Ep 7:システムダウン(あるいは孫という名の想定外バグ)
1.嵐の後の静けさと、突如投下された戦略爆弾
「――ふぅ。昨夜は、あまりにも無駄な非生産的リソースを消費しすぎたな」
嵐のような「アポなし突撃修羅場」と、それに続く「徹夜のロジカル家族会議(お説教)」から一夜明けた、離れのダイニング。
俺――アルは、マリアが淹れてくれた温かいカモミールティーを口に含み、ようやく深く息を吐き出した。
昨夜は本当に地獄だった。
国家の最高意思決定層であるはずの国王と皇太子をリビングに正座させ、深夜まで彼らのコンプライアンス意識と財務隠蔽、さらには嫉妬感情のデバッグ(修正)を徹底的に行い、朝方にようやく解放したのだ。
現CEO(国王)と次期CEO(皇太子)は、借りてきた猫のように小さくなり、青い顔をしてそれぞれの宮殿へ這うように帰っていった。
「アル、お疲れ様。はい、焼き立てのハニートーストよ。ハチミツをたっぷりかけておいたから、疲れた頭に効くわよ」
マリアがおっとりとした笑顔で、甘い香りを漂わせるトーストの皿を置いてくれる。
その姿には、昨夜の国家転覆レベルの冷気の余韻など微塵も残っていない。
「……うん、美味しいよ、母さん。やっぱり母さんの甘い料理だけが、私のロジカル脳の唯一の再起動コードだ」
サクッとしたパンの食感と、濃厚なハチミツの甘さが脳に染み渡る。
マリアが俺の白銀の髪に優しく触れ、嬉しそうに目を細めた。
「昨夜は陛下も殿下も、アルとお話しできてとっても嬉しそうだったわねえ。三人で熱心に国の未来について話し合っている姿を見て、私、本当に感動しちゃった」
(……嬉しそうに見えたのなら、母さんの天然フィルターは国家機密レベルの防衛力だな。あの二人は、完全に魂を削られていたんだが)
内心で全力のツッコミを入れながらも、俺は穏やかな朝の時間を満喫していた。
だが、その平穏は、マリアの「純度百パーセントのピュアな一言」によって、一瞬にして消し飛ぶことになる。
「ねえ、アル。私ね、昨夜のリュカ殿下の愛らしいお姿を見ていて、ふと思っちゃったの」
「ん? 殿下の何だい、母さん」
ハニートーストを優雅にフォークで切り分けながら、俺は尋ねた。
「アルはこんなに綺麗で、お仕事も完璧でしょう? だからね……アルに似た可愛い子供が生まれたら、きっと、天使のように愛らしいんでしょうねえ。私、いつでも子育てをお手伝いする準備はできているわよ?」
「――――――――っぶ!!!!????」
トーストを飲み込もうとした瞬間、俺の喉が完全にロックされた。
ゲホッ、ゲホッと激しくむせ返り、手に持っていたフォークを危うく皿の上に落としそうになる。
一瞬にして、俺の脳内モニターに「システム重大エラー:想定外の超過バグが検出されました」という真っ赤な警告ログが秒速で一万件ほど流れた。
「あらあら、アル!? 大丈夫? 落ち着いて、お茶を飲みなさいね」
慌てて背中をさすってくれるマリア。
だが、俺の意識はすでに、物理的な現実世界から完全に乖離していた。
(こ、子、子供……!? 孫……!?)
これまで完璧なライフプランと、国家規模の財務ロードマップを描いてきた俺のロジカル脳が、凄まじい勢いで熱を持ち始め、耳の裏側から蒸気が吹き出るのではないかと思うほどに真っ赤に染まっていく。
(待て、落ち着け。現在の私の資産ポートフォリオにおいて『配偶者の獲得』および『次世代への遺伝子投資(子作り)』のタスクは、スケジュール(工数)に一切組み込まれていない。そもそも、社交界における女性リソースはすべて『情報収集』として最適化されており、特定の個体と婚姻契約を結ぶことは、既存のバランスシートを崩壊させるリスクが高すぎる。しかし、マリアの提示した期待値(孫の顔を見る)をクリアするには、まず恋愛という不確定要素をクリアしなければならず、私には本気の恋愛経験など前世今世合わせてゼロ、つまり、チェリーボーイの私にとってそれはあまりにもハードルが高すぎるバグで、あわわわわ、あわ、あわわわわ……!!!)
