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【蛇足追加】他の誰かにはなれない  作者: 篠月珪霞


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2

この身体になってから10日。大分状況は掴めてきた。

始めは右も左も分からず、あの起こしに来た女性に暴言暴力を振るわれていたが、何とかやっていると思う。

女性の名前は知らない。聞こうにも聞けなかった。初日に家の中で迷って以来、何をしていなくても射殺しそうな目で見られているので。それが元々なのか、リディアのせいなのかも分からない。


使ったことのない掃除用具の扱いも、毎日休みなく手に取っていれば慣れるもので。慣れてしまったというべきか。

朝4時から夜の11時まで、ずっと働きどおし。食事はゆっくり味わう間もなく、そもそも量が少ない。固い黒パンにほとんど具のないスープ1杯。


「…疲れた…」


──寝台の上で思わず漏れた言葉。これまで疲労感は覚えても、口に出したことのない言葉。


逃げようと思えば、いつでも逃げられた。屋敷を出るだけなら、いつでも。

そうしなかったのは、自分がどんな状況に置かれているか分からないまま逃げても、根本的解決にはならないことを理解していたからだ。

どういった経緯でリディアがここにいるのか、どうしてリディアが別人の身体に入っているのか。

それを探るのに、まずは情報収集を、手始めにこの屋敷の所有者を知る必要があった。ここがどこなのかすら分からないのでは、動きようがない。


基本、上級使用人以外は主人を名前で呼ぶことはない。一般的に、旦那様、奥様などの呼称だ。

普通に聞く? 他の使用人とは雑談をする機会も時間もなく、下女を取りまとめる女性の名前も聞けないというのに無理な話だ。

家主の名前を知るためには、出入り業者の納品書くらいかと考えた。執務に関わる書類などには触れることはおろか目にすることすらできないだろうし、来客対応をするような立場でないことは分かりきっている。

それとなく観察し、室内の間取り、調度、使用人の数から、ここは下位貴族の屋敷か裕福な商家だろうと推測したリディア。

雑用といっても幅広く仕事を押し付けられていたのは、この場合幸いだったというべきだろうか。

ここがターナー男爵家だということは、割と早い段階で知ることができた。


それはそれとして、驚いたことに、この身体の名前も同じ『リディア』だった。初めて呼ばれたときは、どうして私の名前を知っているのかと疑問に思うも、そういうことかとすぐに理解した。

それから、明るい場所でこの姿を確認してまた驚いた。元の私と長さこそ違えど、髪の色、目の色が同じで。金の髪に、ヘーゼルブラウンの瞳なので、然程珍しい色合いではないにしてもだ。

いやに共通項が多いというか、符合するというか。

年齢はどうだろう。私より下のようだが、おそらく栄養が絶対的に不足しているので、実年齢より低く見えるのではないだろうか。

そして、この屋敷の主人、男爵の庶子だという。

直接リディアが聞いたわけではないが、やけにこの身体に対しての周囲の当たりが強いので、待遇も含めてその辺りも窺ってみたのだ。

知ったときは、道理でと得心がいった。理解はできないけれど。


浮気に寛容な貴族夫人はそういない。

政略結婚で愛がなくとも、下手したら自分の地位を脅かされるかもしれないのだ。子供まで生まれれば尚のこと。

この身体の”リディア”の母は使用人であったらしいし、夫人の不興を買うのを恐れ、この屋敷の者たちが冷たく当たるのも仕方がない気がした。

そんな風に思うのは、この身体が自分ではないと、どこか他人事なのだろうと。現状は決して他人事ではないのだが。


「……」


こうなってしまった原因が、未だに分からない。この身体になった翌朝、元に戻っているかと思えば、そんなこともなく。

何の前触れもなく、他人の身体に入ってしまったのだから、元に戻るときもそうだと思ったのだけれど。


…もしかしたら、14年間、公爵令嬢として育ってきた日々は、単なる私の創作なのかもしれない。

辛い現実から目を背けたくて、せめて想像の中くらいは幸せであるように。

両親がいて、姉がいて。彼らを愛し、愛され、婚約者からも愛されて、満たされた日々を。

空腹を覚えることもなく、誰かに怒鳴られることもなく。

”リディア”を産んで亡くなった母も、妻である夫人を面倒がり娘を放置している実の父も、そんな雇い主に忖度して冷たく当たる他の使用人たちもいない、そんな夢を。

そんな考えが過ったこともある。

けれど。


確かに触れ合った記憶がある。父と母、姉、リディアの周りにいた人たちと過ごした日々は、決して創作や幻想などではない。

家族に愛された記憶。『リディア』が『リディア』として生まれ、育ち、培った知識と経験。これが、偽りであるはずがない。そして、力も。


この国の貴族は、力の大小はあれど、魔法が使える。

リディアは、希少な光属性の魔法が使えた。希少とはいえ、他の属性は使えないので、聖女認定はされなかったが。

ちなみに、聖女は光属性を中心に複数の属性が使え、生涯を神殿で過ごすことになっている。権力者や悪しきものに利用されないよう、すべてに対して公平であるように。


今のリディアも同じく光属性の魔法が使えるが、この身体の持ち主はどうだったのだろう。


「────」


眠るまでの僅かな時間しか考える余裕はないのに、酷使された身体は容赦なく睡眠へと誘っている。

毎日毎日、屋敷中を駆けずり回り、休む時間は少しもない。食事はどう見ても足りていないのに、それでも動けるのは、慣れてしまっているからなのだろうか。

この明らかに栄養が不足した細い身体で、体力をぎりぎりまで使って。


…とにかく、このまま現状に甘んじていてはいけない。

男爵の庶子でも相応の扱いをされているわけではなく、使用人のように当然あるはずの休憩も休日もなく、食事も満足にとらせてもらえず、対価である給与もないようであるし。

控えめに言っても虐待である。都合のいい奴隷とでも言い換えられる。


普通に法に背いてるのよね、と思いながら、抗えない睡魔に意識はなくなった。








蛇足ながら、光属性は聖女以外は単属性しか使えません。

他の属性なら、複数所持はいます。

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