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Ep 9:額縁を飛び出した二人(あるいはCEOの初仕事)

すみません、8話9話順序逆になってしまいました。

1.卒業試験:バルマ領の敵対的買収(M&A)実務


バルマ公爵家が王国から完全に退場処分となり、鉱山へと売却されてから数週間。

王宮の東宮殿にある学習室では、皇太子リュカが、山積みになった書類を前に凄まじい集中力でペンを走らせていた。


かつて国家の財務を牛耳っていた名門の崩壊。その後に残されたのは、広大な領地経営の利権、数々の地場ギルドの再編、そして不透明な隠し資産の分配という、国家の命運を左右する巨大な戦後処理だった。

俺――アルが、この未曾有の超難関タスクをリュカへの「卒業試験」として丸投げしたからである。


「……先生! バルマ領における財務諸表の精査、および各ギルドの統廃合プランの第一期報告書がまとまりました!」


リュカが、寝不足で少し隈を浮かべた碧眼を輝かせ、勢いよく立ち上がって分厚いレポートを俺に差し出した。

かつて感情論とプライドだけで吠えていたお飾り皇太子の姿は、そこには微塵もなかった。


俺はアメジストの瞳を細め、手袋をはめた指先でレポートをめくった。


「……ほう。旧バルマ派の幹部たちをただ粛清するのではなく、その実務能力を査定アセスメントして中堅ポストに再配置リロケーションしたのですね。さらに、領民の不満を和らげるため、一時的な減税措置と、隣国へと繋がる新たなサプライチェーン(流通網)の整備を同時に提案している」


俺はレポートを閉じ、リュカをまっすぐに見つめた。


「完璧です、殿下。感情的な報復に流されず、ファクト(数字)とリソースの最適化に基づいて、領地という『買収した子会社』の最大価値を導き出した。実に見事なポートフォリオ再構築ターンアラウンドです」


「せ、先生……! では……!」


「ええ。合格です」

俺はふっと、これまでにないほどに優しく、そして誇らしげに微笑んだ。

「今の貴方なら、この王国の次期CEO(国王)を、完全に任せられます。私の役員育成計画は、大成功で終了です」


「っ……!!」

リュカの碧眼に、じわりと熱い涙が浮かんだ。

厳しいだけの、冷酷なまでに完璧な先生。けれど、誰よりも自分を信じ、暗闇から引きずり出して「王としての牙」を授けてくれた絶対的な存在。

リュカは胸を熱くし、震える声で深く頭を下げた。


「ありがとうございます、先生……! 先生がいてくださったから、私はお飾りではなく、本物のリーダーとしての道を歩むことができました。この恩義、一生をかけても、私は返しきれません!」


(ふふ、そこまで巨大なロイヤルティ(忠誠心)を抱いてくれるとはね。これで次代の最高権力者も私の掌の上だ。投資対効果としては、これ以上ない最高のリターンだよ)


冷徹な計算を脳内で行いながらも、俺は大型犬のように自分を慕う教え子の頭を、そっと優しく撫でてやるのだった。


2.大夜会の婚約発表と、かつての令嬢の「選択」


数日後、王宮の最も豪奢な大舞踏会にて、世紀の婚約発表が執り行われた。

きらびやかなシャンデリアが輝き、国中の大貴族たちが埋め尽くす大夜会。

その中心の壇上に、白銀のフォーマルな正装を纏ったリュカが、一人の美しい令嬢の手を強く握りしめて立っていた。


かつて公務で忙しいリュカへの寂しさと、完璧な俺への憧れから、夜の画廊で俺にすがりついて泣いた、あの許婚の令嬢だった。


「――本日ここに、私、リュカ・クリスティアは、アシェル公爵令嬢との正式な婚約を、全貴族の前に発表する!」


堂々たる、冷徹で力強い王の宣告。

割れんばかりの拍手と歓声が講堂を満たす。

その壇上で、令嬢はかつてのような弱々しい額縁の中の少女ではなく、次期王妃としての風格を纏い、誇らしげにリュカの隣で微笑んでいた。


ダンスの合間。

会場の隅、グラスを傾けていた俺の元へ、一人の美しい淑女が近づいてきた。

リュカと離れ、完璧な淑女の礼をとる令嬢――アシェル公嬢だった。


「先生。お久しぶりでございます」


「お久しぶりです、お嬢様。本日はこれ以上ない輝かしい門出ですね。心よりお祝い申し上げます」


俺はグラスを傾け、優雅に一礼した。

彼女はアメジストの瞳を持つ俺の美貌をまっすぐに見つめ、ふっと、迷いの消えた美しい微笑を浮かべた。


「先生。私、もう……額縁の中の古い絵(あなたという幻想)を見るのはやめましたわ」


「おや」


「あの日、先生は私に『額縁から目を離し、隣をご覧なさい』とおっしゃってくださった。……今、私の手を強く引き、荒波を共に歩もうと背伸びをしてくれているリュカ殿下こそが、私のすべてだと気づいたのです。私は生涯をかけて、彼を支え、共にこの国を経営していくと決めました」


