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Ep 5:福利厚生(あるいは新オフィスの開設)

1.驚異的な実績(投資対効果)の証明


「……信じられん。これが、あのリュカが書いた報告書だというのか?」


王宮の執務室。

豪奢な机に広げられた数枚 of 羊皮紙を見つめ、国王クリスは驚愕のあまり碧眼を見開いていた。

その傍らに立つ宰相もまた、細められた目から大粒の冷や汗を流しながら、何度も何度も書類を読み直している。


おべっか使いの重臣たちに甘やかされ、現実の数字から目を背けていたお飾り皇太子。それが、アルという家庭教師がついてからわずか数週間で、次代を担うべき「冷徹な指導者(CEO)」としての片鱗を見せ始めている。


「期待値を大幅に上回るリターンを提示するのは、コンサルタントとして当然の義務ですので」


部屋の隅、影に溶け込むように佇んでいた俺――アルは、優雅に一礼しながら、心の中で不敵に笑った。

その不世出の実績に対する「福利厚生(褒賞)」として、俺は王宮の敷地内、薔薇の庭園に囲まれた「離れの館」を現物支給された。

マリアにこれ以上ない安全な環境を提供できるのだ。こうして、俺たちの離れでの新生活が始まった。


2.離れの楽園と、マリアの笑顔


「まあ……! なんて素敵なお家かしら、アル」


新居のリビング。

窓から差し込む柔らかな陽光を浴びながら、マリアが子供のように目を輝かせてはしゃいでいた。


「下町のお家も大好きだったけれど、ここはお庭がとっても広くて、可愛いお花がたくさん咲いているのね。これなら、ハーブやお野菜を育てるための新しい菜園も作れそうだわ」


「気に入ってくれて良かったよ、母さん。ここの庭園を囲む防壁には、王宮直系の古代魔法による一級品の防衛結界が張られているんだ。下町の百倍は安全だよ」


俺は、社交界での高級な夜会服から、お気に入りの着古した綿の部屋着へと着替えながら、ふっと表情を和らげた。

マリアが淹れてくれた温かいカモミールティーを口にし、その圧倒的な癒やしに浸る。


だが、この「王宮のすぐ隣」という立地は、想定外のセキュリティホール(脆弱性)を孕んでいた。


3.公式な相談(あるいは甘い示談のティータイム)


引っ越してから数日後の、陽光が穏やかに差し込む小さなリビング。

カチャ、と上品な音を立ててドアが開かれ、入ってきたのは、やはりというべきか、この国の最高権力者である国王クリスだった。


「……ふむ。アルの提出した『南方の関税改革案』だが、実に見事な数字だ。これで次の冬の財政は盤石だろう。……なぁ、そう思わんか、マリア?」


国王は、小脇に抱えた財務書類を片手に持ちながらも、その視線は書類ではなく、テーブルの向こうで紅茶を淹れているマリアへと120%向けられていた。


「あら、陛下。私は難しい国のことは分かりませんわ。でも、あの子が陛下のお役に立てているなら、母親としてこれ以上の幸せはございません」


マリアは昔と変わらない、おっとりとした優しい微笑みを浮かべ、国王の好みのハーブティーをそっと差し出した。


「(嬉しそうに目元を緩め、お茶を口にする)うむ、美味い……。マリアの淹れる茶は、王宮のどの給仕係のものよりも心が落ち着く。王宮の政務は、魑魅魍魎ばかりで肩が凝ってな……」


国王は、王としての重圧から完全に解放され、一人の恋する男としてソファで深くリラックスしている。


俺は二人の対面に同席しながら、前世のコンサル脳で必死にポーカーフェイスを維持していた。

(……おいおい、現CEO。私のオフィス(自宅)に監査(相談)に来たフリをして、元・不倫相手とのティータイムを120%満喫しているじゃないか。完全に目的と手段が逆転(主客転倒)している。この滞在時間、コンサルの時間単価タイムチャージで請求したいところだが……)


しかし、国王の前で本当に嬉しそうに、少女のように微笑むマリアの顔を見て、俺はふっとため息をついた。


「陛下。公務のお話がひと段落ついたのでしたら、私は次の『皇太子の講義カリキュラム』の修正アップデートのため、書斎へ失礼してもよろしいでしょうか?」


空気を読んで、あえて二人だけの時間を作るために、俺は席を立とうとした。


「おお、うむ! すまんなアル、私のわがままで引き止めてしまって。……国の未来を担う教育だ、しっかり頼むぞ」

(早く行ってくれと言わんばかりの、実に現金な顔だ、このおじ様は)


俺が苦笑して歩き出そうとすると、マリアが席を立ち、俺の服の裾を、ちょっと悪戯っぽく引っぱった。


「アル、書斎は少し冷えるから、上着を持っていきなさいね? それと……陛下、アルが席を外しましたら、昔のように『クリス』とお呼びしても?」


「っ……! あ、あぁ。二人きりの時は、そう呼んでくれると……嬉しい」


社交界のドンである国王が、一瞬にして昔の恋する青年の顔に戻り、耳を赤くしてお茶を濁した。

俺はバタンとドアを閉めながら、廊下で頭を抱えた。


(……やれやれ。うちの母親の『天然の誘惑スキル』は、私の社交界のテクニックなんて足元にも及ばないな。まあ、国王のメンタルケア(福利厚生)代だと思えば、この家の家賃としては安すぎるくらいか)


