、興味深い話を耳にしまして」
「ほお」
リディアの現状を、ライドも当然だが知っている。まあ、こちらが言わずとも一目で気付いたようだし、そうでなくては大切な妹を任せるに値しない。もしリディアを泣かせたり不幸にするようなことがあれば、どんな手を使っても潰す所存である。閑話休題。
そんな彼が先触れなしに来たのだから、ただの世間話ではないだろう。
「ターナー男爵をご存じですか?」
唐突に出てきた名前に、父は虚を突かれたようだった。しかし意味のない質問ではないだろうと、思考を巡らせたらしい。
「……確か、アルダーノフ侯爵領の隣にある、小さな領地だったか」
「さすがご存じで」
「それで、その男爵がどうした」
「男爵には認知されていませんが、庶子がいたそうです。その庶子というのが、使用人との間に生まれたらしく」
「…よくある話といえばそうだが」
「使用人の待遇であれば問題なかったのでしょうが、奴隷同然に働かされていたようです」
「また愚かなことを」
父は呆れたように断じた。
被用者の、労働条件は厳しく国法で定められている。民あっての国。平民階級であろうとも、労働者を軽視してはならない。奴隷など以ての外。
貴族階級なら常識だが、平民には学ぶ機会がなく、知らない者も多い。よって、雇用者には就業内容、契約、国法の説明責任がある。
それを怠ることも、違法とされるのだ。
「その庶子が逃げ出し、窮状を訴えたようです。私の領まで来て」
「…隣の領地まで行ったということか?」
「男爵などの小さな領地は、何かあれば領主の裁量で決められますから。定期的に監査は入りますが」
修道院という手もあるが、自領で訴えても無駄だと思ったのだろう。下手したら連れ戻される危険性もある。
単に逃げ出しただけなら、珍しいことではない。国法が定められる前は、頻繁にあったことらしいし。
そもそも、自分の待遇が法に触れるものだと気付かなければ、疑問にも思わず、死ぬまで働かされているだろう。
知識がないというのは、そういうことだ。搾取されていても気付かず、自分の道を選べない。
「ずっと使用人の待遇だったのなら、そんなこと思いつきもしないだろうに」
「そうなんですよね」
くすりとライドは笑う。面白いことに、と前置き。
「その庶子の名前が、”リディア”というのですよ」




