聖女の三重奏(後編)。……納期の果ての聖域
『真実の泉』に映し出されたのは、あまりにも無慈悲な光景だった。
そこには、かつての栄光も、乙女の純潔も、筋肉の躍動すらない。ただ、暗い地下室のような場所で一本の蝋燭を頼りに、充血した目で羊皮紙と格闘し、血の混じった黒い液体を啜りながら「バグ……バグが消えない……」と呟き続ける、不潔で、くたびれた四十五歳の男の背中があった。
「さあ、見なさい! これがこの女の真実よ! 聖女でも乙女でもない、……ただの、汚らわしい男の魂ではありませんか!!」
セレフィナの勝ち誇った叫びが泉に響く。アレン王子とカシアン兄様は、その「夢も希望もない男の残像」に絶句し、膝を突きそうになっていた。
リリアーナ自身も、前世の忌まわしい記憶を突きつけられ、儚い美少女の姿のまま、「ふにゃ……もう、定時を過ぎていますわ……」と力なく崩れ落ちかける。
その時だった。
「――愚かな! セレフィナ殿、貴女の目は腐っているのか!!」
鼻血を噴き出し、計算尺を狂ったように振り回しながら、フェリクスが前に躍り出た。彼は泉に映る「おっさん」の残像を指差し、法悦に満ちた瞳で叫んだ。
「見てください、この気高き姿を! これが卑俗な男に見えるというのなら、貴女は真の聖性を一欠片も理解していない! この御方は前世において、世界を影で支える『理』を、ただ独りで守り抜いてきた殉教者なのだ!!」
「……じゅ、殉教者?(アレン王子)」
「……何……を言っているのだ、フェリクス……(カシアン兄様)」
「そうです! 見るがいい、この濁った瞳を! これは自分の欲望をすべて捨て去り、他人の平穏のために己の命を削り続けた者にしか宿らない、究極の**『無私の光』**だ! 胃を焼き、視力を捧げ、睡眠という名の安寧をすべて人類に供出したこの男こそ、解脱した聖者の完成形ではないか!!」
フェリクスの熱弁に、泉の魔力が激しく呼応する。
リリアーナが漏らした「もう帰りたい」という社畜の悲鳴が、泉の力によって**「現世の執着を一切捨て去った、天界への祈り」**へと超翻訳され、銀色のオーラとなって爆発した。
「リリアーナ様が今、なぜこれほどまでに『儚い』のか! それは前世という名の終わらない苦行を完遂し、すべての業を焼き尽くした結果なのだ! 貴女のような、ただ加護を受けているだけの温室育ちの聖女に、この『納期の重圧』を背負い抜いた魂の気高さが理解できてたまるかぁぁ!!」
「あ、あぁ……、なんという……なんという壮絶な慈愛……!!」
セレフィナの放っていた正統派の光が、リリアーナから放たれる「実務的な重圧」に呑み込まれ、霧散していく。セレフィナは、その「胃に穴を開けてまで世界を支える」という狂気的な献身の概念に完敗し、その場に伏した。
「ま、負けましたわ……。私には、そこまで……そこまで泥を啜って『保守』を続ける覚悟なんて……ッ!!」
アレン王子と兄様もまた、感涙にむせびながらリリアーナを抱きしめた。
「リリアーナ……! 君がそんなに苦労人だったなんて! 僕は、君のその『背負った歴史』ごと、愛し抜くよ!!」
「……妹よ。……よく頑張った。おじさんだろうが何だろうが、君は我らベルシュタインの誇りだ!!」
二人は、フェリクスの強引な解釈により、事実を最高にポジティブな「聖徳」として誤解し、受け入れたのだ。
結局、正体は(概念として)公認されたが、それは「究極の職人聖女」としての神格化を招いた。
リリアーナはフェリクスの腕の中で、白目を剥きながら脱力して呟く。
「……ふにゃぁ。……お仕事終了……。……麦酒、飲んでもよろしいかしら……?」
「ええ、リリアーナ様。貴女は今日、世界という名のバグをまた一つ修正されたのです。……さあ、帰りましょう。貴女が二度とデスマーチに陥らぬよう、私が一生をかけて『保守』させていただきます」
フェリクスは勝ち誇った笑みを浮かべ、聖女三部作は、かつてないほどの誤解と狂気に包まれて幕を閉じるのであった。




