Ep 2:数値目標のない政策は無意味だ
1.社交界を統べる「マダム狩り」と、焦らしの技術
社交界において、若く経験の浅い令嬢たちを転がすのは容易い。だが、宮廷を裏から動かす真の権力者――それはいずれの時代も、名門の未亡人や、政治・軍事・財務の中枢にいる重臣の妻たち、すなわち『宮廷のマダム』たちである。
「お待たせいたしました、我が薔薇」
豪奢な夜会のバルコニー。
月光を浴びて妖艶に微笑む俺――アルは、先夫の莫大な遺産を相続し、社交界で絶大な影響力を持つ未亡人、アシェル公爵夫人の腰を、完璧なマナーで引き寄せた。
彼女が夫の死後、王国の財務ギルドに強いコネクションを隠し持っていることは、すでに調査済みだった。
「まあ、アル様……。本当に、罪な殿方ですわね。令嬢たちがあれほど貴方を見つめているというのに、私のような女の元へ来てくださるなんて」
公爵夫人が熱を帯びた瞳で見上げてくる。彼女の白く細い指先が、俺の夜会服の襟元に這い、衣服越しに胸元へ滑り込む。
普通の男なら、このまま彼女を抱き寄せて褥へと誘うのだろう。
だが、俺の脳内はどこまでもビジネスライクだ。
(現段階での肉体関係の構築は、不必要な主導権の譲渡を招く。精神的な独占こそが、最大の利益率を生む)
俺は彼女の手首を優しく掴み、滑らかな動作で引き剥がした。しかし、その手を放すことはせず、そっと手の甲へ唇を寄せる。
「これ以上は、ご主人の『機密事項』以上に守るべき、貴女の誇りに傷がつきます。……私は、貴女の尊厳を何よりも大切にしたいのですよ」
耳元で、かすれを帯びた低音で囁く。
キス寸前まで顔を近づけ、彼女の吐息が俺の唇に触れるほどの距離で、あえて一歩引き下がる。
決して一線は越えない。だが、絶対に逃がさない。この完璧な「焦らし」こそが、彼女たちを精神的な渇望へと追い詰める。
「ああ、アル……。貴方は本当に……意地悪な猛禽だわ。……ねえ、次の水曜日、私のプライベートサロンへいらして。貴方がお望みの、財務大臣たちの裏金に関する『面白いお話』、用意して待っていますから」
「喜んで、私の美しい薔薇」
艶やかに微笑み、俺は静かにバルコニーを後にする。
こうして、物理的な肉体を一滴も汚すことなく、俺は宮廷の真の支配者たちの脳を、俺への『執着』で完全にハッキングしていった。彼女たちが甘い秘密をこぞって俺に横流しする、完璧な内部情報収集システムの完成だった。
2.宰相からの極秘招集(王宮の掃除屋へ)
下ある朝、下町の質素なテーブルの上でマリアが淹れてくれた紅茶を飲んでいると、一枚の手紙が届いた。
封蝋には、国章たる獅子のマーク。差出人は、あの宰相閣下だ。
『至急、王宮の地下通路を通り、我が執務室へ出頭せよ。王国の不適切な負債を清算する時が来た』
「あら、アル。また難しいお仕事かしら? 体を壊さないようにね」
「うん、ありがとう母さん。ちょっと不法占拠されている不要な宮廷のゴミを片付けてくるだけだから、すぐ戻るよ」
母の天然な笑顔に見送られ、俺は上着を羽織った。
王宮の薄暗い地下通路を通り、人目を忍んで入った宰相の執務室。
そこには、徹夜続きで隈を濃くした宰相が、山積みの財務書類を前に頭を抱えていた。
「よく来た、アル。いや、宮廷の掃除屋殿と言うべきか」
「お久しぶりです、閣下。ずいぶんと効率の悪いデスクワークをされているようですね。経営陣の顔ぶれが、相変わらず無能だらけなのが見て取れます」
俺はソファに腰掛け、差し出された書類をパラパラとめくった。
前例主義にしがみつき、不正横領を繰り返す古参の重臣たち。彼らはこの国を蝕む『不良債権』そのものだった。
「陛下の御前会議で、奴らは南部開発の予算案を感情論でゴリ押ししようとしている。だが、数字の辻褄がどうしても合わん。やつらの不正を暴き、この国から一掃してくれ。……陛下も、内心では奴らを邪魔に思っておられるが、証拠がなくて動けんのだ」
「いいでしょう。現経営陣の不良債権一掃プロジェクト、私が引き受けます。……ちょうど、マダムたちから最高のスパイス(情報)を仕入れたところですので」
俺はアメジストの瞳を細め、冷たく微笑んだ。
3.ロジカル・ハラスメントによる駆逐(御前会議での地獄)
王宮の最高意志決定会議室。
重厚な円卓を取り囲むのは、金銀の刺繍で飾られた豪奢な服を纏った古参の重臣たち。
その末席に、異例の若さで相談役として連れてこられた俺が座ると、彼らは露骨に不快感を露わにした。
「ふん、平民崩れの私生児、それも若造をこのような神聖な会議に招くとは、宰相閣下も焼きが回られたか」
「社交界で女の尻を追いかけるしか能のない猛禽気取りが、政治の何がわかるというのだ」