その凛とした言葉。

かつて手に入らない俺にすがりついていた少女は、自らの意思で「手をつないだ相手リュカ」を選び、歩み始めたのだ。


「賢明なご判断です、お嬢様」

俺はそっと、彼女のグラスに自分のグラスを軽く触れ合わせ、澄んだ音を響かせた。

「その最適な選択こそが、この王国の未来を最大化するのですから。……末永く、お幸せに」


「はい。ありがとうございます、先生」


彼女はもう一度深く礼をし、待っていたリュカの元へと、迷いのない足取りで戻っていった。

リュカは彼女の手を再び強く握りしめ、二人は幸せそうに微笑み合う。


(手に入らない美しい絵画(私)より、共に歩む生きたパートナー(リュカ)を選ぶ。うん、実に見事なポートフォリオの最適化だ)


その美しい光景を横目で眺めていると、背後から、コツ、コツと重厚な足音が近づいてきた。


3.共犯者たちの乾杯と、牙の研ぎ澄まし


「見事なプロデュースだったな、アル」


現れたのは、手にグラスを持った宰相閣下だった。

彼は、壇上の光り輝く二人を見つめ、それから俺の隣に並んで静かに喉を鳴らした。


「これで皇太子殿下も完全に身を固められた。バルマの膿も消え、陛下も、王宮の離れで穏やかにマリア殿と過ごせて満足されている。……お前がこの数ヶ月で成し遂げた宮廷再生コンサルティングは、もはや奇跡に近い」


「お褒めにあずかり光栄です、閣下。私は提示された予算とセキュリティの範囲内で、最高の結果アウトプットを出しただけですよ」


「ふん、相変わらず可愛げのない口を叩く。……だが」

宰相は、グラスを一口含み、鋭い目で俺を横目で見つめた。

その瞳には、からかいと、それからすべてを隠蔽し見守ってきた後ろ盾としての「重い問い」が含まれていた。


「これで、第一フェーズは完了した。……次は、お前自身の番だな、アル?」


「私の番、ですか?」


「お前が陛下の『実の息子』であるという秘密。私は知っているし、陛下も最近、お前に自分の若い頃の生き写し(血筋)を感じて、無意識に執着を強めている。……お前がその気になれば、この国の『第二王位継承者』としてのポジションを、私がいくらでも用意してやるぞ」


宰相の、共犯者としての甘い囁き。

だが、俺はふっと不敵に笑い、グラスに残ったワインを艶やかに飲み干した。


「閣下。私は『影の支配者(外部顧問)』ですから。特定の檻(王位や義務)に入れられた瞬間に、猛禽としての鋭い嘴も爪も失うのですよ。誰の所有物にもならず、中立的な立場であらゆる貴族の秘密バランスシートを握っているからこそ、私という資産の価値は最大化されるのです」


アメジストの瞳をギラリと光らせ、俺は宰相を見据えた。

「それに、王位などという不自由な負債を抱えなくとも――気づけばこの国は、現CEO(国王)も次期CEO(皇太子)も、私なしでは動かない『アル・マリオ』の支配下にある。わざわざ看板を掛け替える必要がどこにありますか?」


「……クッ、はははは!」

宰相は、その圧倒的な野心と冷徹さに、呆れたように、しかし愉快そうに大笑いした。


「本当に、恐ろしい猛禽を宮廷に招き入れてしまったものだ。……よかろう、お前がそのポジションにいる限り、私もお前という最高の『外部顧問』に、喜んで国の命運をアウトソーシングし続けよう」


二人のグラスが、夜会の片隅で、密かに、そして冷たく響き合った。

すべてのタスクは完了し、王国の未来は完全にこの俺の掌の上に収まった。


だが――完璧な影の支配者となった俺には、この後、実家に待つ「世界で最も愛らしく、世界で一番恐ろしい天然の嘴」による、最大のシステムエラー(パニック)が待ち受けていることを、この時の俺はまだ知る由もなかったのである。

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