4.夜の画廊、あるいは額縁のリダイレクト


新生活が軌道に乗る中、王宮での公式な大夜会が開催された。

その夜、俺は人目を忍んで、王宮の巨大な絵画が展示されている薄暗い「夜の画廊ギャラリー」へと足を運んでいた。

静まり返る画廊。そこで、美術品を見つめていた皇太子の許婚(令嬢)が、俺の気配に気づいて振り返った。

その瞳には、寂しさと、完璧な俺に対する狂おしいほどの憧憬が浮かんでいた。


「……先生。私は、皇太子殿下の隣にいる自分がどうしても信じられないのです。私の心を本当に理解してくださるのは、あなただけなのに……」


令嬢はすがるように、俺の夜会服の袖、あるいは手に触れようと指先を伸ばした。

だが、その指先が触れる直前、俺は滑らかな、しかし冷徹な動作で一歩引き、完璧な一礼をした。その視線は優しくも、越えられない一線を画している。


「お戯れが過ぎます、お嬢様。……皇太子殿下は、あなたのために、血の滲むような努力で帝王学を修められています。私のような日陰者に割く時間など、今の殿下には一秒たりとも無いはずです」


「ですが、殿下はいつも公務ばかりで、私を見てはくれません! あなたのように、私の変化に気づいてはくださらないわ……!」


悲痛な、しかし視野の狭まった彼女の訴え。

俺は、展示されている巨大な王国の歴史画を見上げた。そして、静かに、しかし心に深く突き刺さるトーンで告げた。

(ターゲットの現状認識の誤り、およびリソースの誤配分を修正する――)


「お嬢様。目の前の絵画に目を奪われて、手をついだ相手を見ないのは、ここまでにいたしましょう」


「え……?」


「あなたが眺めているその美しい絵(私)は、ただの古いキャンバスに過ぎません。ですが、今あなたを必死に追いかけ、その手を握ろうと背伸びをしている若き光(殿下)こそが、あなたの未来そのものです。……どうか、額縁から目を離し、隣をご覧になってください」


令嬢は息を呑み、涙に濡れた瞳を大きく見開いた。

自分の孤独を埋めるための「美しい幻想アル」ではなく、現実に自分を愛そうと不器用に努力している「生きた相手リュカ」の存在に、彼女は初めて真摯に向き合ったのだ。


「……私、隣を、見てみますわ、先生」


「ええ。貴女なら、素晴らしい王妃になれますよ」


俺はもう一度深く一礼し、影に溶け込むように画廊を去った。


5.横目で交わされる「合格点」と、別の逢瀬ビジネス


令嬢が去り、再び静まり返った夜の画廊。

冷たい大理石の柱の影から、音もなく現れた人影があった。


「……先生」


震える拳をぎゅっと握りしめて歩み出てきたのは、他でもない皇太子リュカだった。

彼は、自分の婚約者がアルにすがろうとし、それをアルが完璧な論理と残酷なまでの優しさで、自分――皇太子の元へとリダイレクト(誘導)した一部始終を、影で息を潜めて見つめていたのだ。


リュカの碧眼は、畏怖と、それから一生かかっても返せないほどの巨大な「恩義(感謝)」に激しく揺れていた。


(……先生は。私のために、あの方をあえて突き放してくれたのだ。私のプライドを傷つけず、あの方の瞳を、現実に私に向けさせるために……。私は、先生が彼女を奪うのではないかと疑うほど、なんて器の小さい、愚かな男だったのだ)


先生の完璧すぎる知性と配慮に、魂が震える。

リュカは、アルの前に立ち尽くし、その圧倒的な存在感に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。


俺は、リュカが最初からそこに隠れていたことに気付いていた。

彼の前をすれ違いざま、一瞬だけ視線を交わし、完璧な能面ポーカーフェイスの口元を微かに上げて、満足げに頷いてみせた。


(よし。次期CEOのロイヤルティ(忠誠心)獲得、完了。これで将来の買収計画への抵抗勢力は完全に消失した。タスク完了だ)


俺は心の中で冷徹にログを刻み、立ち尽くすリュカを画廊に残したまま、流れるようにテラスへと向かった。


テラスに一歩踏み出した瞬間。

先ほど令嬢と皇太子に向けていた、聖者のような、どこか静謐で清らかな表情は、俺の顔から完全に霧散していた。

アメジストの瞳に濡れたような妖艶な色彩を宿し、不敵で、悪魔のように美しい微笑を唇に浮かべる。


「お待たせいたしました、我が薔薇マダム


テラスのバルコニーで待っていたのは、別の公爵夫人――政敵の防衛予算の横領拠点を裏で牛耳る、財務の最重要キーマンだった。

俺は彼女の腰を引き寄せ、耳元で甘く囁いた。


「さあ、貴女のご主人が隠している『秘密の帳簿』のお話を……もっと甘い場所で、じっくりと聞かせていただけますか?」


「ああ、アル……。本当に、貴方は罪な猛禽ですこと……」


マダムは頬を紅潮させ、俺の冷たい手袋をはめた指先に、うっとりと身を委ねるのだった。

冷徹なビジネスと、甘く危険なゲーム。これこそが、社交界を支配する猛禽の真骨頂だった。

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