筋肉(マッスル)のいない世界。……私はただの虚弱な美少女ですわ
第2章的な話になると思います
それは、リリアーナが新作ポーション『強制肥大・ゼリー改』の触媒として、禁忌の魔石をフラスコに投入した瞬間に起きた。
魔力の逆流。視界を覆うピンク色の閃光。
リリアーナの脳内で、前世から引き継いだ「おっさんの魂」と「バルクへの執着」を繋ぎ止めていたニューロンが、物理的に焼き切れたのである。
「……お嬢様! お嬢様、しっかりしてくださいまし!」
サーシャの悲鳴で目を覚ましたリリアーナは、呆然と天井を見上げた。
視界に飛び込んできたのは、心配そうに自分を覗き込む、丸太のような腕をした兄・カシアンだった。
「リリアーナ! 無事か!? 意識が戻ったなら、さあ、この特製プロテインを……」
いつもなら「ふにゃぁ! お兄様、その三頭筋のカット、最高ですわ!」と食らいつくはずの場面。だが、リリアーナの口から漏れたのは、聞いたこともないような可憐で、震える悲鳴だった。
「……嫌。……怖い。……何ですか、その……血管の浮き出た恐ろしい丸太は……っ!」
「……え?」
お兄様の腕が止まる。サーシャの顔が強張る。
リリアーナは毛布を頭まで被り、ガタガタと震えながら叫んだ。
「……筋肉なんて、ただの、……ただの恐ろしい肉の塊ですわ! 汗臭いし、硬いし、……何より、美しくありませんわ! 私は、もっと……もっと細くて、折れそうな、……普通に可愛いものが好きなのですわ……っ!」
その日、ベルシュタイン侯爵邸に激震が走った。
リリアーナ・ベルシュタインから、「筋肉」という概念が完全に消失したのだ。
翌朝。
リリアーナの部屋を訪れたアレン王子は、目の前の光景に絶句した。
そこには、愛読していた『月刊アイアンマン(魔導版)』をすべて暖炉で焼き捨て、代わりに刺繍を嗜みながら、優雅に紅茶を啜る「完璧な美少女」がいた。
「リリアーナ……。君、その……。今日はスクワットはしないのかい?」
「……殿下。なんて野蛮なことを仰るのですか。……女性が足を広げて屈伸するなど、……はしたないにも程がありますわ。……それより見てくださいな。この小鳥の刺繍、可愛らしいでしょう?」
「(……こ、小鳥……!? 筋肉の鳥(七面鳥の胸肉)の話ではなくて、本物の小鳥だと……!?)」
王子の背筋に冷たいものが走る。
以前のリリアーナは、変態ではあったが、生命力に満ち溢れていた。今の彼女は、宝石のように美しいが、どこか「空っぽ」で、触れれば壊れてしまいそうなほど、普通の、あまりにも普通な「令嬢」になってしまったのだ。
そこへ、新レギュラーのフェリクスが、眼鏡を光らせながら入室してきた。
彼はリリアーナの様子を数秒間観察し、手元の計算尺を叩く。
「……異常ですね。……熱量消費率が以前の24%まで低下。……会話アルゴリズムから『バルク』『パンプ』『アナボリック』の単語が完全に消失。……アレン殿下、カシアン殿。……残念ながら、現在目の前にいる彼女は、『おっさん成分』が0.01%以下まで希釈された、純度100%の虚弱令嬢です」
「おっさん……成分だと?」
お兄様が聞き返すが、フェリクスは無視してリリアーナに詰め寄った。
「リリアーナ様。貴女に問います。……この計算式を見て、どう感じますか?」
フェリクスが差し出したのは、彼女自身が作った『愛の積分公式』だった。
リリアーナはそれを一瞥し、困ったように微笑んだ。
「……あら、フェリクス様。……難しい数式ですわね。……私、算数は苦手なんですの。……それより、後で一緒に……お花摘みにでも行きませんこと?」
フェリクスは、確信した。
この女は、偽物だ。中身が入れ替わったわけではない。
「核」となるエンジンの火が、消えている。
「(……面白い。……愛だの筋肉だのと言っていたあの『異常な計算速度』こそが、彼女の本質。……今の彼女は、バグを取り除きすぎて動かなくなった、ただの『綺麗なコード』だ……)」
フェリクスは冷徹に、しかしどこか楽しげに宣言した。
「……リリアーナ様。……貴女のその『猫を被った沈黙』。……私が数式で、すべて暴いて差し上げますよ」
マンネリの象徴だった「筋肉ライフ」が崩壊し、物語はリリアーナの「正体」を巡る、知的な暴き合いへと変貌していく。




