Ep 1:猛禽、社交界に舞い降りる
本作を見つけていただき、ありがとうございます!
作者の かぶんす です。本日から新連載をスタートします。
全10話で完結します。
平日12時40分頃に更新していく予定ですので、応援よろしくお願いします!
プロローグ:琥珀色の毒と、底冷えする虚無
深夜のオフィスビル、最上階。
遮光ガラスの向こうには、東京の冷たく、どこか暴力的なまでに眩い夜景が広がっていた。
当時、業界で「伝説のコンサルタント」と呼ばれていた俺の前には、同期であり、唯一背中を預けられると信じていた共同経営者の男が立っていた。
「悪く思うなよ。お前さえいなければ、このファームは完全に俺のものだったんだ」
手渡されたグラスの中で、冷たい琥珀色の液体が微かに揺れる。
それを口にした直後、心臓を鋭利な爪で鷲掴みにされたような劇痛が走った。
喉が灼けつく。机に突っ伏し、満足に呼吸すらできなくなる俺を、男は見下ろしていた。その目は、かつて共に夢を語った友のそれではなく、ただ獲物の死を待つ冷酷な獣の目だった。
(ああ……そうか。俺が身を粉にして、寝る間も惜しんで構築したこの会社も、注ぎ込んだ情熱も、こいつにとっては『奪い取るべき資産』に過ぎなかったのか)
裏切られたのだと理解した瞬間、胸を満たしたのは怒りではなかった。
ただひたすらに、底冷えするような虚無だった。
ビジネスライクに割り切れない『信頼』など、ただの致命的な脆弱性だ。
人は裏切る。どんなに言葉を尽くしても、どんなに心を通わせたつもりでも、利害が一致しなくなれば、笑顔で背中から刺す。
薄れゆく意識の中で、俺は冷徹に決意した。
――もし、次の生があるならば。
――二度と、誰も愛さない。誰も信用しない。
――すべての人間を『ビジネスパートナー』としてのみ扱い、完璧に管理してやる。
暗闇に沈む俺の耳に、突如、現実の優しい声が滑り込んできた。
「……アル、大丈夫よ。母さんがここにいるからね」
冷たいタオルが、知恵熱で熱くなった額にそっと当てられる。
重い目蓋を開けると、そこには粗末なランプの灯りに照らされた、おっとりと微笑む若い女性がいた。
今世の母――マリアだ。
前世の膨大な知識や経験が、毎夜、夢を通じて脳に直接『ロード』される。その負荷のせいで、幼児である俺の身体は知恵熱を出し、毎晩うなされていた。
マリアはそんな俺の手を握り、寝ずに寄り添い、優しい声で子守唄を歌い続けてくれた。
(この人だけだ。俺が何の利益も生まない、ただの泣きじゃくる赤ん坊だった時から、無条件で、無償の愛を注いでくれたのは)
裏切られた魂が、今世で唯一見つけた「安全基地」。
この人だけは、命をかけて守る。
そのために、俺はこの世界を裏から支配する「猛禽」になると、マリアの胸の中で静かに誓ったのだった。
1.下町の神童と、怪物の誕生
夢を通じて前世のコンサルタントとしての知識、交渉術、フレームワークを完全に掌握した俺――アルは、五歳になる頃には下町で奇妙な噂話の主になっていた。
「あそこのパン屋の帳簿をちょっといじったら、売上が三割増えた」
「不効率だった八百屋の流通経路を再構築して、廃棄ロスをゼロにした」
もちろん、俺は表には出ない。商店の店主たちに「こうすれば利益が出るよ」と、おねだりをするような子供のふりをして知恵を与えていただけだ。下町では「奇跡の神童」などと呼ばれていたが、俺にとっては前世のフレームワークをこの世界の市場に適応させる、簡単な実地訓練に過ぎなかった。
そんなある日、我が家の貧しい食卓に、場違いな高級仕立ての外套を羽織った男が現れた。
国王の腹心であり、この国の政務を一手に行う「宰相」だった。
彼は、国王がかつて犯した『不始末』の後始末として、マリアに隠密裏に支援金を届けに来ていたのだ。だが、ギルドの長たちから「恐ろしい知恵を持つ子供がいる」と聞き、調査した結果、それが国王の私生児である俺だと知って接触してきたらしい。
