聖女のデバッグ。……休日の仕様書と、麦酒の誘惑
聖女セレフィナとの決闘――もとい、リリアーナの中に眠る「45歳の社畜の残滓」が「聖なる苦行」として全肯定されたあの日から数日。
ベルシュタイン邸の朝は、これまでとは一線を画す「静寂」に包まれていた。
「……ふにゃぁ。……なんだか、視線が痛いですわ……」
庭園の東屋で、儚げに小首を傾げるリリアーナ。
その周囲では、アレン王子とカシアン兄様が、まるで国宝の硝子細工を扱うような手つきで、彼女に「お供え物」を捧げていた。
「さあ、リリアーナ。今日のスープは、君の『前世の胃の荒れ』を考慮して、極限まで消化を助けるハーブを調合させたよ。……無理はしなくていい、ゆっくりと『ダウンタイム(待機時間)』を過ごすんだ」
アレン王子が、リリアーナが「化学者」として前世で患ったであろうストレスを案じて微笑む。
「妹よ、君が前世という名のデスマーチで失ったであろう『有給休暇』。私がこのベルシュタインの権力をもって、今世で全て精算させよう。……さあ、座っているのも疲れるだろう。この浮遊魔導具に体を預けるんだ」
兄のカシアンも、血の繋がらない妹(予定)の「おっさんな本質」を、「尊き職人の魂」として受け入れ、全力で甘やかしにかかっていた。
リリアーナは、自分が「45歳のおっさん」であることを隠す必要がなくなった(というより、崇高な苦行者として誤解された)ことで、以前よりはるかに「だらける」ことが許されるようになったが、そのケアの過剰さに白目を剥いていた。
そこへ、鼻血を拭うことすら忘れた隣国の変態紳士フェリクスが、怪しげな琥珀色の液体が入った瓶をトレイに乗せて現れた。
「……皆様。リリアーナ様の『職人の魂』を真に癒やすのは、優しさではありません。……**『適正な報酬』**です」
「フェリクス、それは何だ?」
王子が怪訝な顔をする。フェリクスは眼鏡を光らせ、ITエンジニアのような口調で告げた。
「ククク。……リリアーナ様が前世の『終業時刻』に、命を懸けて求めていたという伝説の霊薬……。黄金の液体を、中世の醸造技術と魔導冷却によって再現した**『ロジカル・ビア・プロトタイプ』**です。彼女のシステムを正常稼働させるための、必須パッチと言っても過言ではありません」
フェリクスが瓶の栓を抜いた瞬間、シュパッ!という小気味よい音が響き、麦芽の香ばしい香りが漂う。
「(……ひ、ひゃぁぁぁ! この音、この香り! 完全に、……完全に金曜夜の居酒屋の一杯目ですわぁぁ!!)」
リリアーナの「儚い乙女」としての理性が、おっさんの本能に敗北しかける。
彼女は震える手で、キンキンに冷えたジョッキを模した聖杯を受け取った。
「……リリアーナ様。……さあ、バグ(悩み)は全て私に預けて、……『退社』してください」
フェリクスの甘美な囁きに促され、リリアーナは一気にその黄金の液体を煽った。
「……ふにゃぁぁ……!! ……くぅぅぅ……、……染みますわ……。……この一杯のために、……前世を終えて良かったですわぁ……」
その瞬間、リリアーナの背後にまたしても「幸せそうに焼き鳥を想起するおっさん」の幻影が見えたが、王子と兄様はそれを見て、
「おお……! 聖女様が、ついに現世の『喜び』という名の救済を受け入れられた……!!」
と、なぜか神々しい奇跡を目撃したかのように涙を流して跪いた。
こうして、ベルシュタイン邸は「中身がおっさんであることを隠さない美少女」を、周囲が「神聖な存在」として崇め奉るという、回復不能なバグを抱えたまま、より深いカオスへと突き進んでいくのであった。