彼らの感情的で下卑た罵声。
だが、俺は手元の『業務管理ポートフォリオ』を開き、片眼鏡を指先で直しながら、ただ無言で彼らを見据えた。
会議室の温度が、一瞬で氷点下まで下がったかのような静寂が広がる。
「……発言を許可していただけますか、不良債権の皆様(重臣の方々)」
「な、何だと……!?」
「まず、議題である南部開発の予算案ですが――」
俺は立ち上がり、資料の数字を指し示した。
「第一に、業務プロセスの非効率。何世代も放置された無駄だらけの財務フローを適用した結果、中間手数料だけで予算全体の四十%が消失しています。これほどの機会損失を放置する経営、低能過ぎて見るに堪えません」
「く、口を慎め! これは建国以来の伝統的な管理法で――」
「伝統という言葉で思考停止するのはおやめください。第二に、他国からの侵食。輸入資料や関税帳簿の微細なズレ(異常値)から、隣国がこの国の流通を裏で牛耳るために伸ばしたスパイの『手』を完全に看破しました。具体的には、そこの財務大臣。あなたの名義で運営されている商会ですね?」
財務大臣が、ガタガタと椅子を鳴らして青ざめた。
「で、出鱈目だ! 証拠があるのか!」
「第三に、こちらが最大の事実です」
俺は優雅に書類をもう一枚提示した。
「そこの財務大臣。あなたは先週の木曜日、他国の特使と密会し、南部の関税権の割譲を約束しましたね? ……その夜、貴殿がベッドの上で愛人に『これで我が公爵家は安泰だ。陛下など、私の手のひらの上よ』と囁いた言葉。愛人のマダムは、その甘い会話の一部始終を私のサロンで吐き出してくださいましたよ。音声保存の魔導具の記録と共にね」
「あ、あわ、あわわわ……!」
財務大臣は白目を剥き、その場にへたり込んだ。
ベッドの中の、誰にも聞かれていないはずの秘密。それをアルが握っているという恐怖が、会議室にいたすべての重臣たちの背筋に走った。次は我が身か、と誰もが震え上がる。
「陛下、数字も読めず、他国の手先となっているこの不良債権(重臣)たちの重要評価指標はマイナスです。宮廷から即刻退場処分とすべきかと」
俺が冷徹に言い放つと、待機していた騎士たちが突入し、腰の抜けた重臣たちを次々と拘束していく。
感情論を、冷徹なデータと、マダムたちのネットワークによる『夜のリーク』で完璧に粉砕した、一方的な虐殺だった。
3.国王との邂逅(すれ違いのプレリュード)
重臣たちが引きずり出され、静まり返った会議室。
パチ、パチ、とゆっくりとした拍手の音が響いた。
会議室の奥、重厚な帳の向こうから、一人の男が姿を現した。
威厳に満ちた佇まい、深い知性を称えた瞳、そして何より――俺と同じ、白銀の髪を持つ男。
この国の最高権力者、国王クリス。俺の「実の父親」だった。
国王は、かつて自分が捨ててしまった低位貴族の令嬢マリアとの間にできた不義の息子が、目の前の青年だとは夢にも思っていない。
だが、そのあまりにも圧倒的な覇気、息を呑むほどの美貌、そして自分の若い頃に生き写しの冷徹でロジカルな思考に、本能的に強い愛着と信頼の目を向けていた。
「見事だ、アル。我が国の膿を、こうも鮮やかに切り落としてみせるとは。……そなたのような怪物が、一体どこで育ったのか。そなたの知恵は、我が国の至宝だ」
国王が、熱のこもった瞳で俺を見つめる。
父親としての誇りと、王としての渇望が入り混じった、あまりにも重い視線。
だが、俺は完璧な臣下の礼を取りつつも、その瞳には凍りつくような冷ややかさを湛えたままだった。
前世で「信頼」に裏切られた俺にとって、国家のCEO(国王)からの寵愛など、リスク要因でしかない。
「陛下。私はただの『外部顧問』ですので。今回は、宰相閣下からの依頼という形で業務を遂行したに過ぎません。特定の誰かの所有物になるつもりはありませんよ」
「……そうか。だが、いつでも我が執務室へ来るが良い。そなたと話す時間は、この王宮で最も有意義な時間になりそうだ」
優しく微笑む国王に、俺は一礼して背を向け、静かに会議室を出て行った。
その様子を横で見ていた宰相は、ハンカチで額の冷汗をこれでもかと拭いながら、心の中で絶叫していた。
(あの二人の顔、白銀の髪にアメジストの瞳……どこからどう見ても、陛下にそっくりすぎるだろう! 陛下はなぜ気づかんのだ!? そしてアル、お前は実の父親に対して冷酷すぎやしないか!? 胃が……胃が痛い……!)
王宮を去る美しき猛禽の背中を見送りながら、哀れな宰相は、自分だけが抱える「国家最大の秘密」の重さに震えるのだった。
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