「か、母さん……!!」
俺は皿の上のトーストを凝視したまま、壊れた玩具のようにぎこちない動作でマリアを見た。
「それ、それは……! 論理的に言って、非常に、非常に政治的リスクの高い案件だよ! そもそも私の血筋(国王の私生児)はセンシティブだし、現段階でのファミリープランの策定は王宮のパワーバランスに不要なノイズを――」
「まあ、アルったら。またそんな早口で難しい言葉をたくさん並べて……ふふ、お耳まで林檎みたいに真っ赤よ? 可愛い男の子かしら、それともアルに似た白銀の髪の女の子かしら。おばあちゃん、今からとっても楽しみだわあ」
マリアは、焦りまくる俺の様子を「可愛いおこちゃまの戯れ」としか認識しておらず、おっとりと微笑みながら俺の赤い耳朶を優しくつねった。
「だ、だからプロセスの段階(恋愛から結婚)をすべてスキップしないでってば……! まだ、コミットすべきパートナーの選定(ベンダー選定)すら始まっていないし、私、私は……! う、頭が痛い……」
限界までオーバーヒートした俺は、ついにソファのクッションに顔をぎゅっと埋め、足をバタバタとさせて悶絶した。
社交界の猛禽、王宮の掃除屋、伝説のコンサルタント。
その華麗なる異名を持つ男が、ただ一言の「孫が見たい」というピュアな爆弾で、完全にシステムダウン(敗北)を喫した瞬間だった。
2.翌日の公務、動揺を引きずる猛禽
翌日の午後。
王宮の東宮殿にある、リュカ皇太子の学習室。
昨日から引きずっている「子供発言」による精神的ダメージのせいで、俺のロジカル脳の稼働率は、いつもの半分の五十パーセント以下に低下していた。
「……先生?」
リュカが、机の向こうから、心配そうに碧眼をうるませて俺の顔を覗き込んできた。
その手に持たされているのは、昨夜の「家族会議」を踏まえて修正された、完璧な国家インフラ整備のレポートだ。
「先生、本日の講義のフィードバックをいただきたいのですが……。先ほどから、先生、資料の同じページをずっと見つめたまま、微動だにされておりません……。それに、どことなく……お顔が、その、赤いような……?」
「ッ……! い、いや、何でもない。ただの考え事だ、殿下」
俺はハッと我に返り、手に持っていた羽ペンを握り直した。
だが、視線をレポートに落とした瞬間、脳裏に再びマリアの『おばあちゃん、今からとっても楽しみだわあ』という言葉がフラッシュバックする。
(……ダメだ。ピスタチオ色のマカロンや、フランボワーズのジャムを見るだけで、子供用のおもちゃを連想してしまう。この強烈なバグ、早急にデバッグしなければ仕事にならない)
「……ふぅ」
俺は思わず、眉間を押さえて小さくため息を漏らし、アメジストの瞳を泳がせた。
普段の、獲物を冷酷に値踏みするような鋭さはどこへやら、今の俺はあからさまに「上の空」で、不意に思い出したように耳の先端をピクピクと赤く染めていた。
そんな俺の、あまりにも「らしくない」動揺した姿を、目の前の大型犬が見逃すはずがなかった。
(……せ、先生が、あからさまに動揺されている……!)
リュカの脳内で、とてつもない規模のインフレーション(勘違い)が静かに発生し始めていた。
3.皇太子の「クソデカ自意識」と、完璧なる勘違い
リュカの碧眼が、驚愕と、それから底知れない期待に震え始めた。
(どうして先生は、あんなに耳まで赤くして、上の空なんだ? 普段の、冷酷で完璧な先生なら、私の提出したレポートの一文字のミスも見逃さずに『ロジハラ』してくるはずなのに……)
リュカは、昨夜の「家族会議」の最期の瞬間を思い出した。
アルは、リュカに対して冷徹な笑顔でこう言ったのだ。
『陛下がマリアと過ごすプライベート時間に対して、貴方が抱いている不適切な嫉妬感情のデバッグ(修正)をしましょうか』
(あの時、私は先生を父上に独占されるのが嫌だと、自分の『執着』を告白してしまった。……まさか、先生は昨夜、私のあの告白(クソデカ感情)を……)
リュカの心臓が、ドクン、と大きく跳ね上がった。
(意識しているんだ……! 先生は、私の言葉を、私の感情を、昨夜からずっと、引きずっているんだ! 先生を独占したいという私の『バグ』をデバッグすると言いながら……先生自身が、私のせいで、システムエラー(パニック)を起こしている……!?)