当時、十歳だった俺は、錆びたティーポットからお茶を注ぎ、宰相を相手に完璧なポーカーフェイスで言い放った。
「閣下、ご名義をお借りしての毎月の『支援金』、大変感謝しております。前世……おっと、私の基準から見ても、陛下と閣下の『アフターケア』は完璧でした」
「……何?」
「ですが、いつまでもこのような不透明なキャッシュフローを続けるのは、双方にとってリスクです。投資に対するリターンとして、私がこの国の次代の『利益』を最大化させてご覧にいれましょう。まずは――私に適切な教育機会をいただけますか?」
十歳の子供の口から滑り出た、冷徹極まりないロジカルな交渉。
百戦錬磨であるはずの宰相が、一瞬、椅子の上で身じろぎし、その背中に冷や汗を流すのを俺は見逃さなかった。
目の前にいるのが「陛下の血を引く、いや……陛下を遥かに陸駕する怪物の卵」であると確信した彼は、すぐに国王へ進言した。
『下町に、恐るべき神童がおります。我が国の未来のため、王立貴族学校へ特待生として入れるべきです』
国王はそれが己の隠し子だとは夢にも思わず、「宰相がそこまで言うなら」と二つ返事で了承した。
こうして、平民同然の「私生児」でありながら、国で最も高貴な血が集まる最難関の学舎へ、俺は特待生として異例の進学を果たすことになったのである。
2.王立貴族学校の洗礼と、令嬢のロジカル救済
王立貴族学校。
そこは、家柄と身分がすべてを決める、前例主義と感情論に支配された狭い温室だった。
案の定、入学初日から嫌がらせの雨が降ったが、俺の耳にはノイズとしても届かない。
だが、俺が二回生になったある日、学舎のサロンで、不愉快極まりない大衆劇が繰り広げられていた。
「お前のような大人しくて何の取り柄もない日陰者が、我が侯爵家の婚約者として相応しいとでも思ったのか? 学園の予算管理で損失を出した冤罪を認め、この場で今すぐ婚約破棄を受け入れるがいい!」
学園の生徒会予算委員長であり、名門侯爵家の令息が、一人の令嬢を大衆の目の前で怒鳴りつけていた。
令嬢は大人しい性格の伯爵令嬢で、謂れのない濡れ衣といじめに青ざめ、今にも泣き出しそうに震えている。周囲の貴族子弟たちは、見て見ぬふりをするか、冷酷な嘲笑を浮かべていた。
「待ちなさい、予算委員長」
俺は手にしていた資料を優雅に閉じ、サロンの喧騒の真ん中へと静かに歩み出た。
白銀の髪に、冷たく輝くアメジストの瞳。俺の突然の介入に、侯爵令息が忌々しげに顔を歪めた。
「なんだ、平民上がりの私生児。お前には関係のないことだ、下がれ!」
「関係はありますよ。貴殿が今、その令嬢に押し付けようとしている『予算損失の過失』ですが。……論理的に分析すれば、いじめている貴殿側の有罪性と、主張の矛盾が全て暴かれます」
「何だと……!?」
俺はサロンのテーブルに、ハッキング同然に精査した過去三年分の生徒会帳簿と、取引ギルドの明細を美しく並べた。
「第一に、矛盾。貴殿は彼女が『南部物資の調達ミスで予算に大赤字を出した』と主張していますが、調達契約書に署名された魔力波形は、彼女のものではなく、貴殿の個人印のものです。
第二に、有罪性。失われたはずの予算は、南部の流通ギルドではなく、王都の裏ギルド『黄金の夜』における貴殿の遊興費として、二重帳簿を介して綺麗に横流しされています。
第三に、目的。貴殿は、自身の横領を彼女に擦り付け、合法的に婚約破棄をして愛人を後釜に据えようとした。……違いますか?」
「な、ななな……何を馬鹿な出鱈目を……!」
「出鱈目かどうかは、すでに学園長、および近衛騎士団へ提出済みの、裏ギルドとの契約魔術紙の原本が証明してくれます。まもなく、騎士団のお迎えが来るはずです」
