摩擦係数ゼロの領域。……あるいは、潤滑される美肌の大地
「……ひゃぁぁぁ!! カシアン、フェリクス! 床にめり込んだまま、なぜそんなに『ドヤ顔』で私を見つめ合っているんですのよ!!」
重力級お湯割りのせいで、クレーターの底に「固定」された二人。そこへ、芳醇なバラの香りと共に、扇子を優雅に揺らす影が差した。
「あらあら、リリアーナ。研究初期(第2話)のあの日から、あなたは相変わらず殿方を物理的に処理するのが得意なのね」
現れたのは、エカテリーナ公爵夫人。かつてリリアーナの「腹筋爆弾」を「神の雫」と見抜いた、あの美魔女である。
「お、お姉様……っ!! 好きですわ! でも今はそれどころじゃありませんの! 二人の質量がオーバーフローして、床から引き抜けませんわ!!」
「安心して、リリアーナ。私にはこれがあるわ。……あなたがかつて作った『肌の天国』をベースに、帝国最高峰の魔導油を調合した、究極のマッサージオイル:『摩擦の終焉』よ」
【極限潤滑プロトコル:超流動美容液】
μ (摩擦係数) → 0
F_f = μN
(F_f: 摩擦力、N: 垂直抗力。μ を極限までゼロに近づけることで、重力 m1 に対して発生する拘束力を無効化し、あらゆる物体を『ヌルッ』と排出する)
「お姉様! それは……、それは美肌成分が強すぎて、……世界がツルツルになってしまいますわ!!」
「いいから、塗りなさいな。サーシャ、手伝って」
「はい、お任せください! お嬢様の聖なるオイルを、お兄様の僧帽筋に『デプロイ(塗布)』しますわ!」
鋼鉄のエプロンを纏ったサーシャが、超高速でオイルを二人に塗りたくった。その瞬間、ベルシュタイン邸の宴会場に、【美容成分の爆発的連鎖】が起きた。
「……っ!! な、なんだ、この滑らかさは……!? 私の筋肉が、……筋肉が宇宙の真理(潤滑)に到達していく……!!(兄様)」
「……リリアーナ様、……計算不能です……! 私の思考回路さえも、……このオイルの滑らかさに滑って……、……愛の告白しか……出力……できません……!!」
ズリュッッ!!!!!
凄まじい音と共に、二人の巨体が床から射出された。
だが、事態はそれだけでは終わらなかった。オイルから気化した「美肌ナノ粒子」が宴会場全体に広がり、『全人類・摩擦係数消失バグ』が発動した。
「ひゃぅっ!? 床が、……床がスケートリンクより滑りますわぁぁ!!」
私が一歩踏み出そうとすると、足元が「摩擦ゼロ」の空間になり、そのまま空中要塞まで滑っていきそうな勢いでテラスまで滑走。
「あら、リリアーナ。……滑った先には、私がいるわよ」
滑る私を、バルバラ皇帝が完璧なポージングで待ち構える。……が、彼女の肌もオイルでツルツルなため、キャッチした瞬間に二人で「スルーッ」と廊下の端から端まで高速移動。
「お嬢様ぁぁ!! 滑って……滑ってお給仕ができませんわぁぁ!!」
サーシャが鋼鉄のエプロンをソリのようにして、時速100キロで廊下を爆走していく。
世界は今や、筋肉も重力も愛も、すべてが「ツヤツヤの美肌」に滑り落ちていく、【摩擦なき暗黒時代(美肌)】へと突入したのである。
「……ふにゃぁ。……お姉様。……やっぱり、……『美容』は……、……毒より……恐ろしいですわ……」
リリアーナは、滑り続ける床の上で、せめてもの抵抗として「滑り止め」の代わりに「スナックのイカの燻製」を床に敷き詰める作業を開始するのであった。




