沈黙の聖母(マッスル・ミューズ)。……誰もが彼女の背中に夢を見る
その日のリリアーナは、学園のテラスでただ静かに、庭園を眺めていた。
手元にはいつものプロテイン。しかし彼女は口を開かず、ただ遠くの毛根……もとい、樹木の揺らめきを見つめていた。
「(………………)」
彼女の沈黙は、周囲の者たちの想像力を限界まで加速させた。
【兄と王子:守護者の幻想】
「見てくれ、アレン。あのリリアーナの儚い横顔を。……きっと、あんなに細い体で国家のバルクアップという重責を背負っていることに、心が疲れてしまったんだ。……ああ、僕がもっと強大な大胸筋で、彼女を風から守ってやらねば……!」
「……同感だ、お兄様。彼女のあの瞳……まるで『世界中の筋繊維が悲鳴を上げているのを聞いている』ような、深い悲しみを湛えている。……リリアーナ、僕が君の代わりに、この国の重力をすべて支えてみせるよ」
【ミリーとテオ:信者の心酔】
「……静かですわ。……ベルシュタイン様、今はきっと、筋肉と対話していらっしゃるのね。……あの微動だにしない姿勢、あれこそが究極のアイソメトリックス(静的筋収縮)トレーニングですわ……!」
「……ああ。……一見休んでいるように見えて、実は全身の全細胞を、1ナノメートルも狂わずに制御しているんだ。……なんてストイックなんだ。……僕たちの理想は、あの方の沈黙の中にこそある……!」
【サーシャ:唯一の冷静な(?)困惑】
「(……お嬢様、あんなに遠くを見つめて……。……たぶん、昨日開発に失敗した『勝手に動く筋肉ポーション』の片付けが面倒くさくて、現実逃避してらっしゃるだけですわね。……あるいは、お昼ご飯にささみを食べ過ぎて、少し胃が重いのかしら)」
【国王と王妃:統治者の打算と諦め】
「……リリアーナ嬢。あの沈黙は、我が国の不甲斐ない経済状況への無言の抗議か。……あるいは、『全方位マッチョ化計画』の第二段階を練っているのか。……恐ろしい娘だ。……余は、彼女が微笑むだけで背筋が震える(パンプする)ぞ」
「……陛下、あれはただ、今日のドレスのコルセットがキツくて、息を止めているだけではなくて? ……でも、確かにあの威厳だけは、並の淑女には出せませんわね」
【そして、数々の令嬢(お姉様)たち:聖女への憧憬】
「……見て、あの凛とした立ち姿。……きっとベルシュタイン様は、恋や遊びを超越して、人類の『進化』という高い志を見据えていらっしゃるのよ。……お美しいわ、まさに筋肉の聖母……」
夕暮れ時。
ようやく重い腰を上げたリリアーナは、一度だけ、小さく喉を鳴らした。
「(……ふにゃぁ……)」
結局、彼女は今日、一言も喋らなかった。
だが、彼女が去った後のテラスには、それぞれの決意と、情熱と、勘違いが、熱を帯びた霧のように立ち込めていた。
リリアーナ本人が、ただ**「昨日徹夜で筋繊維の組成図を書いていたせいで、極度の寝不足になり、頭が真っ白で喋る気力がなかっただけ」**だとは、神様以外、誰も知る由もなかったのである。