「(あ、あわわわわ……!)」
勘違いに勘違いを重ねた結果、リュカの顔もまた、林檎のように真っ赤に染まっていった。
先生が自分のせいで寝不足になり、自分のせいで仕事が手につかず、耳を赤くして放心している。
これ以上の、教え子としての、そして一人の男(?)としての勝利があるだろうか。
「せ、先生……!」
リュカは思わず、身を乗り出してアルの細い手を両手でぎゅっと握りしめた。
「なっ……殿下!? いきなりの不適切な物理的接触は、規約違反です!」
不意に手を握られ、知恵熱の出そうだった俺はビクッと身体を震わせた。
だが、リュカの碧眼は、かつてないほどに熱く、潤んだ瞳で俺をまっすぐに見つめていた。
「先生、無理をしないでください……! 昨夜、私が……先生に対する想いを、あのように直接的に伝えてしまったせいで……先生のロジカル脳に、それほどの負荷をかけてしまったのですね……!」
「……は?」
何を言っているんだ、この大型犬は。
「先生が、私の言葉をそれほどまでに重く受け止め、一晩中考え抜いてくださったのだと思うと……私、胸が張り裂けそうです! 先生のその赤いお耳、そして、放心された美しい瞳……。すべて、私という『バグ』が原因なのですね……! 愛おしいです、先生……!」
「ち、違う、殿下! それは完全なる因果関係の誤認(勘違い)であり、私の現在の脳内リソースの摩耗原因は、貴方ではなく我が家の最大顧客(母)の――」
「言わなくてもわかっています、先生! 先生は照れていらっしゃるのですね! 大丈夫です、私、先生のその不器用な『恋愛免疫の低さ(チェリーボーイ)』も含めて、一生かけて、先生の期待に応える最高の王になってみせますから……!」
「だ、だから前提条件が完全に狂っていると言って――あわ、あわわわ……!!」
リュカの「クソデカ自意識」による熱烈なアプローチに、恋愛経験値ゼロの俺は再びロジックがバグり、書類を顔の前に掲げて真っ赤な顔を隠すことしかできなかった。
4.胃を痛める宰相と、終わらないパニック
学習室の隅。
書類の配達を口実に、そっと部屋の様子を覗きに来ていた宰相は、扉の隙間から見える光景に、その場に崩れ落ちそうになっていた。
そこでは、国王の不義の私生児であり「社交界の猛禽」であるアルが、顔を真っ赤にして資料で顔を隠し、
その前に膝をついた皇太子リュカが、アルの手を熱烈に握りしめて、今にも愛を誓いそうなほどに熱い目を向けている。
(……な、何だ、あの甘酸っぱすぎる空間は……!)
宰相は、手袋をした手で、リアルに激痛を訴え始めた自分の胃のあたりをぎゅっと押さえた。
(陛下は離れのマリア殿に執着し、皇太子殿下は、その息子であるアル殿に、主従関係を超えた怪しい執着(クソデカ感情)を抱いている……。この親子は、マリオ親子に完全に、精神的にも物理的にも国家を丸ごと乗っ取られている(買収されている)ではないか……! 胃が、胃が、穴が空く……!!)
「(あ、アル殿……お願いだから、これ以上、皇太子殿下のハートをハッキング(魅了)しないでくれ……! 国が、色んな意味で、終わってしまう……!)」
哀れな宰相が、薄暗い廊下でハンカチを噛み締めながら咽び泣いていることなど、学習室の中の二人には聞こえなかった。
「先生、本日の講義が終わったら、また先生の離れにお邪魔しても良いですか? マリア様のクッキーも食べたいですし、何より……先生のその赤いお耳を、もっと近くで見つめていたいです」
「却下です、殿下……! 本日の講義は、これにて強制終了とさせていただきます……!」
耳を真っ赤にしたまま、冷たい声で宣言するアル。
だが、その突き放すような「冷徹な正論」すら、今のリュカにとっては「照れ隠しの最高の甘やかし」にしか聞こえないのだった。
王宮の片隅、世界で一番甘くて、世界で一番勘違いに満ちた『猛禽の講義』の午後は、こうして賑やかに、そしてアルのライフプランを盛大にバグらせながら、更けていくのだった――。
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