魔導化学(マッスル・アルケミー)の特異点。……目を覚ましなさい、愚かなバルクたち!
学園中に充満するバニラ臭と、鉄錆の香り。
ドレスを脱ぎ捨て、鉄アレイを掲げて踊る貴族たちを見て、リリアーナはかつてない冷徹な思考の海へと潜った。
「(……ふにゃぁ。……やりすぎですわ。全国民がボディビルダーになれば、この国の経済も、農業も、文化もすべてが『鶏のささみ』を中心に回ることになってしまいます。それは、私が愛したボディビルではありません……!)」
筋肉とは、調和の中にこそ宿る芸術。リリアーナは自らの影響力という名の「劇薬」を中和するため、これまで隠し持っていた秘奥義を解放することを決意した。
「……ミリー様、テオ様。少し下がっていなさい。……今から、この国を覆う『集団幻覚』を、私の理系魂で浄化いたしますわ」
リリアーナは懐から、虹色の閃光を放つ最新の試薬瓶を取り出した。それは、魔力と化学式をナノ単位で結合させた、前代未聞の**『精神覚醒型・抗筋肉触媒』**。
リリアーナがその液体を空に向かって投げ上げると同時に、彼女の足元から巨大な魔法陣が展開される。そこには、複雑怪奇な化学式が幾何学模様となって刻まれていた。
【魔導化学式:世界正常化プロトコル】
P_reality = Integral from 0 to Infinity of (Magic_Circle + Chemical_Reaction) dt
Delta_Muscle_Delusion = Limit (x -> Truth) of (d/dx * Reasoning)
術式発動:『幻想解体』!!
「……ふにゃぁぁぁぁ!! 目を覚ましなさい!!」
眩い光が国中を包み込んだ。その光は、国民の脳内で暴走していた「筋肉への盲信」を優しく、しかし確実に分解していく。魔法陣から放たれる中和成分が、空気中のプロテイン粒子を浄化し、人々の意識を「正常」へと引き戻した。
「……はっ!? 私、何を……? なぜドレスのままベンチプレスを……?」
「……陛下!? 噴水にプロテインを入れるなんて、私は一体何を考えていたのかしら……!」
我に返る人々。だが、ここで奇跡が起きた。あまりにもリリアーナの術式が鮮やかすぎたため、国民たちはこの異常事態を**「自分たちのせい」**だとは考えなかった。
「……間違いないわ! 昨日の昼食会、そして今日までの狂気……あれはサキュバスか、低級な悪魔による『集団幻覚』だったのよ!」
「そうだ! あの邪悪な魔力に操られていた私たちを、ベルシュタイン様がその高潔な魔導化学で救ってくださったんだ!!」
人々の間で、勝手な解釈が爆速で広まっていく。
「リリアーナ様は、自分を犠牲にして悪魔と戦い、私たちの正気を取り戻してくださった……!」
「ああ、なんて慈愛に満ちた聖女なんだ! 筋肉の聖母ではなく、今やこの国の救世主ではないか!!」
ひれ伏し、涙ながらに感謝を捧げる国王とお姉様方。だが、その中心でリリアーナは、呆然と口を開けていた。
「……ふにゃ? ……え、悪魔? ……サキュバス? ……いえ、これ、ただの私の自業自得を私が片付けただけ……。……ふにゃにゃにゃにゃ。……なんで、なんで感謝されているのですか……!?」
筋肉への信仰心は消えたが、リリアーナ本人への「信仰心」だけは、以前の百倍近い高度へと到達していた。彼女の思惑(後始末)は、皮肉にも「史上最強の美少女聖女」という、さらに逃げ場のない称号を彼女に刻み込むことになった。
「(……どうしましょう。……これ、以前より注目されるようになってしまいましたわ……。……ふにゃ、ふにゃにゃにゃにゃ……!)」
冷や汗を流しながら、笑顔で手を振るリリアーナ。
彼女の静かな日常への道は、またしても筋肉の山の向こうへと遠ざかっていくのだった。