タイミングを計ったように、サロンの扉が開き、重厚な甲冑を纏った近衛騎士たちがなだれ込んできた。 侯爵令息は顔を真っ青にし、膝を震わせ、大衆の前で惨めな叫び声を上げながら引きずり出されていった。
泣き崩れそうになっていた大人しい令嬢の前に、俺はそっと膝をつき、シルクの手袋をはめた手で、彼女の涙を優しく拭った。
「もう大丈夫ですよ、お嬢様。これからは、貴女のその美しい瞳を、あのような男のために曇らせる必要はありません」
「あ……、あ……」
令嬢は頬を林檎のように赤く染め、俺をまるで神の救いであるかのように見つめた。
この日を境に、彼女は俺の熱狂的な信者となり、彼女を筆頭とする「いじめや婚約破棄に苦しむ令嬢たちの救済」を通じて、俺の宮廷最大のネットワークの強固な雛形が構築されていったのである。
3.社交界へ舞い降りる猛禽
学園のすべての権力構造を裏から掌握し、数々の伝説的実績を引っ提げて卒業した俺は、ついに、華麗なる社交界へとデビューを果たす。
豪華絢爛な大夜会。
扉が開かれ、美しく厳かな声で、俺の「名」が響き渡る。
「――アル・マリオ男爵令息」
国中の大貴族たちが集うきらびやかな会場の視線が、一斉に俺へと注がれた。
そこにあったのは、大貴族の跡取りに対するような、嫉妬や張り詰めた警戒の視線ではない。
あるのは、どこか張り抜けた、あるいは品定めするような「侮り」と「好奇」の目だ。
「マリオ家……? ああ、下町のあの貧窮した、しがない男爵家か」
「本来なら社交界の末席にすら座れぬはずの私生児が、特待生としての学園の功績だけで、陛下から直々にデビューを許されたらしいぞ」
彼らにとって、俺は脅威でもなんでもなかった。
権力も財力も、後ろ盾となる派閥もない、ただの「しがない男爵家の令息」。
だからこそ、彼らの警戒心は、完璧に、綺麗に、ゼロベースまで融解していた。
それこそが、俺が最も望んでいたポジションだった。
(完璧だ。マリオ男爵家という最弱の家格こそ、最強の隠れ蓑だ。大貴族どもは私を警戒すらしない)
俺は手袋をはめた指先で優しくグラスを持ち、そっと社交界の海へと滑り込んだ。
「まあ……。あちらの男爵令息、なんてお美しいのかしら。まるでガラス細工のようだわ」
「お可哀想に、貧しいお家だそうですから、きっと社交界の恐ろしい荒波もご存知ないのでしょうね」
着飾った貴婦人や名門の令嬢たちが、俺の圧倒的な美貌に目を奪われ、そして「しがない男爵家の頼りない少年」という記号に、あっさりと母性本能と庇護欲をくすぐられていく。
彼女たちにとって、俺は「害のない、美しく繊細な観賞用の花」に過ぎなかった。
だからこそ、彼女たちは俺の隣で、驚くほど簡単に自らの「鎧」を脱ぎ捨てた。
「マリオ様。実はね……主人が今進めている新法、裏でとんでもない貴族たちと繋がっているの。しがない我が家(公爵家)の窮屈さに比べたら、貴方のような自由なお家が、どれほど羨ましいか……」
「そうでしたか。……それは、お美しい貴女の心を、どれほど痛めつけてきたことでしょう。私でよければ、そのお辛い胸の内を、いつでもお聞きしますよ、マダム」
耳元で甘く、しかしどこまでも静かに囁く。
手の甲にそっと熱い唇を寄せ、アメジストの瞳を潤ませて彼女たちを見つめるだけで、マダムや令嬢たちは、己の夫や父親が隠している「機密」を、警戒心ゼロで次々と俺に差し出していった。
誰の所有物にもならず、誰からも敵対者とみなされない「最弱の男爵令息」。
だがその実態は、油断して近づいた獲物の心臓(秘密)を一瞬で抉り取る、社交界で最も美しく、最も嘴の鋭い「猛禽」そのものだった。
完璧な能面の裏で冷徹にビジネスログを刻みながら、俺は次の獲物へと、濡れたような艶やかな微笑みを向けるのだった。
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