苦行の巡礼。……あるいは、過労魔導師たちの福音
「職人聖女」の噂が広まるのは、炎が油に落ちるよりも速かった。
ただし、その噂が届いた先は、清廉な信徒の集う教会ではない。血走った目でフラスコを振り、納期という名の魔物に追われる「現場」の最前線だった。
ベルシュタイン邸の門前には、今や奇妙な巡礼者の列ができていた。
煤けた法衣を着た王宮魔導師、指先がインクで真っ黒な写本師、そして寝不足で肌がボロボロの宮廷建築士。彼らは皆、縋るような思いで「苦行の聖女」を求めていた。
「……ふにゃぁ。……フェリクス様、あの方々は……何をしておられるのですか?」
庭園の東屋――フェリクスが「腰痛の緩和」と「骨盤の安定」を追求して作り上げた、人間工学に基づいた『エルゴノミクス聖座』に座り、リリアーナは怯えたように門前を指差した。
今の彼女は、筋肉がなさすぎて自重を支えるのすら億劫な「儚い美少女」そのものだ。だが、その背後には時折、定時退社を夢見て死んだ目で試薬を混ぜる「45歳のおっさん(化学者)」の幻影が、神々しい後光のように立ち昇っている。
「リリアーナ様。彼らは皆、貴女という『至高の苦行者』にパッチを求めてやってきた、迷える子羊……いえ、現場の奴隷たちですよ」
フェリクスは鼻血を拭いながら、一人の憔悴しきった魔導師をリリアーナの前に招き入れた。
「聖女様……! お救いください……!」
魔導師は地面に額を擦りつけた。「新型魔導炉の安定化という無理難題を押し付けられ、三日三晩、一睡もしておりません……。配合比率は複雑怪奇になり、もう、何が正解か分からないのです……っ!」
リリアーナは、その魔導師の姿に、かつての自分を重ねた。
深夜二時のラボ。終わらない再結晶。上司からの「これ、明日までに結果出るよね?」という無邪気な死の宣告。
リリアーナの瞳に、深い慈悲――という名の、**「同族への強烈な共感」**が宿った。彼女は震える手で、魔導師の肩にそっと触れる。
「……かわいそうに。……わかりますわ。……わかりますわよ……。……いいですか、……よくお聞きなさい」
周囲が静まり返る。アレン王子とお兄様も、聖女の福音を逃すまいと息を呑む。
リリアーナは、前世の修羅場で得た「真理」をポツリと呟いた。
「……当初の計画書に書いていないことは、……やらなくてよろしいのよ。……まずは、……寝なさい。……進捗管理チャートなんて、……暖炉に焚べて燃やしてしまいなさい……」
「…………っ!!」
魔導師の脳裏に、雷が落ちた。
フェリクスが即座に眼鏡を光らせ、その「御言葉」をITエンジニア的なドクトリンへと高速で翻訳し、大声で叫ぶ。
「聞きましたか! 聖女様は仰っているのだ! 『スコープ外の要求は切り捨てろ』と! そして『虚飾の進捗管理を破棄し、システムを一度シャットダウン(睡眠)させよ』! これこそが、魂を摩耗させる悪魔から逃れるための、唯一のデバッグなのです!!」
「おおおお……! 救われた……! 私は、完璧という名のバグに縛られていただけだったのか……!!」
魔導師は号泣し、その場で憑き物が落ちたように深い眠りに落ちた。その顔は、まるで赤子のように安らかだった。
「……あ、あの、……フェリクス様? ……私はただ、……無理な仕事は断って、寝るのが一番だと言っただけなのですが……?」
「ククク……。リリアーナ様、その『現場の本音』こそが、真理を覆い隠すベールを剥ぎ取るのです。……さあ、次の患者が待っていますよ」
リリアーナの望まぬ「聖地巡礼」は、こうして加速していく。
彼女がおっさんの愚痴をこぼせばこぼすほど、世の職人たちは「なんて先進的な教えなんだ!」と感動し、ベルシュタイン邸は「ブラックな現場」を生き抜く者たちの、最後の希望の砦となっていくのであった。




